花火 の 思い出
後編
芦屋浜の花火は パリパリパリ と
小さな連続音は聞こえるが 見えない
最終
の
仕掛け花火に 入ったよう だ
「 それで ゲージュツは ど〜 なったの ? 」
と
息子
『 あゝ 失敗やった なぁ 〜 』
三輪崎
「みかん小屋」
翌朝の 太陽が 入ってこないように
雨戸を締め切り
風が通らず 蒸し暑い
「芸術実験場」
ボク達
眠れず
朝の4時頃
「 眠い… 限界や な … 」
と
「 後 一時間くらい か な … 」
ウツラ ウツラ
で
枕元で シュウ〜 と
マッチが 燃える 音がした
ワタクシ 目覚め
レリーズのシャッターを 落とす
「 あゝ 苦労田 起きたん ムニャムニャムニャ… 」
翌日
目覚めたのは
昼過ぎの 1時
お祖母ちゃんが
「 冷(ひ)やこい 水密(すいみつ桃) 食べ らんし よ〜 」
と 「みかん小屋」に ガラガラと 訪れた
雨戸を閉め切って 汗だらけの ボク達
「 何 し〜 やん な ?! 」
お祖母ちゃん ケゲン そー
冷たい 桃も そこそこ に
ボク達
急いで
フィルム
を
現像
に
「まち」
の
はずれ
の
カメラ屋さん
に
急ぐ
・
・
・
「 あんの〜 現像 つんだ〜るけど の〜 夕方 5時に もっぺん 来やんし よ 」 ※つんだ〜る とは 沢山ある の意
そして
夕方5時
「 あんの〜 え〜 のん 撮れた〜 た ら よ〜! 」
と
上手く撮れていた
花火の写真の
一枚を
八切(やつぎり)判に
伸ばし
キッチュな額に 入れて くれていた
花火の撮影の 先生である カメラ屋のオヤジさんは
生徒である ボク達が 上手に 花火を撮れた の が 嬉しく
我が事の様 だった ん でしょう ね
「 焼き代 と 額は サービス やかい 」
「 これからも 気張って やらんし よ〜 」
ボク達
「ありがとう ございました!」 と 合唱
で
店を 出るなり
やっぱり
「 蚊取り線香! 蚊取り線香! 」
後編なのに 続 く の?
天晴れ な 天気 AM6:30撮影
2006.7.31
花火 の 思い出
中々々編
翌朝 何処かの浜の ボートの中で 目覚めた
蚊に 喰われまくって た
どうにか
ボク達の 基地 である
三輪崎の 「みかん小屋」 到着
Tくん は
撮影した 花火の ことで 頭が 一杯
早く
「 現像を出したいンや !」
と言う
だけど
36枚撮りフィルムは まだ 10枚 ほど 残っている
あの頃
カラーフィルムは 高くて 手が出ない
モノクロフィルムの 撮影でしたが
それも
大変 貴重な 時代でした。
長時間露光を勉強した ワタクシ
Tくんに提案しました
『 夜中 蚊取り線香つけて 寝てる やん
それを 一晩かけて 撮影したら ど〜 お? 』
「 ふん ふん 」
『 渦巻きの最後に マッチの頭を 数個 置いといたら
渦巻きの 中心が フワ〜 って 炎の上がる なんて 絵になんノンちゃうかな ? 』
今で 言う ところの
シュール な 絵に…
全体 真っ暗な ところに 渦巻きの 白い線が 走り
センターに 不思議な 炎状の モノが ある
なんて 想像しながら
その日の
昼間
三輪崎の海水浴場で
ど〜 でも 良い様な 捨てカットを 撮り
ラスト・ワン 36枚目
「 芸術を 試みる ! 」
的
気持ちの 高ぶり
まず
布団を敷いて
枕元に
蚊取り線香を セットし 広めの 芯部分に マッチの頭を 3〜4個 乗せ 着火
オモチャの三脚で フカンに構え
アングル 決める
電気を 消す
レリーズシャッターを 切る
布団に 寝転がる
が
そ〜 簡単に 寝られず
つまらない事を 話すが 気はソゾロ
だって
ボク達
すごい
実験
的
芸術
やって
る
って
感じ
だった
から
・
・
・
ただいま!
今日から
また
ガむバル ぞ!
芸術的に続く
今宵は フロントでミーティング だ ! AM6:30撮影
2006.7.29
きょうまで 出張。明日復帰します。
早朝から太陽sunsun AM6:30撮影
2006.7.28
本日 和歌山方面へ 出張中です。
関西も・・・梅雨あけ? AM6:30撮影
2006.7.27
花火 の 思い出
中々編
熊野の花火は 寝転がって 見ます
小さい玉砂利の磯の上
浜から 3〜400メートル 沖合いで 打ち上げるので
巨大な 火の花は 真上で 咲きます
そして
パラパラと 燃え尽きた 火の粉が 浜に降り落ちるのも 感動モンです。
音速と光速が同時で (?)
腹に ズッシ〜ン と きます。
おい! おい!
Tくん
何してンねん
カメラ ばっかり 触らんと
ちょっとは 落ち着いて 見ろよ!
「写真学科」の授業で 文蔵先生が 言ってた ろぅ
「キレイな風景を 必死で 写真を撮ってる人は 心に 景色は残らない」 って
by 今宮工業高校 印刷科
花火も終り
帰り支度
直ぐそばの 駅舎は 帰る人で ごったがえっている
『 T ヒッチハイク し よ か ? 』
と 誘う
近くの 国道42号線に 出る
最初に来た トラックに 手を挙げる
止まってくれた!
「 どしたんなら ? 何し〜やるん ?」「 花火 見ぃ〜 やったん か 」
と
ま〜 あ
「 乗らんし 」
と
なり
「 あんのお 三輪崎まで 行けやん けど 新宮の手前の 鵜殿(うどの)まで 行こらい 」
と
下ろしてもらった 所は 真っ暗け の け
国道 と 言えども
人っ子一人なし (車っ子一台ナシ)
街灯 も ない
舗装もされてなかった 記憶… ?
鄙びた 田舎の 夜の10時は 闇の世界だった
小一時間
歩く
が
ギブアップ
『 野宿 や な あ … 』
と
どこか 不明の 浜 の
小舟 の 中に もぐり込む
今日
三輪崎に
向います。
明日は
お休み
します。
続けんの〜?
今宵は 三輪崎 AM6:30撮影
2006.7.26
花火 の 思い出
中編
三輪崎は漁村
昔 鯨漁で 栄えた。
海沿いの「まち」
この辺りでは商店街を「まち」と言う。
その「まち」の南の外れにある カメラ屋さんに
友人Tくん と 向った。
透明ガラスの 木の引き戸から 見える風景は
ショーケースに ホコリをかぶった 一世代前のカメラが並ぶ
恐る恐る ガラガラ
「すいません…」
気の良さそうな 初老の店主が ヒョッコリ
疑問を 投げかける Tくん
紀州弁の通訳はワタクシ
「 カメラの のお シャッタースピードの とこに のお Bゆう マーク 付いた〜 る かい それに合わせて 撮らんせ よ 」
「B って なんですか?」
「バルブゆうて のお シャッターを のお 押してる間 のお レンズが のお 開いたある わ だ 」
「手ブレ しない で す か ?」
と
Tくん
「 あんたあ 三脚 持った〜 る か? 手持ちでは しやれん で ブレてブレて まいした ほおが ええわだ 」 *まいする とは 止める
と
プチブルなTくん
さっそく
安直な(屁みたいな)三脚 と
レリーズ と
ASA感度の高いフィルム と
そして
花火の撮影テク を
GET!!
今朝
三輪崎の叔父さんが
亡くなった と 連絡ありました
こんな話を 書いてる 最中に…
続
今夜は 武市さん遠藤さん と 飲む AM7:00撮影
2006.7.25
花火 の 思い出
前編
第一発目の
花火が 静かに 上がり
見る 見る
大きく 開く
が
まだ
無音
12秒後に
聞こえる
「 シユー ル ル ル 」
「 ボー ン 」
そして
浜と山からの 残響した音と 震え が 静かに 部屋に 残る
音速と光速の違いが 分かる
花火が見えても
音は
後から 追ってくる
《音速=約340m/s》
芦屋浜 と 我が家 との 距離は
《340×12=4080》
で
《約4Km》
ビールを 飲んでいる ワタクシ
息子と 花火に まつわる そんな&こんな 話を していた
で
思い出した !
ワタクシが
高校1年生の 夏休み
友人Tくんと 旅行中に 「花火を撮影しよう」 と いう話を
突然 思い出しました。
友人Tくん は カメラ小僧 で お坊ちゃん
旅の
行く先は
和歌山県 新宮市 三輪崎
母親の実家があり
家は 浜の 近くの「まち」にあり
所有する田畑は 山側に
その中の
みかん畑は
三輪崎八幡宮の前にあり
みかん畑には 「小屋」があった
その 小屋で
友人と二人 寝泊りしていました
小屋 と 言っても
8畳くらいの土間には 炊事場があり
6畳の 押入れは別の 畳敷き
ある日
お祖母ちゃんが
「 熊野で のぉ 花火 しぃやぁる のぉし ええわだ 見ぃ〜 に 行かんし よ 」
( 熊野で花火を している ので 良いわよ 見に 行ってらしゃいよ )
と
言った ので
「 行こお ! 」 と なりました。
Tくん は マイ・カメラに 花火を 撮影したいと 言い出す
そこで…
大疑問が 湧き出す
花火の 撮影の 仕方 ? ?
ケンケン&ガクガク
で
だ
ワタクシ 言い放つ
「 ほんなん やっぱり フラッシュ や ろー ! 」
「真っ暗 や し … ? 」
続く
四国の 水瓶は 満杯に なった か ?
雨の音って 好きだ
後編
テストフィルムの現像待ち。
ハウスアシスタントのTさんが
大阪市内のラボ屋さんに行って
現像の上がりを 持ち帰るまでの 3時間の待ち。
スタジオの屋根はトタンなのか
雨が降ると パラパラと うるさかった。
暗いスタジオの 一角
何故だか ワタクシとOさん 二人 だけ
Oさんは
横浜育ちの 裕福なお坊ちゃん
「 学生の頃 やんちゃ やってた よ ! 」
って
粋がって 言ってた
そんな
Oさんが
「 一人 家の中で 雨音 聞くのが 好きだった 」
と 遠くを見るような目で 話した
よく 似た 話 を
妻から
聞いたのを
ワタクシも
思い出した
妻は
中学生で 一時 不登校 に なり
毎日 部屋から出ることがない
晴れた日は
何か 後ろめたい 気持ちになるのだけれど
雨が降っていれば
それが
不思議に
なくなる
ジー っと 部屋で 雨音を楽しんでた
らしい
で
あんな 強がりな Oさん も
どこかに
似たよな こころ が あったのかな ぁ ?
「ポジ 上がりました っ !」
と
Tさん 戻ってきた
雨音が
激しい
スタジオは
少し
大きいめの声で
「 お ゝ お疲れ っ ! 」 と
Oさん
パラ パラ パラ パラ パラ パラ パラ パラ パラ パラ パラ パラ
御仕舞
本日は 晴天 也
雨の音って 好きだ
前編
と
いう
言葉を
ポツンと呟いた Oさん
Oさん は 東京からのカメラマンで
瀬戸内沿いの小都市にある
オートバイのメーカー内のスタジオで
撮影する為に 年に2〜3度
来阪される。
そして
1度の滞在は 1〜3ヶ月間で
もう 何度も Oさんと仕事をしているので
ワタクシなりに ( Oさん は こんな人 ) って 思ってた
口癖は
「 バカ! 」
それから
「 何 やってンだ よ〜 」
「 チンタラすンじゃ〜 ねー よ 」
で
とりあえず
「 バカ! 」 は
接尾語・接頭語
の ように
連発でした。
へ 〜 ぇ
って 思いました。
実は
前妻(先代の妻)が
同じ言葉を 言ってた のを
思い出して
前妻の 実家は
奈良吉野の秋野川の岸辺に あり
彼女の部屋から 流れる川が 真下に 見える
窓の庇(ひさし)が 大きく 張り出し
透明な波板が貼られ
雨が 降ると
パラパラ と
独特の甲高い 音が 聞こえていました
大雨のとき
深い杉山に防音された 川沿いの町に
増水した 秋野川が 地響きの様に ゴー
そして
窓の庇 から パラパラ
続
午後には 雨上がる AM6:45撮影
2006.7.21
京大 は 行かず !
京大の ロケハンを 終え
彼 (アホ息子) の 心 に 《 目標 京大 ! 》 を 刻み込んだ
はず
だ
と
・
・
・
そう&こう して
高2 の 晩秋
「 ぼく 名古屋に 行きたい … 」 と 言う 彼
基本は
反対しない
ワタクシ
です
『 えゝ よ… 』
( それにしても ナギャ〜 かよ… )
( しっとり しない 街 だ ぎゃ〜 )
「 名古屋 に 住みたい … 」
らしい
彼は 一人旅 が 好き
北海道 ・ 沖縄 ・ 韓国 etc & etc
と
ロンバケ( Long Vacation ・死語?)の たびに
「 行ってきます… 」と
一人旅
で
日帰り
で
名古屋へは
何度も
行っていた な…
ん
で
先々週
の
7月9日
そんな&こんな
で
【 名古屋へ 行こう! 】に なり
サブタイトルは
【 きし麺 買うぞ!】で
サブサブタイトルが
【 N大 へ 行こう! 】
で
N大の ロケハンも して きました 。
何故
名古屋大学 で なく N大
なのか ?
あまり にも リアルな 目標設定 で
来年
アホ息子が 失敗した時には
ムナシい 固有名詞に
なりそう なので…
多少の
気遣い
そろそろ T市 の 話 に
つゞく
のか… ?
立てたはずの パラソルが また 寝てる AM6:35撮影
2006.7.20
京大 へ 行こう !
B
京阪「出町柳」
東へ
徒歩20分
百万遍の交差点に到着
南東ブロックが京大の一角
石垣の上に 砦があった
アジ看(アジテーション看板)を見ると
「石垣撤去反対!」
1970年頃を彷彿とさせてくれる
文字使い
櫓(やぐら)が組まれ
(確か…)
炬燵に足を突っ込んだ
甚平姿の学生が数人いた
その風景も 時代を感じる
( 若い内は 何でも し〜 や ぁ )
と
構内に入り
当ても無く
ウロウロ
あった!!
汚い
吉田寮
築100年にもなろう
ババちい木造建築
が
絵になる建物
『 食堂 見とこ 』
と
正門横の
「カンフォーラ」
を
外から
眺める
不釣合いにハイカラ
時計台をバックに写真を撮る
正門を出る時に
アホ息子に
『 I'll be back
!』って 言いなさい
と
言ったら
「 いや ! 」って
言われた
正門を出て
東に
どんどん
高くない
吉田山を越えて
まだまだ
東へ
哲学の道 に 出る
疎水 沿いに 南に 下ル
途中
赤い毛氈を敷いた床几に腰を下ろし「 茶シバく 」
南禅寺に 到着
晩飯は 湯豆腐 「順正」
と考えていたが
まだ 時間が早いので
定宿の チェック・イン し にいく
三条蹴上
都ホテル
の
隣の
ニューデミアン
玄関に
全部屋の写真をディスプレイ
ラブホ
であり
ワタクシの定宿
である
つゞく… の?
程好い 曇り空 AM6:30撮影
2006.7.19
京大 へ 行こう !
A
高校に入学し
初めての
校内テストの結果
《 学内400人中/ 3位 》
( へ〜 頭 良かったン や ぁ )
で
しばらく し
全国テスト
《 もう少し 努力すれば 目標大学に いけるかも 》
の
コメントが
書いてある
結果発表
『 目標大学って 【京大】 ? 』
「 う ん … ! 」
アホ息子は 軽く 答える。
( もう少し 努力すれば… って 言われても アホ息子が 勉強をしている 姿 を 見たことないし… 『 しろっ ! 』 と 言った事も なし )
妻も ワタクシも 慌てた
「 好きにすれば… 」 が モットー で
「 フツーな 子 」 と 思って た のに …
そこで
ワタクシ
結論を
出した
『 京大 に 行こう!』
と
宣言!
『 次の 日曜日に 』
『 一泊二日で 』
と
「宮きし麺」
昨日で完食
次は
「山本屋総本店」
移ります
つゞく…
強風で パラソル 倒れました AM7:00撮影
2006.7.18
京大 に 行こう !
@
息子は高3です。
来年は
大学に
行ってる
はず…
テーマは
『 独り暮らし し〜 や 』
で
『 地元で 良い 飲み屋 探しといて や 』
です。
で
『 出来たら 京都が 良いな… 』
もしくは
『 金沢 なんか も 良さげ… 』
って
中学の頃から 息子に 言い続け て ました。
で
中学生の頃 って 偏差値 みたいな もん は
平等主義を 謳ってるので 競争させるのを 止めてます よ ね …
ん
で
高校の入学式
突然
先生たち が
入れ替わり 立ち代わり
「大学へ目標! 目標の大学!」
って
大声 張り上げて
( こゝは 予備校 かっ !? )
と 思うほど びっくり しました 。
そんな
ある日
「 お父さん 希望の大学 京大に しといた よ 」
「 第二は 金沢大学って 書いた よ 」
って
アホな
息子が
言いました。
この話
きし麺 な 名古屋の 話に
つながりますので
ご容赦を…
I'm keeping
今宵は ※※Z で R AM6:30撮影
2006.7.15
きし麺 との 出逢い
C
日本全国 宿泊のロケ を 経験しました
が
土産は 買った こと なし です 。
そんな
ワタクシ
が
帰宅し
て
「 お帰り ぃ 」
と
向かえた 妻が
ワタクシを見て 驚く
「 ど〜 し たン ? 」 「 それ なン やの ? 」
『 んゝ きし麺 … 』
「 全部 ? 」
「 ん ん 」
日頃
荷物を持つのが キライ な ワタクシ
妻に 付き合って 買い物に出ても 荷物は 妻 が …
な
ワタクシが
両手に 重そうな 紙袋を 一杯
ぶら提げて 玄関に 立っている
「 ほんっと に あなた バッカ じゃ〜 ない ! 」
包装紙を解きながら
妻
呆れ ながら
言
う
そんな こんな で
その夜から
毎日々々
きしめん
そして
食べ比べてみて
よしだ が 優勝しました
それから 我家は 欠かさずに 台所の棚には よしだ の きし麺
それが
1989年 の 出来事 だから
17年前
の
37歳の時
ん
で
ワタクシ さらに おとな に なってる
はず
だから
・
・
・
味覚も 変わった かも 知れない
の
で
この日曜日に
きしめん
各種
を
買い
に
名古屋
へ
でした 。
昨夜
宮きし麺
でした。
次
名古屋の小旅行の話
して良いかな…?
続くのかな?
芝生を刈ったので ベンチを移動 しました…AM6:30撮影
2006.7.14
きし麺 との 出逢い
B
えび天おろし
名古屋といえば
( えび天 だ ぎゃ ぁ )
それに
大根(でやこん)おろし
( 美味そう だ ぎゃ ぁ )
きし麺 は
べらべら ちゅ〜 感じ で 口の中に
歯ごたえ しこしこ もっちり
( どえりゃー うみゃー でぇ! )
麺好き な ワタクシ
感動!
ん
で
勘定をする時
レジ横に 「乾麺 10袋 詰合せ」を 発見
「 すいません おばさん それも… 」
と
ずっしり と 重い 紙包み
よしだ を 出て
( きし麺コレクション を しよう!! )
と
決意
地下街 ESCA 中 を 探しまくる
・宮きしめん
・山本屋総本家
・山本屋本店 ( 総本家とは 違うらしい やゝこしー )
・ETC etc エテセトラ …
紙袋 5〜6個
よいしょ よいしょ
ふー ふー
と
新幹線 に 乗込む
keep
on
芝生 刈らねば …
2006.7.13
きし麺 との 出逢い
A
昔の 華やかな 仕事の話 は
「きし麺」ネタが 終わったら 書こうと思います。
賛成の方は こちらをクリック して下さい
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ウソです!
そんなに 叩かないで下さい!
必ず 書きます
スタジオでの 仕事を 終え
「名古屋で 一番 高い ホテル 予約して… 」
疲れきってた ので
present for me です。
翌朝
名古屋ヒルトンを
後にし
歩いて
名古屋駅まで
( ただ寝るだけで ホテルの最上階を 利用するのは バカ だった… )
( 名古屋 で 名古屋 な 食事って してない な… )
( きしめん 喰お !)
ブラブラ
きしめん屋さんを 探しながら
30分 近く
名古屋駅 到着してしまう
(地下街には 必ず ある!)
地下街 エスカ へ
階段を 降りる
探しに 探して
どんつき
に
小ぢんまりした
「きしめん よしだ」 に
入った
と べ こんちんう
風よ 吹け 吹け 蒸し暑い ぞ! AM6:30撮影
2006.7.12
きし麺 との 出逢い
@
1989年
愛知県
の
T市
に
ある
自動車メーカーの
仕事で
1ヶ月
缶詰
出版社
MガジンHウス社
クライアント
スポーツ系 (って 言うか 動く 自動車 系) の カメラマンさま
を
用意
が
走っている
自動車を
かっこ良く
撮るのは
得意
だ
が
・
・
・
スタジオ撮影の
経験は
無し
そこで
探し に
&
探し…
て
「大阪に 光源堂 が ある!」
と
恐る
恐る
の
電話
が
ありました。
東京の カメラ・クルー
と
大阪の ライト・クルー
が
愛知県
T市
に
集結
おい おい !
きし麺 の
話 は … ?
To Be Continued
ダルい 曇 AM6:30撮影
2006.7.11
名古屋へ 行こう!
夏は 素麺
で
す
が
きし麺も 好き っ
キーン と 冷した きし麺
つまり
冷しきし麺
けっこ〜 いけます 。
先週の土曜日
の
夜
少し 公(おゝやけ) な FM(front
meeting) を やっとこさ 終え
心
は
名古屋
へ
つー・びー・こんてぃにゅう
独りで 「梅雨明け宣言」 します! AM6:30撮影
2006.7.10
フロント・ミーティング
今日はFM(front
meeting) の日です。
前回
事件を起こしたので
今回
は
心 しめて のぞまねバならヌ
ワタクシ
向こう 三ヶ月間
公 (8oz内) の 席で は
酒
禁止
っ
て
言うか
出場
を
停止
させます。
昨夜の
鈴木さんの
ギャランティ・アップの
祝賀の席は
ちょい
酔い
でした。
昨夜
は
おおやけ(公)
じゃ〜 なく
って
こやけ( or ゆうやけ)
です。
がんばる… !
昨夜
彼ら デート できたの?
orihime
hikobosi
健忘症 その A
デビューしたてのメンバー
「 本当に ぃ ぃ ぃ 覚えて 上げなさい ! 」
妻であり
マネージャーでもある
彼女が
言葉 荒げに 言います。
10年程 前は
そばに いる 気のおける メンバーに
「 あいつ 名前 何 や った っけ ? 」
指さしながら
ヒソヒソ 聞いてたンですが
今
では
「お前 誰? 知らん!」
と
言い放ちます。
だって…
OT−1(オリエンテーションの初日) の 時 に
「 最後に ボクの 得意技 言います 」
と
健忘症の話を ちゃん と してる し
だから
「今度 君と 逢って 『誰?』 って 言うから ビックリ せんといて や… 」
って
・
・
・
・
名前と顔が 一致 する ように なるのは
3ヶ月 位 かゝり ます
無問題で 優等生な スタッフなら
半年位しても
「 誰 や った っけ かな…? 」
「 見た こと ある … 」
と
なります。
問題の 多い スタッフは
即!
覚えます。
では…
きょうも だるい くもりぞら
2006.7.7
ねがいごと
昨夜
七夕の笹に
願い事を
短冊に
書く
イベントを
しました。
例年
『大金持』
じゃの
『大富豪』
じゃ とか
真剣に 書いていましたが
ムリ! ムリ!
って 分かりました ので
今年は
『笑う』
って
書きました。
お金の事も…
仕事の事も…
ファミリアな 健康面 でも …
なにも&かにも いつも ニコニコ と
『笑う』
に
決定
したので R (あーる)
妻と子に
「おまえら も 書くように 」 by
磯野波平 風 に
強要したので R ( 同上 )
神様 お願い… !
またな
おだやか くもり な そら
2006.7.6
健・忘・症
先日 書きました
「スタッフ全員の名前を覚える」 6月7日
の
副作用が
発生しまして
それが
それ以降
持病になってます。
スタッフ全員の名前を覚えつゝ の 仕事をこなし
「お疲れ様でした!」
で
スタジオを
背にした
瞬間
全部
忘れる
恐らく
帰り道 駅のホームで 隣に さっきまでの○○さん が 居ても
( 知らない人 ) に・・・
名前は
おろか
顔まで
即!
健忘します 。
あの頃 (バブルな頃)
あち&こち で
パーティーが 催されてまして
毎週とは 言いませんが
月に2〜3度
で
「 苦労ちゃん も 出席し〜 や ぁ 」
と なりまして
会場で
ワイワイ してたら
向こうの方で
「苦労田 く〜 ん!」
と 大きな声 で 手を振り
ながら
人を掻き分け 近づいて来る
知らない人
で
ワタクシに
親しげに
話し出す
「 あの時 苦労ちゃん お疲れさん! おかげさんで え〜 のん 上がった わ〜! 」
と…
で
ワタクシ
健忘くん は
『 え〜 っと すいません… どちらさま ぁ でした ぁ っけ … ? 』
「 えー ?!?!?! 」
と
実は
これ
実話で
また
何度も あった 話 です… 。
ほな…
楠木の横の白い物体
浮いてますが
パラソル
です
2006.7.5
他人の作品
ダヴィンチ様の 「モナリザ」 を 鑑賞する
だ
とか
ピカソ様の 「泣く女」 を 拝見させて いたゞく
とか
セザンヌ様の 「睡蓮」関連 を 堪能させて いたゞく
も
言ってみれば
しょせん
他人の作品 です よ ね ?
「あの部分は あ〜 だの
こ〜 だの
この部分は あ〜 じゃり
こ〜 じゃり
全体として は … 」
と
我 事 の 様に 必死 で 解釈 & 解説 しても
しょせん
人 の もん
「 オレ そんな 気持ちで 描いて へんで ぇ まー ご勝手 に 」 by
作者
素人の作品
って
え〜
っ
と
無名 の 人 の もん
って
見たくない!
っ
て
気持ち
あります
よ
ね
・
・
・
どっか
( ワタクシ だけ? か な )
が
しかし
最近
だんだん
変わりました!
毎度々々
8ozの
ステップ・アップ・テスト
や
ランク・アップ・テスト
で
メンバーの
色々な
フィルム
を
見る
ん
です
が
とても
とても
大変に
楽しみに
なりました 。
ま〜 疲れる ときも ありますが
作品
って
為人(ひととなり)
です
ね
遠藤 ( END?)
夏拵え しました 。
2006.7.4
雨男のカメラマンさん
神戸からの手紙
と
いう
雑誌
ありました ね
今の「SAVVY」の前身
今 考えると
良い ネーミングでした ね
懐かしい気分で
ネットで調べて
一番 引っ掛るのが
震災復興を謳っている
特定非営利活動法人さんが
まんま 社名を 頂戴している
のが
分かりました
月刊誌 「神戸からの手紙」 は
1985年
廃刊され
そのまゝ
「SAVVY」を
続投 創刊
「SAVVY」は
NOWでYOUNGなファッション情報誌
「神戸… 」は
山手の オバさま向け で
美容室に
置いてあって
待ち時間に
眺める
ような…
気位が高い
ような…
関西の「家庭画報」を
目指してる
ような…
庶民は
ゼッタイ
購読
しないような…
しかし
ながら
ハイソで
気品があり
で
アーティーな
紙質も 厚く リッチです 。
えっ!
それ でっ ?
って…
こゝ 最近の 雨 で
雨男なカメラマンさんを
思い出したんです。
「神戸から…」の御用達 的な 外部カメラマンさん ですが
何度 神戸方面 ロケ をしても
雨
ひどい 時は 台風の中 で
ビュー ン ビュー な モデル撮影
を やった のを
思い出しました。
オープンロケの予定でしたが
急遽
神戸フェリー乗り場内ロケ
汚れたコンクリートが剥がれかけた
昭和な
建物の中
その 待合の 売店の前
で
外人モデルがハイファッションに舞っている のを
「いいね… いいね…」
って 言いながら
の 撮影
「冷凍みかん おいてます」
みたいな貼紙が
一杯
ぶら下っていて
売店のオバちゃんが
キツ目のパーマで
ダルそうに
こっちを見たり
の
違和感たっぷり
で
素敵な
写真が
いっぱい
並んでた
「 神戸からの手紙 」
でした 。
バ〜イ!
一日中 曇の空 AM6:30撮影
2006.7.3
雨降りの
アンニュイな
週末の
過ごし方
て
の
あれば
教えて下さい。
朝から の 雨
最近
雨降りの 外出 って 素敵 じゃん!!
って
思いました。
ウダる 暑さ 太陽 ギラギラの お出掛け より
ね ?
ただ
小雨
に
限り
ます
が
今夜は 大脇クン(8oz)の 卒園式 なので 出席予定をしてました が
「酒の席」 は 「謹慎」
な ワタクシ
の 今日この頃
アイツ(大脇クン)
には
最後に
一言
言う とかんと… !
ほら ほら
それ!
それ!
そぎゃん ごたー ぁ
謹慎 ば しなっ せ !
(九州 方面 の言葉)
大脇クン また ゆっくり な …
I SHALL RETURN !
昨日 ベンチの下の芝生を刈りました ので…
2006.7.1