IKEAに行こう!
@
 
 
Googleの地図を見ていたら
大正区の沿海部に「鶴浜IKEA」を見つけた。
 
8ozからのルート検索をしてみると
距離「6.1km」 徒歩「1時間14分」と出た。
 
自転車で行くので計算をしてみると
平均速度の男女別では
男子「20km/h」 女子「15km/h」 
 
なら、ワタクシは女子の部に参加して
0.4時間」で… 「24分」だ!
 
 
んゝ… 何だ!?
この「木津川」上のグルグル巻きは…?
 
キェー! かの有名な「眼鏡橋」か!?
 
これは・・・… 
我アシスト自転車も「たまらん!」かもしれんし
ワタクシの体力も「未女子」になるかもしれん…。


柳の若葉
2010・3・31


お返し
 
 
 
この頃、ハレの席より、法事とかの方がシックリくるね…
と、年上の人の別れの言葉だった。
 
( そんなもんなんかなー )と
思っていたら、手折られた庭の椿と
小さな包みを手渡された。
 
帰宅して
椿は早々に花瓶に活け、そして、少し楽しみな小箱
包装紙はベリベリと破り、塵箱へ放り込む。
次に、墨文字の「のし」が現れたので
手書きか印刷文字かを、老いた目を近づけて確かめる。
( 達筆な手書きだ… )
これは丁寧にセロハンテープをはずして
角を立てて四つ折にし、引き出しに…
いつか切っ掛けを見つけて処分しよう。
 
( あ、念の為に写真を撮っておこう ) パシャリ!
 
そんなに値の張ってないような化粧箱の蓋を開ける
 
( これは、一生、使わないかな… )
 
こんなとき、困りますね…?
 


和洋折衷
2010・3・30


ひとりごち
 
 
吾輩は薬缶である。
名前は、有った。
 
前回の撮影を終えて、主人は寝込んだらしい。
井戸端での「スタッフ」とやらの話を要約すると
 
吾輩は ( 生活感が無い )
吾輩に ( 季節感が欲しい )
吾輩には( 情緒感が無い )
 
そんな、訳の解らない事を病床で叫んでるらしい、と聞いた。
 
2日前の土曜日、主人は
足許をフラつかせ、青ざめた顔をして
桜の枝を数本、振りかざしてやって来た。
 
「これを…」と くれるのかと思うと、
横にお供えをするようにして置き
「おゝ、春になったね…!」とブツブツ
桜の枝の位置を神経質に置き直していた。
 
「なにをなさるゝのか?」と云う我輩の問いに答えず
 
『えゝん、ちゃう…、えゝやん…』と
悪魔に魅入られたような目であった。
 
「ポラ」とゆうもので撮影され
それをジーッと見入った主人は
「あかん…」と
頭を垂れ、腑抜けになって部屋から消えた。
 
「スタッフ」やらの話では、どうも吾輩が
花柄の薬缶に仕上がったらしいく
とても「似合わない」らしい…。
 
その夜から、主人は、また、床に伏し
寝込んでしまった、と聞く。
 


造花じゃないよ
2010・3・29


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Touch!


下町の風景
2010・3・27


玉筋魚
 
 
30年ほど昔の話。
 
芦屋市に引っ越したばかりの頃、テレビを見ていたら
「神戸・垂水方面の春の風物詩の玉筋魚漁が解禁となりました。」
と、兵庫県のローカルニュースをやっていた。
 
20年ほど昔の話。
 
妻が「玉筋魚を炊いてみようか?」と言ってゝ
ワタクシは『佃煮やろ…?食べへんで…』と言いつゝ、
その年一度だけ、玉筋魚を甘辛く炊いてみましたが
冷蔵庫にいつまでも沢山の佃煮の山が残りました。
その頃の値段は1kgで百円を切っていた。
 
10年ほど昔の話。
 
やっぱり、芦屋の自宅でテレビを見ていたら
「関西の風物詩の玉筋魚漁が解禁となりました。」と
やたらと、あちこち、うるさいくらいニュースになってる
 
( あらゝ…、いつの間にか「関西」になってる )
 
先日。
 
粉浜のスーパーで、
新鮮っぽい玉筋魚が1kg千円を切ってた
『買ぉーて!』ってワタクシ、懇願しましたら
「佃煮は嫌いじゃ〜なかったの?」と怪訝な顔で妻が反問
『ん、でも、きょうやったら「生で」喰えるで…』そして
『残りは「塩辛」にしたいねん…』と
 
写真は「玉筋魚の塩辛」です。
 
あ、「玉筋魚」は「イカナゴ」と読みます。
 


カサブランカ発芽
2010・3・26

喋ってる!?
 
 
黒澤明+大島渚の両監督が対談。
 
って、ゆーか…、
大島さんが黒澤さんにインタビューしている。
たっぷりの2時間です。
 
黒澤さんが普通に喋っています。
普段のインタビューなら
( なんて、くだらない事を聞くんだ )
みたいな、苛立ち感を持ちながら答えてるのが目立ちますが、
同業の大島さんだからか、安心して喋ってます。
 
黒澤明ファンの方は、必見です。
 
『わが映画人生』
「1993年」
黒澤明・この5年後に死去。 大島渚・1999年『御法度』を監督後病床に伏す。
 


今日も・・・雨です。
2010・3・25


厩火事
 
 
妻が風邪を引いた
( なんか、出来ることは…? ) と、
布団を敷いてみた。
 
炬燵の上に散らかした色々な薬
あれこれ口に放り込んで、パッタン
 
「お布団、有難う」と言ったけど…
 
( 落語噺の『厩火事』やん… )
 
 
 
雨です。
2010・3・24

ワタクシ的★野球史
 
 
長島茂雄さんが監督を辞めて、少々
松井秀喜さんが渡米してしまい、少し
無闇に原辰徳さんが堀内恒夫さんに
監督をバトンタッチしてしまってから
全然、TVで野球観戦をしなくなった。
 
妻は、熱狂的な巨人ファンで球場
にもよく足を運んだというほど。
 
ワタクシは、
2歳年上の兄が大のファンだった。
ラジオ、TVと巨人ばかりの番組しか見ないので
自然にファン風になっていった。
 
きのうの妻
夜具を干しにベランダに出たのは良いが
なかなか部屋に戻ってこない
そして、10分くらいしてニッコリ顔で
 
「良い試合だわよ、特等席ね、このベランダって…」
戻ってきた。
「あのキャッチャーって、らそうにデッカイ声だ
 けど…、指示がヘッポコなのよ、ね…」
と、楽しげに中学生の練習野球の評論していた。
 
あれから…、ワタクシは
星野・阪神なら、良いかも…
とか
楽天のノムさんって、おもろいなあ…
とか、浮気心をだそうとしたが
そのつど、振られたりしているので
まー、原・巨人ってとこでしょうか…。
 
ワタクシの兄は、今、アンチ巨人で
ジャイアンツが負ければ楽しいらし…。
 
待ちぼーけ
2010・3・23

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生きてる? 生かしてる?
2010・3・20


FixedPoint
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自転車 林林(リンリン)
2010・3・19


ハーフカメラ
 
 
きのう8ozのフロントに入った瞬間
タイムトリップをした。
 
( 酢酸の臭いだ… )
 
( あ、35ミリの現像用のリールがある )
 
東京で写真学生していた頃に戻った。
アパートの押入れを改造して暗室を作った。
部屋中「定着液」の臭いが抜けなかったなぁ。
 
( あれ、リコー・オート・ハーフだ! )
 
ロビーのテーブルの上に色んな物が散乱している
そんな中に懐かしい愛らしいカメラを見つけた。
 
姉が中学を卒業し、就職をした。 そして
我が家ではじめて買ったカメラがのこカメラだ。
 
姉の財布で買うので、決定権は姉にあった。
「E」シリーズのこのカメラの前面は「着せ替え」
が可能で何種類もある中で、姉は花柄を選び
3人の弟たちは姉を恨んだ。
 
最初の1〜2本のフィルムは直ぐに撮影し
カメラ屋に現像を頼みに走ったが
「24枚撮り」の倍の48枚は、貧乏だった
我家では中々撮り切れずにいて
「これ、去年の造幣局の通り抜けの写真やん!」
なんていう、そんなエピソードも思い出しました。
 
 
 
いつもの道
2010・3・18

町と街
 
 
「難波まで200円で、9分だよ!」
 
先日、名古屋から帰阪していた息子が叫ぶように
自宅近くの踏み切りでiPhoneを見ながら言った。
 
家から100メートルのこの電車のガタガタ騒音が
静かな夜でも、ほとんど聞こえないのは
『1両か2両編成の田舎電車やから、振動も少ないんとちゃう…』
と返事をしたワタクシへの反論であった。
ワタクシはチンチン電車の多い町だから
その踏切の電車も同じように思っていたから。
 
「南海高野線だよ!6両は最低あるんだから…
 なんばと堺東駅の高島屋へも10分以内で行けるよ」
『へー、そうなん…』
 
( でも…、「町」でしかない )
 
そして、ワタクシは昔のことを思い出した…
 
 
「なんば高島屋から南は大阪とちゃうで!」
「やっぱり、国鉄・環状線やろ、事務所は… 」
 
30年ほど前に、口の悪いカメラマンから言われた言葉。
当時、我孫子のアパート生活から脱出し、嬉しい時期だった。
阿倍野区の自宅を事務所と兼ねて引越したばかり
8ozスタッフも4〜5人がいて、お祝いのパーティーと称し
どんちゃん騒ぎを毎晩していた頃。
 
筋から西の事務所って、格好悪いでー!」
 
地下鉄「西長堀」駅から徒歩30秒
新なにわ筋と長堀橋通が交差する細野ビルヂングに
「8oz」を引越しをした時に言われた言葉。
8ozのスタッフは6〜7人。
 
「こんど、大阪に出てくるときで良いけど…」
 
先日、妻が南森町に事務所を構えている
友人に電話で言われた言葉らしい。
 
 
最後に、妻が最近言った言葉。
「難波駅をおりて、やっぱり都会だと思ったわ!」


まるでロケハウス?
2010・3・17


卒業式
 
 
 
「小高い山の上に学校があって
 校門を出て、なだらかな坂を
 下りながら在校生に送られたの…。」
 
前の妻も、今の妻も
同じことを言った
山間部の卒業式の風景だ。
 
続く、下の句は
 
前の妻は
「坂の道沿いの桜がキレイだったので、泣いた。」
今の妻は
「美人の同窓生がキレイに泣いている姿を見て、泣いた。」
である。
 
アルコールで脳味噌をボーっとさせながら
 
「あしたのK君の送別会に『贈る言葉』か『卒業写真』
 を流しながらスタッフが2階から1階まで列になり、見送る。
 で、いったん、K君は粉浜モールを離れて、近くの居酒屋にボクが
 いるから、チョッと一緒に飲んで、また8ozに帰ってもーて
 また、宴会に参加する」ことにしよう、と計画をした。
 
前の妻も今の妻も同じことを言ったのを、思い出した。
 
「坂のふもとで泣きながら集合、そしてまた、
 坂を登って、教室に戻ったのよ」
 


行列・・・その先に?
2010・3・16


洗髪な歴史感
 
 
 
「おまえの家、風呂、あんのか!?」
 
 
小学校の頃、50人近いクラスメートに1〜2人に
「内風呂」の子供がいて、尊敬の眼差しで見られていました。
その子は確実に「お金持ち」の子に違いないので。
 
家から1キロメートル以内に風呂屋が2〜3軒はあったので
当時は「内風呂」の必要はなかったのです。
 
風呂桶にはタオルと石鹸箱
番台に「小人用」の「風呂券」という割引券を渡して入ります。
 
髪の毛も、もちろん全身、石鹸で洗います。
 
番台の棚には、使い切りの「粉シャンプー」が置いてありましたが
今の値段でいえば、一袋200円くらいで、買う人はほとんど皆無。
髪の毛はいつも「ゴワゴワ」が当たり前の当時。
 
中学生ごろになるとお洒落気分が出てきて
番台のおっちゃんに「シャンプーください」と照れながら
( 男の癖に「シャンプー」なんか… )的 風潮がありました。
 
昭和40年、「エメロン」が登場、洗髪後のジャスミンやら
ラヴェンダーの香りで大ヒットしましたね。
 
昭和43年、高校生のワタクシは『男のシャンプー』と銘打った
サンスター社の「トニック・シャンプー」でバッチり決めました。
地肌ヒリヒリ「メントール」入り、男は我慢、我慢、でありまする。
 
昭和40年の終わりの頃、東京、原宿の風呂屋で
新聞配達の友人が少し湯の入った桶に一滴二敵「何やら」垂らしていた。
「何してんの?」「ん、リンス。」「リンス…?」
彼は、女と間違えるほどのストレートのロン毛
風呂上りのサラサラヘアから香しさに、うっとり。
次の風呂のときに「ちょっと、貸せよ」とエメロンのリンス青年となった。
 
昭和の50年は爛熟期で、世の中は「髪の毛のケアーの為なら
死んでも良い」時代に突入。
 
で、
今、写真の「モノ」で洗髪・洗顔・食器洗い
全部済ませています。
 
風呂場の「トニック・シャンプー」はなみなみと未使用のまま。





妙に椰子の多い街
2010・3・15


FixedPoint
&
Touch!


蔵のある街
2010・3・13


マクドナルドに想う
 
 
 
きのうマクドのコーヒーを飲んで
( あ、うまいな )と 思った。
 
昭和40年代のはじめの頃
原宿のセントラルアパートの明治通り沿いに
尋常じゃない人の行列を発見したワタクシ
夕刊を配達している途中だった。
並んている人の先には派手なテント。
今ではお馴染みの「M」のロゴが書かれていて
 ( なんの店だろう? )
 
販売所の友人らは
「アメリカの有名ハンバーガー屋が原宿に上陸した」
と弾んだ声で騒いでいた。
そして、ワタクシ達も嬉々として、行列に加わった。
 
あれから何年経ったんだろう…
「アメリカの」「舶来の」「有名な」「おいしい」
という形容詞も付かなくなり、どちらかと言うと
(チープ)(CP)感が強いイメージになっている
 
 あの( 舶来だった、マクドナルド )
 
普通のハンバーガーを頼んでみたら
老婆の乳房のようなバンズと頼りないパティ
あの頃の「アメリカを喰ってる!」という
イメージは、欠片もなくなり
悲しい気持ちで、頬張ってみた。
 
 
青いロボット
2010・3・12


おもたせ
 
10年ほど昔に
「『おもたせ』って言葉知らないの?」と
九州女の妻が言いました。
そんな言葉は知らないので、知らんこと嫌いの
ワタクシは内心イライラしていました。
 
なにやら、「手土産」のことを「おもたせ」と
ゆーらしいく、女々しく、品ブリーな響きです。
 
そんな、こんなで、ここ数年、ネットや雑誌上では
おもたせランキング』や『とっておきのおもたせ』と
セレブ気取りのバカ特集が大流行していて、
何故かムカツキ気味の日々を送っていました。
 
で、調べてみました。
 
お‐もたせ【▽御持たせ】
《「御持たせ物」の略》来客を敬って、持ってきた土産物をいう語。
多く、その客へのもてなしにその品をすすめるときに使う。「―で失礼ですが」
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
 
である!!
 
ほんだらやね…
「気の使うあの方へのおもたせは?」
ゆーのんは
「気ぃは使うけど、どうせ、わたしらにも出してくれくから、ええのん買ぉとこか?」
とか…、ですかー?
 
なには、ともあれ、誤用ですよね。
 
「気の使うあの方への粗品は?」
みたいに…
 
 
喜ばれる「おもたせ」ランキング
 虎屋「夜の梅」(東京都)
 すや「栗きんとん」(岐阜県)
 福砂屋「カステラ」(長崎県)
 越乃雪本舗大和屋「越乃雪」(新潟県)
 坂角総本舗「ゆかり」(愛知県)
 美濃忠「上り羊羹」(愛知県)
 小島屋「けし餅」(大阪府)
 きんつば中田屋「きんつば」(石川県)
 俵屋吉富「雲龍」(京都府)
10
 但馬屋老舗の「荒城の月」(大分県)
 
 
きのう、堺の町を歩いていて
「本家小嶋・芥子餅」の看板を見つけて
思ったことです。
7位の「小島屋」とは違うらしく「本家」だ
そうです。
 
洗濯しよう
2010・3・11

霧笛が俺を呼んでいる
 
 
大阪府は日本で一番面積が「狭い」と習いました。
引っ越す前の家から、大阪湾が一望できました。
海まで、徒歩20分くらいでいけて
昔は南仏に気候風土が似ていると言われ
画家、小説家と、今で言う「クリエーター」が
多く住み着いた、海沿いの町「芦屋市」でした。
 
今の家の「住吉区」は大阪平野の南端で
海から程遠い所だと思ってました。
 
ところが先日、息抜きのつもりで8oz界隈を
散歩していて、住吉公園の入り口で、えらいモンを
発見しました。
ビルの5階建てくらいの高さの瓦屋根の
「住吉高灯篭」に出くわしました。
灯篭があるということは、その先は
浜辺、つまり海であったはず…
 
帰宅して、早々に調べましたら
「住吉大社」は海の神様で
「住吉公園」はその参道で馬の停留場
そして、その先は「海」だった、そうです。
 
で、我が家から西に向かって歩くと
30分以内で、海っぽい場所に到着することが 
地図上で判明しました。
 
( なーんだ、海沿いの町じゃん… )
 
ついでに、地図上で調べたところ
「帝塚山」から天王寺の繁華街まで
徒歩20分圏内だった。
大阪ってコンパクトにまとまった街、 
さすが、一番小さい都道府県なんだと、改めて思いました。
 
きょうの夜明け前に、「ボー」っと船の警笛が
鳴ったので目覚めてしまった。
一瞬、前の家と勘違いしたのです。
芦屋の家からは船の警笛は、しょっちゅうでしたから…
 
 
( なーんや、この家も海からの警笛が聞こえるんや… )
 
 
PS 
全国都道府県で一番面積が狭いのは
現在では「香川県」だそうです。
 


猫の多い街 A
2010・3・10


風音コンテスト Vol.18
 
 
 
一等賞 該当者無し
 
二等賞 中野博志クン
 
「ぶらんこ」を題材にするのって
「郷愁感」や「あの頃」感みたいな
情緒溢れる絵作りしたくなるもんですが
この、なんてことない「ぶらんこ」写真は
(こーゆー、アングルで、撮るんかぁ…)と
少々、驚いています。
ただ、もう一要素、有って欲しい。
 
 
三等賞 間嶋のぞみサン
 
なんか、絵になってます。
8ozのロビーに飾れますね。
つまり…、サロン画的ってこと?
 


保証・・・?
2010・3・9


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&
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2個目の発達(初辰)
2010・3・8


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雨です
2010・3・6


咲いた、

 
 
 
咲いた 咲いた が咲いた
隣りの空き家の が咲いた
 
咲いた 咲いた が咲いた
学校の裏門の が咲いた
 
咲いた 咲いた が咲いた
まだかと思たら もう 咲いた



木蓮も咲いた
2010・3・5


吾輩は…
 
 
吾輩は「やかん」である。
名前は、主人と妻君に返上した。
 
実は、
きのうの夕暮れ
人間共が帰宅の準備をし
吾輩達がそろりと目覚めだした頃
突然、
妻君がツカツカと吾輩の前に現れ
「あんた、文章を書くのを止めなさい!」と
切り出された。
 
「ハチオンスの宣伝… つまり、販促の為なら、と
許可したんだけど、内部批判をするんなら、止めてもらうわ!」
と、こうであった。
「だいっち、『やかん撮影』の広報担当のアンタが
家の秘密をバラすなんて、堪ったもんじゃないわよ!」
 
吾輩は懸命に取り繕い「最終編では、きっと、感動的な
会社に賛美しますゆえ、それまでは、読み手が気に入るよう
「体制批判」的要素を入れると云う、「序」の部分ゆえ、
どうか、中止だけは、思い止まりくださいませ…」と
大いなる嘆願をしてみたのであるが
金切り声を上げたてて妻君は
「だって、きょう(きのう)の文章だって長過ぎでしょ!
A4サイズ巾と決まってるのに
あれじゃー 馬鹿な読者は飽きるでしょうがー」
 ( 「馬鹿な…」って、あんたでしょう… )
 
「それに、「妻君」って呼ばれ方、好きじゃないの!
私は「専務取締役」ですからね、ほんと、失礼だわ」
 ( なんにも「せんむ」…、なんちゃって! )
 
「それに「トヨどん」って名も、業界以外の一般人には
理解出来ないでしょう、文末に8ポイントくらいで、
注釈を入れるとか…、名前も「カメリー」とか「しのゴン」
で、逃げときゃ良いのに「トヨどん」て、もっちゃりしてるし、
ったく、馬鹿々々しいにも程があるわ」
 ( 固有名を、イジるのは、ちょっと、どーかと… )
 ( 「トヨビュウ」 大型プロ用4×5カメラ トヨビューの「トヨ」は
    製造メーカー「酒井特殊カメラ製作所」の本社のある「豊中市」の
    「豊」から命名された。 )
 ( はい、はい、書きましたよ↑ )
 
「あ、それに、あした(本日)の写真は前回の「やかん撮影」の上がり
でいきますから、勝手にあなた達がカメラをイジくって撮影なんか
しないでちょうだい、今後いっさい…!」
 ( みんなで「ワイワイ」楽しかったのにな… )
 
と、
そんな話を聞きつけ、泣きながら「バロン君」が部屋に乱入したから
話が、ややこしくなり、とうとうつかみ合いのケンカがはじまった。
 
「バロン君」の髪の毛の引っぱっては、振り回している妻君。
その指を「ガリリ」と食い千切ろうとする「バロン君」。
痛さのあまり「ギャーギャー」ワメいている妻君の後から
ケリをいれたのは「実王君」だった。
 
「この!ハゲちゃびん、助けなさいよ!」と叫ぶ妻君に、
吾輩は「ちゃビン」の命名の一件を思い出し、怒りが爆発
 
「てやんで!黙ってりゃー、調子に乗りやがって、このアマー」
 
と、そこまでは覚えているのだが
後はなにも覚えていない…
 
気が付くと、主人を中心に、フロントロビーで反省会をしていた。
 
取り合えず「謹慎三ヶ月」を妻君を含め、全員に言い渡されたのだ。
 
で、あるからして、三ヶ月後には立派に更正をし「広報担当」と
して、再登場するつもりであるので、しばしのお別れです。
  ( 内部批判!内部批判! )
では… それまで、オールボワール…。
 
 
あ、「トヨどん」は卑怯にもこの事件に参加せず
部屋の隅のほうで「専務はん、がんばれー!」と声を出しては
引き笑いを繰り返し、妻君が倒れたときは、みんなと一緒になって
ケリを入れていたのを、吾輩達は全員、見た。
 
が、しかし、事情を知らない主人の判定で「機材等取締り課長」に
「トヨどん」が選ばれてしまい、吾輩達は密かな計画を立てている。
 


ナイターのネットってキレイ
2010・3・4


吾輩は…
 
 
吾輩は「やかん」である。
名前は、忘却した。
 
あれは… 
8ozのイベント、「やかん撮影」の前の晩
お掃除ロボのバロン君と話をして
「貴殿の名前の由来は、なかなかに良い話だ
 さっそく「トヨどん」や仲間達に聞かせてやらう…」
とバロン君が大いに感心したのである。
紅茶をすすりロールケーキを頬張った、
春めく、気持ちの良い夜であった。
 
しかし、きのうの夜
バロン君が肩を落としてやってきて
「貴殿の『チャヴィン・ユーデル』の名の由来を
大阪生まれの「トヨどん」に話したら
冗談なのか、本気なのか、分からないけれど…
 
『ほらぁ「茶瓶、湯ぅ出る」の洒落やでー! 
大阪の人間やったら、誰かて、みんな、分かるがなー! 
ヒーッ、ヒーッ、ヒーー 』
 
と、引き笑いをしながら、由来らしいことを喋ったんだよ。
なんでも「薬缶」は標準語で「茶瓶」は関西圏の方言らしい。
まあ、「トヨどん」はあんな人だから、あれのあれ、なんだけど…」
と、最後の方はモニャモニャと濁し、出したお茶もそのままにして
別室へと、掃除をしながら、去っていった。
 
「茶瓶、湯ぅ出る」? なんと、恥知らずな名前だろう…
 
バロン君の命名のときも「おちゃらけ」た、主人が
吾輩の「チャヴィン・ユーデル」も、おちゃらけだったのか…
あの日、主人が命名話をしていたときの
主人が細い目をスーっと逸らしたり
眼鏡の奥が、冷淡に笑ったの
吾輩が察知した、と、云うか、感じたのは確かだ。
がっ、
もう、こんな悲しい話は止そう
「チャヴィン・ユーデル」の話は……
 
で、だ、
その「トヨどん」は大阪は豊中市生まれで
「しのご」と云うカメラをしている友人だが
お互いに、足が無いので、お掃除ロボのバロン君を
仲介にして井戸端会議をするのが日常であった。
 
これが、また、「つー」と言えば、
バロン君がガッガーと向こうの部屋に行って「つー」と伝え、
「かー」と聞いてはガッガーで、「かー」と…
しち面倒臭い雑談なので、最近は余りしなくなった。
と、いうのも合理主義で吝嗇家の妻君が
「最近、バロンの掃除の量が少なくなってきたようだわ…
そろそろ、ポンコツに…?」と言ったことも理由にある。
 
しかし、たまに、トヨどんに脚が有するときがある。
「実王」君という欧州国の高級ブランドの靴を履いて
ゆーらゆらと大股で向こうの部屋からやってくる。
雑談するのに、途方もなく長々しいロングブーツ系の
実王君を履いたトヨどんと、ずっと上を向いて話すので
我輩の首が痛くて痛くて、仕方がないのである。
 
背高のっぽの実王君は日頃は全くの無口である。
ただ、必ず、この部屋に入るときに「ブジュー」と
蛙を踏み潰したような、音と云うか、
声を発しするのであるが、
あれは何かの合図だらうか?
トヨどんが実王君に話を振ったとき
たまに「ボン」としか言わないが
「盆暮れ」に関係ある言葉か…
どこか欧州の片田舎の方言だろらか?
 
 
一方
「ちゃいまんがなー」「なんでやねん!」「あほちゃう!」と
トヨどんの早口の大阪弁は、聞いていようが、いよまいが
話をどんどん進ませ、吾輩を煙に巻き込ませるので
ヘキヘキ閉口し、また、話半分であろうし
そろそろ、付き合いを止そうと考えている。
 
ところが、どうであろう…
 
と… 、
いつもの癖で言ってしまったが
今となっては、情けなき名前の吾輩だが
何故、この地、8ozに、里子を出されたか
そんな経過ばなしを、是非に聞いていただきたい。
 
あの合理主義者で吝嗇家の……
 
「茶瓶、湯ぅ出る」より
 
つづく
 
 
 
ひな祭りには はまぐり
2010・3・3

吾輩は…
 
 
吾輩は「やかん」である。
名前は「ちゃビン」だそうだ。
 
3年ほど昔の話であるが
はじめて主人と対面した時のこと
 
がさごそと音がし、ぱっと明るくなり
メガネと云う物を掛けた主人の顔面が間近に
「おー、おー、待っていたぞ、このちゃびん!」と
吾輩を「ちゃびん」だと名を言ったので
「何ゆえに、吾輩の名前を「ちゃびん」と申さるゝのか?」と、
あらたまり、正座しなおして聞くと
 
「ウオッホン!おまえの面構えには、東洋人離れした趣がある…
 それに、強く激しく…、しかしながら、青白き『炎』を感ずるので
 西洋風なる「ビン」と付けた、が…、実は「ヴィン」と発音するのだ、ぞ」
と、下唇を巻き上げて上の歯に噛ませて、発音してくれたのは、真剣では
あったが、仰々しく少々滑稽だったのを、懐かしく思い出す。
 
主人は、続けて
「米人の映画監督であり役者で、アカデミー賞を取った『ビン・コスナー』や
 欧米で活躍した写真家の『アービング・ペン』そして、「炎の画家」と称さ
 るゝ世界的画家『ビンセント・バン・ゴッホ』らに、あやかって
 おまえに命名したのだ、ぞ…」と、そして目を細め「『チャヴィン・ユーデル』が
 本名であるぞ、よ」と感慨深げに言い、最後にも「ウオッホン!」であった。
 
主人が「米人」や「欧米」「世界的」と言うときには
( 勿体を付けている )と感じ
それらに( コンプレックス )を感じているに違いない、と思いつゝも
 
吾輩は「聞き及ぶに、世界的発声では『フィンセント・ファン・ゴッホ』とは
 違いまするのか? してまた… 吾輩の名は
 何故に、前部分が「ちゃ」なのでしょう?」と、問うと
「はっ、はっ、はー」と大高笑いをし
「それは色々と、ある…」
で、急に席を立ち、踝を返し、ドアに向かい
「おまえのような子供にはむずかしい問題…
『ちゃフィン』だと『マフィン』みたく…
「ちゃ」とは高貴な人が着た「茶色」からの「ちゃ」じゃ…」
と、部屋から消えてしまった。
 
( え、高貴なる人の衣装は「紫」では…?! )
 
なには、ともあれ、
高尚な御名を拝賜したものだと、思わず感涙をしてしまった
『チャヴィン・ユーデル』の吾輩である。
 
ところが、どうであろう…
つづく
 


レトロな病院
2010・3・2


吾輩は…
 
 
吾輩は、「やかん」である。
名前は「ちゃビン」だそうだ。
 
最近の我輩の仕事は、湯を沸かすことを止め
撮影のモデル役とし、この8ozに一年前にデビューした。
月に1度ほど、ピカピカに磨かれてはライトを浴び
4〜5時間程度はスター気分になれるのであるが…
吾輩は不幸だと、つくづく思うようになった。
 
あれは… 
去年の今時分のこと
吾輩は幸せであった。
 
主人の家の居間の中心のストーブの上
いつも、ゆったりと湯気を絶やさず
吾輩は生きている意義をまったりと感じていた。
 
「お茶にします?」と、妻君が言ったり
「寝るから、湯たんぽ、頼む」と、主人が喋ったり
吾輩を真ん中にした会話がされ
吾輩の取っ手をつかんでは、寵愛されたものだった。
 
なにより、冬の乾燥を防ぎ、主人らの健康面でも
管理担当すると云う、重要なポジションを担う
吾輩であった。
 
ところが、どうであろう… 
 
つづく…
 


屋敷街(和風)
2010・3・1