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あぁ美しい
2011・7・30
僕のパソコンのスピーカー自分で買ったスピーカーそこそこ大事にしてたのに壊れて出ない右の音どうしよう どうしよう※@オシャマンベトカチヘーヤバリバリ ベンベンベン!オシャマンベトカチヘーヤバリバリバ!どーもこーも音が出ない少しもちっとも音が出ないそこそこ大事にしてたのに壊れて出ない右の音どうしよう どうしよう※@どうにもこうにもあーじゃりこーじゃり音が出ないどうにもこうにもあーじゃりこーじゃり音が出ない妻はまったく興味なく知っていても買ってくれないどうしよ どうしよ※@
「もしもし、閉門しましたよ。」一の鳥居をくぐり太鼓橋を渡ろうとしたら住吉えびすの辺りから、詩吟を唸る声がゆかしく聞こえたのでのぞいてみたりして、ようやく、初辰参りの一番の参拝所の種貸社に向かって歩きはじめたら、守衛さんが寄ってきて告げた。「ここは4時閉門で、本宮なら5時まで開いてますよ。」( あちゃ!やっても〜た! )せめて、7月度の招き猫様を購入したいなぁと、守衛さんを見たが暖簾に腕押し、背を向けてスタスタ歩いていってしまう。で、一計を案じて、本宮に参拝し、そして授与所とゆう土産物売場で「それらしい」モノを買って怒り狂っている「6月度」の招き猫様に添える!という計画に変更をしました。「どれにする?」と言う妻に『その、金ピカで目出度そうなんで、ええやん』と「金運御守」を買い、帰宅早々に「6月度」様の横にキラキラ光るのんをセロテープで貼りつけたらなにかしら「6月度」様が ( ま、ええけど… )と言ったように思いました…。で、実は、きのう、一応、初辰さんの4ヶ所の神社にこっそりと行ってきました。なんか…、初詣を2月に行くようなもので人っ子ひとり居ない、ある意味、優雅で、ある意味、淋しいはたまた、気の抜けた参拝でした。これにて、神のご加護を!
7月13日 午後7時暗くなりかけた部屋の電灯をつけようと何気なく壁のカレンダーに目をやり、驚いた。( 終わってる…! )赤い丸のタックラベルの日は( きのう… )だ。住吉大社の月参り、7月の「初辰さん」は終わった。あんなに忘れないようにと、貼ったはずの赤い丸は見慣れてしまい、ただ、色のアクセントとなっていた。( じゃ… )と、次の「二の辰」でもとりあえず有効と言われているので、調べてみたら、7月24日だった。この日は絶対に忘れないようにと、大きく筆で書いたのに…
きのうの日曜日は色々なことを一杯に楽しんで書くべきことが沢山あるんですけど…とりあえず、上の写真を載せなくてはならない事情になりました。この小さな土人形の「招き猫」様がおっしゃるには掲載しなければ「バチ」を当てると恫喝をされまして( それは、困る… )ので一生懸命に「ハイ、チーズ!」と誘っても、微動もせず「1たす1は…!?」と聞いても、ニ〜ともせず不動なるお姿、そのまんまを頂戴しました。嗚呼…
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わたし犬がアレでして…距離が必要です
2011・7・23
で、話は変わりますが…子供の頃に習ったのは「農業」「漁業」などは「収穫」という言葉だったはずなのに最近、この第一次産業でも「生産」という言葉になっているな…、と 感じてます。第二次産業の「自動車」や「船舶」なら「生産」で、すんなり脳に納まりますが「米」、特に「魚」の「生産」は、引っかかります。「生産」という「経済用語」でまとめてしまってから農家や漁師の「頭」も「経済性」「効率化」になったんじゃ〜ないのかな、と、思っています。小学校の社会の先生が言った言葉を今でも覚えています。「日本は第三次産業がしっかりしている国でアメリカのような先進国のように、銀行などのサービス業で成り立っている国とは、違いますから… 云々…」あの頃の日本は「発展途上国」と教えられましたから、多少、先生の嫉妬も含まれていた口調だったとは思います。また、バブル期に旅行代理店が「新しい商品として、ヨーロッパ一周旅行」なんて言ってたんですが、この「商品」という言葉にすごい違和感を覚えたんですが、今では普通に聞こえて、不思議です。
今は蓮の葉でいっぱいの桃ヶ池調べてみたら、大正時代の記述には
…と、あった。ワタクシの昭和30年代の記憶では…
桃ケ池住所 大阪市阿倍野区桃ヶ池町1丁目最寄り駅 ・JR阪和線 南田辺駅 ・地下鉄 昭和町駅
で、先日、ホームセンターで「これ」を購入しました。その訳は、桃ケ池でいか焼きを食べるためです。自転車散歩で王子商店街のいか焼きの「大」を2枚買って桃ケ池の畔で、立ってパクつくいていたんですが( やっぱ…、シットダウンで… ) と思い買いました。木陰のベンチは老人たちが占領しているので空いているためしがありませんから…。あ、そっか!ワタクシも、もう、老人の仲間だから「先輩」たちを敬ってのことです。
先週の土曜日、撮影先生をしました。研修を終え、いよいよ猫の手チームとしてスタッフ入りする、赤穂幸奈さんが受講生でした。モデル風は、当日フロント勤務をしていた西田恵さんにお願いしました。前回、出来なかった「スタジオ内ロケ」を天気が良くスタジオにある程度の光が回っていたので決行しました。スタジオの露出 1/8秒 F5.6バックのスタジオ風景に白紗を張りフラットなボケアシを演出してみました。カメラの両サイドにアンブレラで「複写」的2灯をスタンバイしましたが、絞りが出すぎたためにアンブレラを外しそのまま、白壁にバウンドさせ散光させ、光量を落としました。モデル風の西田恵さんはボーイッシュ・ウエスタン・アーント、つまり、関西のおばちゃんを志向している、脱少女的女性なので「フェミニン」を演出するのは難しいと判断し「動き」の中で「何か」が出れば…、と動いてもらいました。撮影データー 1/15秒 F5飛んだり跳ねたり走ったり、ご苦労様でした。撮影の〆は、楽しく&愉快な記念撮影です。えっ、っと、、あ、そうそう!猫の手としての、赤穂幸奈さんの仕上がりは「ど〜か?」ですがけっこー「猫」していますので、安心しました。バッチン(エレンクリップ)のようにバッチンバッチンご使用くださいませ、お願い申し上げます。え、、バッチンは死語…?
向かいの中学校は昼休み時間なのに静まりかえっています。校庭以外からの生徒達のざわめきが流れ込みます、少しだけ。おそらく、熱中症の対策だろう校庭で遊ぶことを禁止しているのでしょう。
街から扇風機が消えました!我家の扇風機が大型過ぎて音が大きいので、首振り式のサーキュレータータイプのがあれば…と、量販店、ホームセンターと渡り歩いているんですが売場には、そんなものは、存在しません!オモチャの様なモノか工事現場で使われている、あの黄色い大型のくらいしか、存在しません!先だって、ゴーヤの苗も消えた話をしましたが今、扇風機もです!!で、とある量販店で( やっぱり、ここも無いんや… )と帰りかけたときにエレベーターから上がってきた金持ちそうで、ちょっと、アブなそうなおっちゃんが家電売り場へ降り立つなり「おゝ〜! 扇風機売場、どこや!」と、先頭立って、ダミ声の怒鳴声で大叫び身体を揺さぶって歩いてらっしゃいました。( 残念…、売切れ! )
きのう、撮影先生をしました。受講生はCタイプ内でギャラアップを目論んだ、菊地佳那さん。モデル風はフロント勤務をしていた小林かおりさんにお願いをしました。きのうは雨が降っていたのでスタジオでロケしようと思っていたんですがメーターが上がらず、泣く泣くスタジオでスタジオ撮影(?)に切り替えました。バック紙3本(色)を構成し、その前に白紗を垂らして、フラット&パステル調に落ち着かせてみました。モデル風の小林さんは、モデル「経験がある」とか、なので大変スムーズに流れて、20分もかからなく終了。で、「お疲れ!!」の後は、楽しく愉快な記念撮影なんですが、、、ワタクシ、ロビーで「即!」beerで良い気分になり忘れてしまいましたので、菊地さんのポラ(?)をアップしておきますので、ご容赦くださいませ。え…あ、そう!そう!と、菊地佳那さんのコメントを書こうと思ったんですが、、ランクアップではなく、Cタイプのまんまなので「別に…」なんですが、ま、作業進行上、全然、気にならず、目障りにもならずスムーズだったので、「良い」と思います。今後も以前同様にお引き立ての程、よろしくお願い申し上げます。
三宮駅からガード下の店を冷やかして歩いた。ついに、元町駅まで来てしまい何も考えずに、元町商店街のアーケード下に。「何を」買うのか?忘れてしまうほど暑さに疲れてしまって行列が無い方の豚まん屋の『老祥記』に入り、食欲は無いけれど見知った「店」で涼を取り、座りたかったそんな理由で入った。もう少しで神戸駅だから…ハーバーランドで、糞暑い「海」でも見てなにか達成した気分で終えようと、歩き出したが…「6TOWN 食味街」「地下鉄入口」という目立つ看板の割りには、照明の無いその先がブラックホールの様な穴が妙に気になって、降りてみた。食堂街はことごとく店が撤退したのか夜には営業しているのかが分からないくらいその「街」は真っ暗い「街」で通路の空いたスペースには、店の元置物や元厨房機器が散乱し、ホコリもうっすら溜まっていた。ようよう、地下駅「西元町」に出たのはいいがやはり、構内全体が薄暗く、決して、省エネではなく年季の入った昭和の暗さであった。ホームに向かう階段を降りていくと恐らく( 地下水? )の音がゴーゴーと聞こえるがホームに降り立つと、他の音が無いつまり、エアコンの音が無い…どんなに耳をすましても地下水の音だけの奇妙な駅の音風景であった。まるで、大林宣彦氏の映画「異人たちとの夏」のタイムスリップした主人公のように ( あの頃に戻れるのか? )とふと、思わせる、そんな「西元町」の駅でした。
20年くらい、昔の話です…。朝、目覚めたら、右足に激痛が走りました。前の晩、痛飲して2階から泳いで1階に降りてきたときにきっと、滑落したんだろうと考えました。当時、酔っ払うと、廊下を泳ぐのが癖だった。客間が2階にあったのでお客さんが帰ったあとで、しばらく仕上げのアルコールを補充し、1階の寝床にもぐり込むんですがその移動をswimmingするのが楽しくてよく、やっていました。で、階段くらいで、足を滑らせ(?!)て( 骨折したんかな? )と考えていたら…、なんと!!痛風だったのでした。そして、3日ほど前から( 痛風、再発か!? )的激痛が右足の親指の付け根付近に!痛風の1番の原因のプリン体含有物ビールは、5年ほど前から、止めているし…( はて…? )とよくよく、調べましたら外反母趾でした。で、今、お気に入りの靴、すべてに押入れから引っ張り出してきたシューズキーパーの外反母趾のあたりにアダプトするダボを取り付け革靴を変形させ中でございます。痛で、で、で、、、
■一等賞 家古谷知彦くんどうしようもなく、、家古谷くんの、やな…。写真、良し!コピー、良し!レイアウト、良し!このまま、駅貼りに使えそうや。■二等賞 西田恵さんショートホープの銘柄広告になってますね…。コピーは良いと思います。■三等賞 該当者無し
部屋をクールダウンするため雨戸を閉めている、その隙間から七夕飾りのトップスター吹流しがシャラシャラと風になびいています。笹はベランダにスタンバイ!短冊の折り紙も用意してある!後は…願い事を書くだけです、が…これには一筆入魂しなければならないので充分、脳をアルコール消毒してからでないと、ダメですから今晩は、気合を入れて、飲む!!…のです。
風鈴で思い出すのが…まず、貝の風鈴です。モビールのような仕組みの真珠貝を薄く削ったような細工になっていて風が吹くと、シャラシャラーと涼しげでビジュアル系でした。あこがれていた女性の部屋の窓辺に揺らいでいました。「岬めぐり」や「心の旅」が流行っていたっけ。次に、江戸風鈴。手慣れた金魚の絵がヘタウマ風で素敵でした。ガラスの切りっぱなしのギザギザにガラス棒が当たりシリシリシリという音を発し江戸人の好みを分かったような気になりました。ある人と同棲をはじめた夏に買いました。町中の人が「渚のシンドバッド」を踊ってたような頃。次は、パイプ風鈴、ウインドウチャイムでした。6本くらいの金属パイプが下がっていて風に煽られると、バリのメロディーを奏でました。これの竹で出来たものも買ってみました、とてもバリ島な気分だったのを、思い出します。バブルの絶頂期、美空ひばりさんが「流れ」てしまった頃でした。でも、しかし、やっぱ!今年は、明珍だぞ。
△ ありがとうの反対語は、何?● ありがたく無い? 普通? 別に…、かな…?△ 正解!!● なんで〜?△ 若い人に聞いたら『ごめんなさいですか…?』って言ったの● それって…、魔法の言葉を見過ぎで、影響されたんやろ…30年ほど前からこのありがとう現象が始まりだした、と思う。これはファストフード店が蔓延しだした頃と同期する、と思う。ありがとうという言葉は、良い言葉で、大変有り難い言葉ですが、30年前は、余り使っていなかった。で、それ以前は何だったのか考えてみました、らすんませんで済ませていました。今でも、こっちの方が一般的かも知れませんが…。感謝の意も謝罪も、どっちにも使っていました。毎朝、妻はNHKの連ドラの「おひさま」を観ているんですがワタクシの中で、腑に落ちないのがありがとうとごめんなさいの乱発で、毎回、10回は役者さんが言っているのです。戦前からも、このドラマの舞台の長野県の安曇野や松本市では、普通言葉だったのかもしれませんが、ワタクシ、大いに違和感アリ!です。もう1つ、言わせてもらえば…毎回のハグが多過ぎです。ワタクシの育った、あの頃は身体的接触は皆無で手をつなぐくらいがせいぜいで親、兄弟とハグなんかしたことnothingでもしも、男友達とハグなんかしたら「オカマや!」でしたし間違って、知った女子と手をつなぐ、なんてしたら結婚を決意しなければなりませんでした。あ、これは言い過ぎ、かな!ま、戦前でも長野県の安曇野や松本市では、当たり前だったのかも… 。
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別品種咲きだした
2011・7・2
上の写真は「醤油差し」です。昨晩から、テーブル・デビューしました。ワタクシにとって「醤油差し」はある種、コレクションに近く子供の頃に使っていたような5〜6角形のぶ厚いガラス製のを使ってみたり粋ぶって清水焼の小洒落た陶器製のに入れたり垂れないのが売りの頭にシリコンのドームがあるワンプッシュ式のだったり… と色々試しましたが…今回のは、コスメ売場にあったスポイド式の奴を見つけて、「これや〜!」と感動の余り、買っちゃいました!