この垂幕をはじめて見たとき( 目障りやな… )くらいで書かれた文字を読んでいませんでした。下の定点写真を振り返ってみたら4月3日に垂幕が初登場しています。数日しても、外す気配がないので仕方なく(?)文字を追ってみました。( へー この中学校からサッカー選手が出たん… )と、また、数日してから( 1972年卒業かぁ… )で、また、数日して( 1972年卒って…、おっさん ちゃうん!? )ほんで、次の日( なんや、監督 かいなー )( そら、そーやろ… )1972年といえば、ワタクシ、社会人の2年生でそろそろ、会社(社会?)という形態がウッスラと見えてきて嫌気がさしてきた頃だったなあ…テレビをつけると、女性アイドル歌手が大量に露出天地真理さんが「一人じゃないって」って、応援してくれ小柳ルミ子さんが「瀬戸ワンタン、日暮れテンプラ」だったし身近では、千日前ビルの火災があり通りかかった兄が協力した「上から落ちてきた人をタンカに乗せたんやけど、な靴とか鞄も一緒に乗せてんけど、はずれた血だらけのアゴは どーしたらええか分かれへんかってんけど一応、タンカに入れたんや」と泣きながら言ってた、な。あんな頃に、今をときめく岡田監督がこの中学を卒業したん…
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スポーツ日和
2010・5・29
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ハーブ育ててます
2010・5・28
通信端末という言葉が流行りだしたのは1980年代の後半、ジャニーズの「少年隊」と「光GENJI」が「川の流れのように」交差していた時代だったと思う。携帯型のワープロ(!)にモデムを付けてFAXを送るそんな時代を過ごしました。公衆電話の送話口にカプラなる物を密着させ「ガーガーピーピー」鳴ると、FAXが送信される。嬉しがって、2〜3度、送った経験があります。しかし、そのFAX内容といえば「明日、大阪に18時着」「ロケハン終了す」の様な話せば5秒程度のものを…鞄からワープロを出し、線を繋いで、10円玉を投入し… と、通りすがりの人は(??)状態で大変に焦る思いをした記憶があります。1993年、ポケベルの全盛期シャープの電子手帳「ザウルス」が発売されワタクシ、飛びつきました。なんといっても「手書きメモ」機能が素敵でしたね。思いついたら、すぐ「書ける」機能が… 。ワタクシはメモ魔です。そして、昨夜「手書きメモ」のアプリを100円とチョッとでダウンロードしました。FAX機能は、残念ながら、付いてません… がなに不自由のないエンジョイのライフっす。メモ魔なワタクシです。
あっ・・・虫 気付かなかった
2010・5・25
東京で写真科の学生をしていた頃の食生活はひどいものだった。原宿で新聞配達していた2年間は住込みで賄い付だったので食事は万全だった。その後の2年間は食事をすることに興味も無く練馬のアパートの近くのパン屋さんで食パンの「耳」をただみたいな値段で買って友達が石井食品にアルバイトをしていたのか(?)何故か、いつも大量にあった「イシイのハンバーグ」をボイルもせずに「耳」の乗っけてパクついた。それに、せんだみつおがCMをしていたインスタント麺「ちびろく」が押入れにいっぱい放り込んであった。ラーメンと云えば…学校の「江古田」駅前のラーメン屋は100円でネギは取り放題だったので、野菜不足を補うためラーメンが見えないほどにネギを盛っていたあの店の麺汁は東京なのに限りなく透明に近かった。先日の暑い夜ビールのあてに冷奴が食卓に乗った。見ると、ネギが山盛りだったので『なんで?』って妻に聞いてみた。「だって、おいしそうなネギだったから… 」と答えた妻に、ワタクシの東京のネギラーメンの話をして(あ、あのラーメン屋のネギは青ネギだった!… 東京なのに…? )と 思い出した。「このネギ、いっぱい使える料理がしたいな… 」という妻の提案に『ネギ焼き』と答えきのうの日曜日『いか焼き』のフルコースの最後はネギのてんこ盛り焼きを作った。「なんか…、ちょっと…、」と首をかしげる妻に『やっぱ、ポン酢かな…、粉もんソースと違ぉて…』「そーねー!」『ソース、ねー!』
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枇杷子
2010・5・22
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紫がまぶしいぞ
2010・5・21
気温が上がり座敷の窓を開け流れる風を通しました。そんな、きのうの夕方向かいの校舎の天辺に日の丸国旗が棚引いてた。おゝ、戦後レジュームを脱却しているのだろうか?と夜中、気になって見てみたら「脱却」しっ放しだった。今朝も…嗚呼…
一等賞 該当者無し最近、みなさん全体に弱いですね…。仕事を励んでいる合い間も「見る力」それに「心」の準備をしておいて下さい。二等賞 菊地佳那さんチューリップの花の光の透過って、こうなんですね…。それに、このアングルを発見したのは、エラいです。が、しかし(だから、ど〜なん?)とも、思います何か、ネクストが欲しいですね。
吾輩は薬缶である。名前は「茶瓶 裕照」だが、前回とは少し変名をした。ま、そんな、話は次に又ユルリとしよう。南側の30尺はある大窓から降り注ぐ、晩春のにぶい陽光。吾輩をあちこちに移動させ、獲物を狙うがごとくの眼光たちにさらされ、吾輩のやる気も徐々に高揚してきた。吾輩の立ち位置が決まり、作業は静かに進行す。いつものように「トレペ」と云う紙の小屋に囲われず作業しているスタッフの様子が見え、少々の安心感と、見られている緊張感、恥じらいの心が行き来する。「あの映り込み、なに?」と主人が問う横から「あ、汚れです。」とチーフが即答し「ちっ、小汚いケツやな…… 」と頭を振っていた。吾輩は思わず、叫んだ。「吾輩を汚したのは、貴方ではないか? 二年前の冬の夜したたかに酔っ払って帰宅し、妻君が止めるのも聞かずストーブを点火、そのままグーグーと寝入ってしまい空焚きのまま、朝を向かえ、妻君にこっぴどく叱られたあの事件、お忘れではないですな? あの日の「焼き」で吾輩の底部の火傷あと、つまり「小汚いケツ」になったのをお忘れになったのか!?」と、訴えたがぷいと、主人は何処かに消えた。「本番!」と大きな声が聞こえた。このような開けっ広げな状況で「本番」をするのか?最終の白粉も振らずに、吾輩の写真写りは綺麗なのか?(作者註 白粉/つや消しスプレー)「お疲れ様でした!」とウキウキした声が響いた。「グッジョブ、ナイスチャレンジ、ゆ〜とこやなぁ!」と主人がチーフに同意を求める様に言うと「え、まー、そーですね…」とチーフの目線が空を舞っていたのを主人は知らない。「プロが見たら『え゛〜っ!?』って思うやろけど素人さんが見はったら、摩訶不思議、シュールなケトルゆーよ〜な、こっちゃ、なあ!」「はぁ… シュール、です、、ね。」前回の様に、主人の青ざめた顔の意気消沈も( 如何なものか? )だがきょうの主人の自己陶酔にも( 如何な…? )と思う、吾輩である。
1978年 昭和53年 5月8っちーは兵庫県の自宅で窓の外を眺めていた。終わったはずの鯉の幟が青空を泳いでいるのが見える。気温が上がり、少し汗ばむ。居間からテレビの音が流れて聞こえた。♪ 罪な奴さ あゝ パシフィック ♪「資生堂・ビュティーケイク。時間よ止まれ、まぶしい肌に」と、ナレーションが続いた。8っちーはその曲の入ったLPレコードを買っていた。春先から流れている、素敵なCMだった。ハワイかグアムかでロケをした、5人のモデルの女性たちのシリーズCMは( 今だな… )と感じた。( 今年の夏も、スタジオにこもりっきりで海に行けないのかな… )と8っちーは支柱に絡まって、動けなくなった緋鯉をじっと見詰めた。他の鯉たちは気持ち良さそうに風に吹かれている。矢車のカラカラという乾いた音が、かすかに聞こえた。8っちーは天王寺にある貸しスタジオ「ムーンスター」の社員で「スタジオさん」と呼ばれる、スタジオマンである。勤務を始めて1年と2ヶ月が経過した。きのう、アシスタントの控え室で座っていたら事務所から「自宅から、電話」と言われて電話に出てみると、お婆ちゃんの具合が良くなく2〜3日帰れないかと言われ、今は自宅に戻っている。お婆ちゃんの具合も思ったほど悪くなく母親一人がオロオロして電話を掛けたようだった。でも、それはそれで8っちーには都合が良かった。電話があった前の晩くらいから左のアゴの付け根あたりがズキンズキンと痛みを感じ、食事するのも嫌になるほどであった。今はこの鈍痛がピークのようで赤く腫れてきた。母に言わせると「お多福風邪と、ちゃう?」だったが「確か、子供の頃にやったから、きっと、虫歯やね…」だった。夜になり、ますます痛くなり夕食に並んだ「筍の若竹煮」の筍の根元の硬そうないぼいぼを見た瞬間、気を失いそうになり、早々に床に就いた。夜半の激痛は睡魔に勝り、とうとう一睡も許さない。朝、8っちーに言われた、起こす時間に母が部屋に入ったら頬が2倍に膨れ上がり、ボーっとした涙目の8っちーだった。「こら、あかんわ!お多福はお兄ちゃんの方の勘違いやったんかな… おかしいな〜 こら、お多福やで」と話し掛けるが、母の声が頭の中でワンワンと響いてモウロウとしているだけの8っちーだった。「ほな、会社に、休むゆーて、電話するでー」と、きっぱり宣言して部屋を出て行った母。いつもの「よそいき」の、かん高い声「あー、社長さんですか、いつもお世話になってます」( あゝ、休めるんだ… )8っちーはしばらく寝入った。「8っちー、あんた、どーすんの? 会社の社長さん『どーしても、出てきてもらわんと困る』ゆーてはるで〜」「え…、無理…」とモウロウと答える「どーする?」「辞める… 」「そんなん、お母ちゃん、よーいわんよー」「電報、打って」こうして、8っちーは「ムーンスター」を退職をしたのだ。
吾輩は薬缶である。名前は「知矢弁 裕照」吾輩自ら、今、決めたのである。ま、その話は又の機会にユルリとするが前文を読まれた方々、お察しの通りである。「それ、いこっ!」先週、土曜日の夜この8ozの「ロビー」と称すところから大声が聞こえた。あのダミ声で馬鹿声は、主人である。その夜も、酒盛りらしく10人くらいの人数だったようだ。「ニッチュ〜シンクロで、いこー っ!」と叫んでいた。( need you 真黒 ?! )みんなの様子から、察するになにやら、凄い、らしい…専門的言葉と「びゃ〜」だの「バコ〜ン」だのと擬音語が多く、チンプンカンプンではあったがモデルとしての吾輩もドキドキ高まったきたのである。今週、8ozスタッフのチーフらしき人が吾輩を倉庫から抱え出して、「スタジオ」と称する所で「あー、でもな…」と ウロウロ「こー、でもないか…」と 吾輩を散歩させてくれた。きのう、主人も来て「あーじゃり」と 窓辺で吾輩を眺めまわし「こーじゃり」と 反対の向きにさせられたりしぷい、と踵を返して「おーい! 汚れてるで〜!」と誰かに、怒鳴り散らして、出て行った。吾輩を「トミタ」と称する置物台に座らせたまま。あす土曜日はきっと… 大変な日になる。吾輩もモデルとし、立派な立ち居振る舞いをしようと、決意したのである。
自宅から粉浜の8ozまで、徒歩8分。引越し前まで、通勤時間は1時間でした。「ICOCA」の残高がちっとも減りません。引越し前まで、往復通勤代はjust1000円でした。日曜日のお出掛けの交通費は妻が負担しているので、ワタクシの「ICOCA」の出番ナシ!お金が貯まって、仕方ないです。 (ウソです!)上の写真は「ICOKA」を仕込んだ「iphone」を充電しているところです。決して、マウスじゃ〜ありません。
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電車の時間
2010・5・12
大阪の下町風情のひとつに家の前の沢山に置かれた植木鉢があります。「軒下に…」と書こうと思ったんですがあれは決して「軒下」でなく「軒先」をも通り越し、「道半分」ほど道路交通法を違反しているのでは…と、思うほど、路地一杯に並べられた植木鉢のある風景。そして、最近では少なくなってしまったが野良猫のノソノソ歩き。それなのに、増えたのがペットボトルの猫除けのお呪いも下町の風景になりましたね。日曜日、日頃のたまっている用事や引越しの残務処理をしなければ…と、思いつゝ、軽い風邪の症状が出てゴロンと横になったまゝの一日でした。押入れの棚作りや、コーナンから届いたゲタ箱の開梱、設置、靴を詰める作業や、庭に朝顔の種を蒔く作業やらを、結局、妻が独りでやり繰りをした。今朝、郵便受けを見に出て、上の写真モノが我家の台所の窓にぶら下っているのを発見。引越しをして3ヶ月、家の中の片付けで頭が一杯で、ある意味、家の外に向かってのこんな飾付けするっていうことは、つまり我家の「風情」を発信することなんだな…と、しみじみ思いました。
昔 赤電話公衆電話は10円を一枚、投入すれば市内なら、無制限に長電話が出来た。美章園温泉風呂屋の向かいのタバコ屋さんの赤電話はおばちゃんが常駐しているので、長電話していたらチラリと見る目が段々と痛いビームになるので美章園劇場映画館の向かいの、店先はたいがい無人の松井茶舗店茶葉屋さんで掛けた。5分もすると、うしろに次の人が立つんだけども( あかん! この人、長電話や )とあきらめて 消えていく…。それぐらい公衆電話が町中に沢山あったし昭和45年、大阪万博までは話し放題であった。なんとも、アジアンな時代であったんだろうか と懐かしく思い返しています。上の写真は、ご存知!「iPhone」です。( 分からん! )老化現象で油っ気が抜けてしまった手だから滑り止めのシリコンのアップ写真です。薄らブルー色をしているのが、分かります?これは「ICOCA」のカードを仕込んでいます。これにて、ひねもす過ごせる、快適な時代が到来です、ね…。3年前にアメリカ国内で発売された時から「買ぉ〜て!!」ってゆうてたのが、やっと実現しました。「それ、持って、誰に電話するの?」と妻に詰問され『・・・・』と考えてたら「友達、いないのに…」と冷たく言われた、哀れな々々なワタクシです。
去年の12月26日以降、年末のバタバタ…年明けから3月の引越しまでのドタバタ…引越しから落ち着くまでのシュビドヴァ…そんなこんなのヴァッシュヴァの近頃…長編の『今昔8っちー物語』を休んでましたがぼちぼち、と 復帰させます。来週くらいから…、やるつもり… ですがここに宣言して、逃げないよう、書いておきます。『8っちー』のイラスト担当の妻である作物豆氏にも今朝、「てきとーに8っちー、描いといて」って依頼しておきましたが、作物はん、どんな絵を描くんかな?ま… ほんでから『大阪の洒落言葉』も『歌は世につれ』もそろそろ書きたい気分です。いや、ほんま…。
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バーラが咲いた♪
2010・5・8
子供の頃の菖蒲湯は、もちろん風呂屋での体験。一抱えもある菖蒲を荒縄で縛ったのがプカプカふたつ、みっつ、浮いています。しばらくは それを浮きがわりに足をバチャバチャさせて周りの大人たちに怒られます。次に 菖蒲の葉を抜いて、頭に巻いたり、腕に巻いたりしインデアンになりきって、走り回りハゲのおっちゃんが青筋を立てて「ごら!」と怒鳴られしかたなく、湯船に腰を掛け、浮かぶ菖蒲のかたまりをぼんやり眺めつづけてます。5月5日夕方、天王寺ステーションから阪堺線に乗り換えようとしたとき「あ、菖蒲湯!」と思い出して花屋さんを数軒あたりましたが「あいにく…」と言われ、半分あきらめかけたが「あの店なら…」と言われた店に向かったら隅っこの方にバケツに立ててある菖蒲を発見バタンと風呂場のドアを閉め深呼吸をしてみたが感じないあの懐かしい匂い…初夏の青臭ような、あの匂いがしない…美章園温泉の大きな引き戸を開けた瞬間もくもくの湯気と一緒にどっとからだを包み込んだあの匂いがしない湯に浸かり、鼻を近づけても、しないついに、ガリヽとかじってみたらにがい、あのインデアンの思い出のにがにがしい味がした。
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雨です
2010・5・7
きのう、京都・長岡天満宮に行きました。「お参り」ではなくって、筍を買いにです。去年の買出しの時に発見した地元のこましなたこ焼き屋でブランチ用の大盛りのんを買いぶらぶら提げて天神様の境内に入り、ついでに露天屋の焼きそばも、一皿緋毛氈の敷かれた腰掛でバクバク 腹ごしらえを済ます。『よし! タケノコ買出し隊や!』と立ちかけると、妻は「お参りは?」と言うのを『せーへん』ときっぱりと答え血眼顔でタケノコ探しをした、そんな黄金週間の最終日。そして、きょうは朝から、一大事です。住吉大社の「初辰さん」の月参りです。こっちに引越しして、4度目なのでセミプロのはずですが、お参りの順序を間違えて(いつも、すいません)と心で詫び8ozの発達=初辰の願掛けをした。手を合わせ( きのうは長岡の天神さんに行きましたが決して、浮気はしてませんから… )と念押しをしておきました。
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松
2010・5・6