@我家の暖房設定温度は14℃です。・目覚めの1時間・日没から就寝まで 17時〜21時A日没と同時に雨戸を閉めます。Bアンダーウェアは発熱素材の上下ですが上の上にもう一枚タートルネックのも着てます。C60になったら、ちゃんちゃんこ!「赤の」はハデだから、久留米絣の綿入りで腰まであるのでスースーしません、暖かです。
きのうの夜2日前から仕込んだ鶏の骨付きもも肉をフライドにし石窯で焼いた風なパリッ!ピザで聖夜を妻と過ごしました。そんな食卓には、当然、赤ワインでした。ケ、ケッ!その実体は…ちゃんちゃんこ着たおっさん&おばはんが畳の上の炬燵で、背中丸めながら上のマシーンを火傷しないよう「キャ〜!キャ〜!」ゆ〜てピザをハフハフ、ってーのがホントんとこ。でも、このマシーンはスグレモノ!石窯、とまではいきませんが宅配ピザ並みに出来上がります。予熱時間は別として1〜2分で出来上がりますから…焼いては→喰らい→喰らっては→焼くを可能にしてくれます。それは、410℃という高温がなせる技。あ、一応ぉこのマシーン8ozの宴会用に購入したもので昨夜はテスト、ただの実験でありましす。だって、、宅配ピザ、、高いもん、、ね… 。焦げてるピザストーンを洗わんと!
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カラフルだね〜
2011・12・24
( サンタさんは いてはる! )と、最初に思ったのは次男の兄と三男で末っ子のワタクシの汚れた靴下の中にキャラメルとガムが枕元に置かれていた、朝であった。次の年のクリスマスは、何故かワタクシだけになりその翌年から、あの、クリスマスブーツに変わりきらびやかさが大きく膨らんだ。そして、長女・長男・次男の目撃情報が出た。「サンタさん、きのう見たで!」と全員が言う。『なんで、起こしてくれへんかったん…』と、クリスマスブーツを片手にワタクシは訴えたのだ。2歳づつ上の姉兄たちは大人側だったですね。
子供の頃のクリスマスはケーキだ。姉が中学を卒業して勤めだしたときクリスマスケーキは姉が買って帰り「店で一番大きいのん、買ぉてきてん!」と確か11号サイズ33cmだと記憶している。母子家庭の5人家族で食べ盛りが4人。蓋を開けるとピンクの小さなバラの飾りが一杯に咲いていて、姉の少女趣味が満ちていた。仁丹のような銀の粒もキラキラ光って眩しかった。『Merry X'mas』の薄い板チョコは例年なら子供ら4人がジャイケンで決めるのだがその年、姉は「あんたら、し〜ぃ」とジャイケンを抜けた。台所から菜切包丁を持ってきた母に「それ、小さい!」とか叫びあう声の中にも姉は無くただ、サンタさんの飾りのあるケーキは「これ、わたし」とぶんどり去ってしまった。あの頃のクリスマスケーキはバタークリームだった。あんな飾り細工が出来るのは生クリームでは無理でデコレーションは矢張りバタークリーム限るよなぁ。
こちらに引越しをして残念なことは明石から遠くなったことがあります。引越し前は、三ヶ月に一度くらい明石に行き魚の棚商店街の西詰の「いづも」が好きで往復3時間の明石焼きの旅に出掛けました。さらに、片道30分の明石焼きも発見。阪急・六甲駅を南下、阪神・新在家駅前の「日の出もり家」という愉快な食堂を発見し足繁く通った時期もありました。こちら帝塚山に引っ越した当初、わざわざ懐しの地、明石まで行ったりしたこともありました。そうこうしている内に、思い出しました。阿部野に、ワタクシにとっての明石焼き発祥の地であった「たこつぼ」があったことを今は瀟洒なビルを建て、その1階で小じんまりと喫茶店風なお店になっています。ここの出汁は絶品だと思いますが、お好み焼きを注文するお客さんの御用達になっているようでちょっと足が遠のいてしまいました。そんなある日、あべのキューズモールが出来たのを期にアポロビル地下界隈を散策していたら「たこ八」と云う店を発見、意を決して、入ってみたところ…( うまい! )でした。出汁も( ま〜ま〜 )で、蛸も( そこそこ )入ってゝそれに三つ葉と生姜の甘酢漬けの刻んだヤツが容器一杯に出されて、好みで入れれるのがGooood!!、だった。薬味には葱の小口切りもありますが明石焼きに対する美違反だと思い、拒否。で、葱を入れた妻の感想は「あ、おうどんのお汁になった!」だそうです。
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ふたごねこ
2011・12・17
きのうとっくりセーターで首をしっかり守りすれ違う自転車のライトが灯りはじめたそんな夕刻、撮影先生をしました。受講生はCタイプに挑戦する大田崇郎君です。本番ではモデル風も兼ねるという風変わりな「動き」度チェックでありました。ま、モデルさんの気持ちも分かるように、かな…?今回、赤のバック紙でフラットなライティングではじめましたが、、撮影はスムーズを極めてましたが、、ワタクシの頭がアンスムーズでアンシックリを極め、、バックを黒に変更してからスムーズでシックリ納まり無問題で終了しました。〆はいつも、ニコニコ楽しい記念撮影です。あ、今回、本番のアシストはnothingですんじゃいまして、2人だけなので、ワタクシも大写真扱いになりちょっと生々っぽく刈上げクンが写ってまする。で、えっと…あ、そうそう!大田崇郎君のCタイプとしての「動き」は大丈夫です。一度、ストロボ・ジェネのACコードに引っ掛けそうになりましたが、すんでのとこ、気づいてセーフでした。ま〜、エレンクリップのようにバッチンバッチンとこき使って下さいませ、お願い申し上げます。
「文章はナシ」で…なにかイラストでも描こうかな、と「ナシ」と入力したら勝手に候補文章の「ナショナル」が出てきて「ナショナル」と云えば「坊や」か「キッド」を思い付き「ナショナル坊や」を描こうとしたけど、下手だった。では、キッドを…、とやって、もっと下手々々でした。ナショナルキッドは小学4〜5年の頃のTV番組。空飛ぶヒーロで提供は松下電器現パナソニックでした。販売促進用グッズのキッドのメダルと光線銃型の懐中電灯はワタクシのお宝でした。
上の写真は《エジソンのお箸》と云い正しいお箸の持ち方をトレーニングするモノです。ワタクシ、お箸を正しい「ぽい」持ち方は出来ますが60歳にもなると指の動きが鈍くなり「ぽい」の2乗の「ぽいぽい」になっていくのに気付きえゝ年していちから練習ということを決意っす!
一等賞 大谷幸香さん
『はい、坊主!』ですね。梅佳代さん『男子』とは違う…木村伊兵衛さんですかね…あ、この接近の仕方は土門拳さんの初期の子供の写真ですね。二人の男子の顔が良いです、ナイス・シャッター!!二等賞 大田崇郎くん弱いけど、良い写真です。きっと観察眼力があるんでしょうね。
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シクラメンに光を
2011・12・10
昭和43年1968年 高校2年 秋ビートルズの『ヘイ・ジュード』がラジオから流れた。当時、ラジオは1曲3分程度の割り当てだったので7分11秒のこの曲は後半のシャウト&コーラス部分をカットして放送していました。だから、と言っちゃ〜、強引ですがワタシクシの耳は3分に慣らされています。あのロックのクラシック的名曲『ヘイ・ジュード』ですら3分処理ですから。だから、と言っちゃ〜、生意気ですがクラシック、長過ぎますよ、『運命』って約40分だもん。トイレ休憩なし! ですし…。あ、それと、蛇足をもう一つ…カッチーニ作曲の『アヴェ・マリア』ですが、あれって、実は、カッチーニさん作曲じゃないらしいです。カッチーニさんは16世紀のバロック音楽家なんですが1970年代にソ連の作曲家のヴィヴァロフさんとゆ〜人がこの曲を『作者不詳』で発表したのが、90年代にCD化のとき誤って『カッチーニ作曲』としてしまい、その後スラヴァさんで大爆発ヒット、そのまんまカッチーニだそぉ…。ほらね、クラシックちゃうやん! 現代音楽やん!お終い
15年前の12月の昼間炬燵に入ってウトウトしていたら天から降ってきたような美しい歌声が聞こえてきた。( これは寝ている場合ではない! )とつけっぱなしのTVに目をやるとなんと!男性が歌っていた!♪ア〜ヴェ〜マリ〜ア♪とアヴェ・マリアだけを繰り返し歌っている、透明で綺麗な声だった。続いての歌もアヴェ・マリアでシューベルトだったと記憶している。歌い終わると、黒柳徹子さんが出てきて 徹子の部屋「それでは、もう一度ご紹介します。◯◯国からお越しになった、カウンターテノール歌手でらっしゃいます、スラヴァさんです。」急いでメモを取り、番組が終わると直ぐに当時、芦屋に住んでいたので、三宮に向かいそのCDをゲットしたのだ。それは『アヴェ・マリア』というタイトルで色々な作曲家のアヴェ・マリアだけを収めたCDだった。その1曲目がカッチーニ作曲の『アヴェ・マリア』でワタクシを惰眠から目覚めさせた曲であり…そのCDの中でリーピト率が高い曲でもあり…そして、なんと!8ozのロービーで我に返らせた曲だったのです。ロビーで聴いてピンと来ないワタクシの音痴度は相当なもんだと気付き、この文章に至ったわけです。でも、もう一つ蛇足を付けたいので…カッチーニ作曲アヴェ・マリア/スラヴァつづく…
あ、この響き…マーラーの『アダージェット』。…やんな?れ、れ、ちゃう?先日8ozのロビーで微睡んでいたら気怠く耽美な音が流れてきてはっと我に返り脳味噌が曲探しをはじめていた。( どっか、ちゃうような気ぃも… )とCDプレーヤーの上に置かれていたケースの文字を読みだしたが「マーラー」の文字は無い。2枚組で全30曲の「クラシック・おいしいとこ取り」みたいなCDで1曲が3分程度に納められたものだった。交響曲だから『アダージェット』と違う、第◯楽章とか…結局のとこ『アヴェ・マリア』カッチーニ作曲と判明した…つづく…
クラシックで有名といえば『運命』で♪ダダダダーン♪は約10分の演奏。これは第1楽章だけで、2楽章となると素人耳では♪ダダダダーン♪の面影もなくなり穏やかっぽい曲調に変わり、これも10分間。で、4楽章まで続くそうで…今朝、YouTubeでザっと聞いて見ましたけど(ファンの方には申し訳ないですが)第1楽章で十二分でございました。中学3年、はじめて買ったレコードが堺正章さん所属のザ・スパイダース『夕陽が泣いている』約2分30秒で、裏面は『チビのジュリー』もグー!だった。シングル盤価格は370円で、平均月収が2万円の時代。クラシック、例えば『運命』を買うにはLP盤でしか購入不可。LPレコードは定価2000円弱で、月収の約10%で高額ですね。輸入盤は3000円もしますが、クラシック趣味の人は恐らく輸入盤を購入だから、金持ち趣味だったんですよ。レコード屋さんに行って「すいません…、『運命』第1楽章だけ下さい」なんてナイ!ナイ!ですもんね…。昭和時代、革のソファーに身をゆだね豪華オーデオセットの前にしブランデーを飲み、パイプ煙をくゆらせ静かにレコードに針を落とす…で、ベートーベンが鳴り響く。つづく…
子供の頃はラジオをつけると、落語・浪花節そして歌謡曲ばかりだった。中学生になるとテレビは歌謡曲でラジオは洋楽を流していた。1曲が約3分で終了する。3番までの作詞があっても、2番以降はうる覚えが当たり前である。洋楽はカタカナで覚えて多少、コブシが入ったりしてたのに…中学二年の音楽の時間に、先生が「机に顔を伏せて、目をつむれ…」と言われ全員がそうしていると、ある曲が流れてきた15分程度その姿勢で聴き終えて顔を上げると「これが、ラベルのボレロや…」と先生が告げた。終盤の不思議めいた陶酔感の、不思議さ。これがクラシックというものの出会いであった。つづく…
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へーーー餅つきかぁ
2011・12・3