Googleの地図を見ていたら大正区の沿海部に「鶴浜IKEA」を見つけた。8ozからのルート検索をしてみると距離「6.1km」 徒歩「1時間14分」と出た。自転車で行くので計算をしてみると平均速度の男女別では男子「20km/h」 女子「15km/h」なら、ワタクシは女子の部に参加して「0.4時間」で… 「24分」だ!んゝ… 何だ!?この「木津川」上のグルグル巻きは…?キェー! かの有名な「眼鏡橋」か!?これは・・・…我アシスト自転車も「たまらん!」かもしれんしワタクシの体力も「未女子」になるかもしれん…。
( そんなもんなんかなー )と思っていたら、手折られた庭の椿と小さな包みを手渡された。帰宅して椿は早々に花瓶に活け、そして、少し楽しみな小箱包装紙はベリベリと破り、塵箱へ放り込む。次に、墨文字の「のし」が現れたので手書きか印刷文字かを、老いた目を近づけて確かめる。( 達筆な手書きだ… )これは丁寧にセロハンテープをはずして角を立てて四つ折にし、引き出しに…いつか切っ掛けを見つけて処分しよう。( あ、念の為に写真を撮っておこう ) パシャリ!そんなに値の張ってないような化粧箱の蓋を開ける( これは、一生、使わないかな… )
吾輩は薬缶である。名前は、有った。前回の撮影を終えて、主人は寝込んだらしい。井戸端での「スタッフ」とやらの話を要約すると吾輩は ( 生活感が無い )吾輩に ( 季節感が欲しい )吾輩には( 情緒感が無い )そんな、訳の解らない事を病床で叫んでるらしい、と聞いた。2日前の土曜日、主人は足許をフラつかせ、青ざめた顔をして桜の枝を数本、振りかざしてやって来た。「これを…」と くれるのかと思うと、横にお供えをするようにして置き「おゝ、春になったね…!」とブツブツ桜の枝の位置を神経質に置き直していた。「なにをなさるゝのか?」と云う我輩の問いに答えず『えゝん、ちゃう…、えゝやん…』と悪魔に魅入られたような目であった。「ポラ」とゆうもので撮影されそれをジーッと見入った主人は「あかん…」と頭を垂れ、腑抜けになって部屋から消えた。「スタッフ」やらの話では、どうも吾輩が花柄の薬缶に仕上がったらしいくとても「似合わない」らしい…。その夜から、主人は、また、床に伏し寝込んでしまった、と聞く。
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下町の風景
2010・3・27
30年ほど昔の話。芦屋市に引っ越したばかりの頃、テレビを見ていたら「神戸・垂水方面の春の風物詩の玉筋魚漁が解禁となりました。」と、兵庫県のローカルニュースをやっていた。
20年ほど昔の話。妻が「玉筋魚を炊いてみようか?」と言ってゝワタクシは『佃煮やろ…?食べへんで…』と言いつゝ、その年一度だけ、玉筋魚を甘辛く炊いてみましたが冷蔵庫にいつまでも沢山の佃煮の山が残りました。
その頃の値段は1kgで百円を切っていた。
10年ほど昔の話。やっぱり、芦屋の自宅でテレビを見ていたら「関西の風物詩の玉筋魚漁が解禁となりました。」とやたらと、あちこち、うるさいくらいニュースになってる( あらゝ…、いつの間にか「関西」になってる )
先日。粉浜のスーパーで、新鮮っぽい玉筋魚が1kg千円を切ってた『買ぉーて!』ってワタクシ、懇願しましたら「佃煮は嫌いじゃ〜なかったの?」と怪訝な顔で妻が反問『ん、でも、きょうやったら「生で」喰えるで…』そして『残りは「塩辛」にしたいねん…』と写真は「玉筋魚の塩辛」です。
黒澤明+大島渚の両監督が対談。って、ゆーか…、大島さんが黒澤さんにインタビューしている。たっぷりの2時間です。黒澤さんが普通に喋っています。普段のインタビューなら( なんて、くだらない事を聞くんだ )みたいな、苛立ち感を持ちながら答えてるのが目立ちますが、同業の大島さんだからか、安心して喋ってます。黒澤明ファンの方は、必見です。『わが映画人生』「1993年」黒澤明・この5年後に死去。 大島渚・1999年『御法度』を監督後病床に伏す。
妻が風邪を引いた( なんか、出来ることは…? ) と、布団を敷いてみた。炬燵の上に散らかした色々な薬あれこれ口に放り込んで、パッタンQ「お布団、有難う」と言ったけど…( 落語噺の『厩火事』やん… )
長島茂雄さんが監督を辞めて、少々松井秀喜さんが渡米してしまい、少し無闇に原辰徳さんが堀内恒夫さんに監督をバトンタッチしてしまってから全然、TVで野球観戦をしなくなった。妻は、熱狂的な巨人ファンで球場にもよく足を運んだというほど。ワタクシは、2歳年上の兄が大のファンだった。ラジオ、TVと巨人ばかりの番組しか見ないので自然にファン風になっていった。きのうの妻夜具を干しにベランダに出たのは良いがなかなか部屋に戻ってこないそして、10分くらいしてニッコリ顔で「良い試合だわよ、特等席ね、このベランダって…」と戻ってきた。「あのキャッチャーって、らそうにデッカイ声だけど…、指示がヘッポコなのよ、ね…」と、楽しげに中学生の練習野球の評論していた。あれから…、ワタクシは星野・阪神なら、良いかも…とか楽天のノムさんって、おもろいなあ…とか、浮気心をだそうとしたがそのつど、振られたりしているのでまー、原・巨人ってとこでしょうか…。ワタクシの兄は、今、アンチ巨人でジャイアンツが負ければ楽しいらし…。
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生きてる? 生かしてる?
2010・3・20
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自転車 林林(リンリン)
2010・3・19
きのう8ozのフロントに入った瞬間タイムトリップをした。
東京で写真学生していた頃に戻った。アパートの押入れを改造して暗室を作った。部屋中「定着液」の臭いが抜けなかったなぁ。
姉が中学を卒業し、就職をした。 そして我が家ではじめて買ったカメラがのこカメラだ。姉の財布で買うので、決定権は姉にあった。「E」シリーズのこのカメラの前面は「着せ替え」が可能で何種類もある中で、姉は花柄を選び3人の弟たちは姉を恨んだ。最初の1〜2本のフィルムは直ぐに撮影しカメラ屋に現像を頼みに走ったが「24枚撮り」の倍の48枚は、貧乏だった我家では中々撮り切れずにいて「これ、去年の造幣局の通り抜けの写真やん!」なんていう、そんなエピソードも思い出しました。
先日、名古屋から帰阪していた息子が叫ぶように自宅近くの踏み切りでiPhoneを見ながら言った。家から100メートルのこの電車のガタガタ騒音が静かな夜でも、ほとんど聞こえないのは『1両か2両編成の田舎電車やから、振動も少ないんとちゃう…』と返事をしたワタクシへの反論であった。ワタクシはチンチン電車の多い町だからその踏切の電車も同じように思っていたから。「南海高野線だよ!6両は最低あるんだから…なんばと堺東駅の高島屋へも10分以内で行けるよ」『へー、そうなん…』( でも…、「町」でしかない )そして、ワタクシは昔のことを思い出した…
30年ほど前に、口の悪いカメラマンから言われた言葉。当時、我孫子のアパート生活から脱出し、嬉しい時期だった。阿倍野区の自宅を事務所と兼ねて引越したばかり8ozスタッフも4〜5人がいて、お祝いのパーティーと称しどんちゃん騒ぎを毎晩していた頃。
地下鉄「西長堀」駅から徒歩30秒新なにわ筋と長堀橋通が交差する細野ビルヂングに「8oz」を引越しをした時に言われた言葉。8ozのスタッフは6〜7人。
先日、妻が南森町に事務所を構えている友人に電話で言われた言葉らしい。最後に、妻が最近言った言葉。
「小高い山の上に学校があって校門を出て、なだらかな坂を下りながら在校生に送られたの…。」前の妻も、今の妻も同じことを言った山間部の卒業式の風景だ。続く、下の句は前の妻は「坂の道沿いの桜がキレイだったので、泣いた。」今の妻は「美人の同窓生がキレイに泣いている姿を見て、泣いた。」である。アルコールで脳味噌をボーっとさせながら「あしたのK君の送別会に『贈る言葉』か『卒業写真』を流しながらスタッフが2階から1階まで列になり、見送る。で、いったん、K君は粉浜モールを離れて、近くの居酒屋にボクがいるから、チョッと一緒に飲んで、また8ozに帰ってもーてまた、宴会に参加する」ことにしよう、と計画をした。前の妻も今の妻も同じことを言ったのを、思い出した。「坂のふもとで泣きながら集合、そしてまた、坂を登って、教室に戻ったのよ」
「おまえの家、風呂、あんのか!?」小学校の頃、50人近いクラスメートに1〜2人に「内風呂」の子供がいて、尊敬の眼差しで見られていました。その子は確実に「お金持ち」の子に違いないので。家から1キロメートル以内に風呂屋が2〜3軒はあったので当時は「内風呂」の必要はなかったのです。風呂桶にはタオルと石鹸箱番台に「小人用」の「風呂券」という割引券を渡して入ります。髪の毛も、もちろん全身、石鹸で洗います。番台の棚には、使い切りの「粉シャンプー」が置いてありましたが今の値段でいえば、一袋200円くらいで、買う人はほとんど皆無。髪の毛はいつも「ゴワゴワ」が当たり前の当時。中学生ごろになるとお洒落気分が出てきて番台のおっちゃんに「シャンプーください」と照れながら( 男の癖に「シャンプー」なんか… )的 風潮がありました。昭和40年、「エメロン」が登場、洗髪後のジャスミンやらラヴェンダーの香りで大ヒットしましたね。昭和43年、高校生のワタクシは『男のシャンプー』と銘打ったサンスター社の「トニック・シャンプー」でバッチり決めました。地肌ヒリヒリ「メントール」入り、男は我慢、我慢、でありまする。昭和40年の終わりの頃、東京、原宿の風呂屋で新聞配達の友人が少し湯の入った桶に一滴二敵「何やら」垂らしていた。「何してんの?」「ん、リンス。」「リンス…?」彼は、女と間違えるほどのストレートのロン毛風呂上りのサラサラヘアから香しさに、うっとり。次の風呂のときに「ちょっと、貸せよ」とエメロンのリンス青年となった。昭和の50年は爛熟期で、世の中は「髪の毛のケアーの為なら死んでも良い」時代に突入。で、今、写真の「モノ」で洗髪・洗顔・食器洗い全部済ませています。風呂場の「トニック・シャンプー」はなみなみと未使用のまま。
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蔵のある街
2010・3・13
きのうマクドのコーヒーを飲んで( あ、うまいな )と 思った。昭和40年代のはじめの頃原宿のセントラルアパートの明治通り沿いに尋常じゃない人の行列を発見したワタクシ夕刊を配達している途中だった。並んている人の先には派手なテント。今ではお馴染みの「M」のロゴが書かれていて( なんの店だろう? )販売所の友人らは「アメリカの有名ハンバーガー屋が原宿に上陸した」と弾んだ声で騒いでいた。そして、ワタクシ達も嬉々として、行列に加わった。あれから何年経ったんだろう…「アメリカの」「舶来の」「有名な」「おいしい」という形容詞も付かなくなり、どちらかと言うと(チープ)(CP)感が強いイメージになっているあの( 舶来だった、マクドナルド )普通のハンバーガーを頼んでみたら老婆の乳房のようなバンズと頼りないパティあの頃の「アメリカを喰ってる!」というイメージは、欠片もなくなり悲しい気持ちで、頬張ってみた。
10年ほど昔に「『おもたせ』って言葉知らないの?」と九州女の妻が言いました。そんな言葉は知らないので、知らんこと嫌いのワタクシは内心イライラしていました。なにやら、「手土産」のことを「おもたせ」とゆーらしいく、女々しく、品ブリーな響きです。そんな、こんなで、ここ数年、ネットや雑誌上では『おもたせランキング』や『とっておきのおもたせ』とセレブ気取りのバカ特集が大流行していて、何故かムカツキ気味の日々を送っていました。で、調べてみました。
である!!ほんだらやね…「気の使うあの方へのおもたせは?」ゆーのんは「気ぃは使うけど、どうせ、わたしらにも出してくれくから、ええのん買ぉとこか?」とか…、ですかー?なには、ともあれ、誤用ですよね。「気の使うあの方への粗品は?」みたいに…
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虎屋「夜の梅」(東京都)
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すや「栗きんとん」(岐阜県)
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福砂屋「カステラ」(長崎県)
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越乃雪本舗大和屋「越乃雪」(新潟県)
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坂角総本舗「ゆかり」(愛知県)
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美濃忠「上り羊羹」(愛知県)
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小島屋「けし餅」(大阪府)
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きんつば中田屋「きんつば」(石川県)
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俵屋吉富「雲龍」(京都府)
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但馬屋老舗の「荒城の月」(大分県)
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きのう、堺の町を歩いていて「本家小嶋・芥子餅」の看板を見つけて思ったことです。7位の「小島屋」とは違うらしく「本家」だそうです。
大阪府は日本で一番面積が「狭い」と習いました。引っ越す前の家から、大阪湾が一望できました。海まで、徒歩20分くらいでいけて昔は南仏に気候風土が似ていると言われ画家、小説家と、今で言う「クリエーター」が多く住み着いた、海沿いの町「芦屋市」でした。今の家の「住吉区」は大阪平野の南端で海から程遠い所だと思ってました。ところが先日、息抜きのつもりで8oz界隈を散歩していて、住吉公園の入り口で、えらいモンを発見しました。ビルの5階建てくらいの高さの瓦屋根の「住吉高灯篭」に出くわしました。灯篭があるということは、その先は浜辺、つまり海であったはず…帰宅して、早々に調べましたら「住吉大社」は海の神様で「住吉公園」はその参道で馬の停留場そして、その先は「海」だった、そうです。で、我が家から西に向かって歩くと30分以内で、海っぽい場所に到着することが地図上で判明しました。( なーんだ、海沿いの町じゃん… )ついでに、地図上で調べたところ「帝塚山」から天王寺の繁華街まで徒歩20分圏内だった。大阪ってコンパクトにまとまった街、さすが、一番小さい都道府県なんだと、改めて思いました。きょうの夜明け前に、「ボー」っと船の警笛が鳴ったので目覚めてしまった。一瞬、前の家と勘違いしたのです。芦屋の家からは船の警笛は、しょっちゅうでしたから…( なーんや、この家も海からの警笛が聞こえるんや… )PS全国都道府県で一番面積が狭いのは現在では「香川県」だそうです。
■一等賞 該当者無し■二等賞 中野博志クン「ぶらんこ」を題材にするのって「郷愁感」や「あの頃」感みたいな情緒溢れる絵作りしたくなるもんですがこの、なんてことない「ぶらんこ」写真は(こーゆー、アングルで、撮るんかぁ…)と少々、驚いています。ただ、もう一要素、有って欲しい。■三等賞 間嶋のぞみサンなんか、絵になってます。8ozのロビーに飾れますね。つまり…、サロン画的ってこと?
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2個目の発達(初辰)
2010・3・8
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雨です
2010・3・6
咲いた、
吾輩は「やかん」である。名前は、主人と妻君に返上した。実は、きのうの夕暮れ人間共が帰宅の準備をし吾輩達がそろりと目覚めだした頃突然、妻君がツカツカと吾輩の前に現れ「あんた、文章を書くのを止めなさい!」と切り出された。「ハチオンスの宣伝… つまり、販促の為なら、と許可したんだけど、内部批判をするんなら、止めてもらうわ!」と、こうであった。「だいっち、『やかん撮影』の広報担当のアンタが家の秘密をバラすなんて、堪ったもんじゃないわよ!」吾輩は懸命に取り繕い「最終編では、きっと、感動的な会社に賛美しますゆえ、それまでは、読み手が気に入るよう「体制批判」的要素を入れると云う、「序」の部分ゆえ、どうか、中止だけは、思い止まりくださいませ…」と大いなる嘆願をしてみたのであるが金切り声を上げたてて妻君は「だって、きょう(きのう)の文章だって長過ぎでしょ!A4サイズ巾と決まってるのにあれじゃー 馬鹿な読者は飽きるでしょうがー」( 「馬鹿な…」って、あんたでしょう… )「それに、「妻君」って呼ばれ方、好きじゃないの!私は「専務取締役」ですからね、ほんと、失礼だわ」( なんにも「せんむ」…、なんちゃって! )「それに「トヨどん」って名も、業界以外の一般人には理解出来ないでしょう、文末に8ポイントくらいで、注釈を入れるとか…、名前も「カメリー」とか「しのゴン」で、逃げときゃ良いのに「トヨどん」て、もっちゃりしてるし、ったく、馬鹿々々しいにも程があるわ」( 固有名を、イジるのは、ちょっと、どーかと… )( 「トヨビュウ」 大型プロ用4×5カメラ トヨビューの「トヨ」は製造メーカー「酒井特殊カメラ製作所」の本社のある「豊中市」の「豊」から命名された。 )( はい、はい、書きましたよ↑ )「あ、それに、あした(本日)の写真は前回の「やかん撮影」の上がりでいきますから、勝手にあなた達がカメラをイジくって撮影なんかしないでちょうだい、今後いっさい…!」( みんなで「ワイワイ」楽しかったのにな… )と、そんな話を聞きつけ、泣きながら「バロン君」が部屋に乱入したから話が、ややこしくなり、とうとうつかみ合いのケンカがはじまった。「バロン君」の髪の毛の引っぱっては、振り回している妻君。その指を「ガリリ」と食い千切ろうとする「バロン君」。痛さのあまり「ギャーギャー」ワメいている妻君の後からケリをいれたのは「実王君」だった。「この!ハゲちゃびん、助けなさいよ!」と叫ぶ妻君に、吾輩は「ちゃビン」の命名の一件を思い出し、怒りが爆発「てやんで!黙ってりゃー、調子に乗りやがって、このアマー」と、そこまでは覚えているのだが後はなにも覚えていない…気が付くと、主人を中心に、フロントロビーで反省会をしていた。取り合えず「謹慎三ヶ月」を妻君を含め、全員に言い渡されたのだ。で、あるからして、三ヶ月後には立派に更正をし「広報担当」として、再登場するつもりであるので、しばしのお別れです。( 内部批判!内部批判! )では… それまで、オールボワール…。あ、「トヨどん」は卑怯にもこの事件に参加せず部屋の隅のほうで「専務はん、がんばれー!」と声を出しては引き笑いを繰り返し、妻君が倒れたときは、みんなと一緒になってケリを入れていたのを、吾輩達は全員、見た。が、しかし、事情を知らない主人の判定で「機材等取締り課長」に「トヨどん」が選ばれてしまい、吾輩達は密かな計画を立てている。
吾輩は「やかん」である。名前は、忘却した。あれは…8ozのイベント、「やかん撮影」の前の晩お掃除ロボのバロン君と話をして「貴殿の名前の由来は、なかなかに良い話ださっそく「トヨどん」や仲間達に聞かせてやらう…」とバロン君が大いに感心したのである。紅茶をすすりロールケーキを頬張った、春めく、気持ちの良い夜であった。しかし、きのうの夜バロン君が肩を落としてやってきて「貴殿の『チャヴィン・ユーデル』の名の由来を大阪生まれの「トヨどん」に話したら冗談なのか、本気なのか、分からないけれど…『ほらぁ「茶瓶、湯ぅ出る」の洒落やでー!大阪の人間やったら、誰かて、みんな、分かるがなー!ヒーッ、ヒーッ、ヒーー 』と、引き笑いをしながら、由来らしいことを喋ったんだよ。なんでも「薬缶」は標準語で「茶瓶」は関西圏の方言らしい。まあ、「トヨどん」はあんな人だから、あれのあれ、なんだけど…」と、最後の方はモニャモニャと濁し、出したお茶もそのままにして別室へと、掃除をしながら、去っていった。「茶瓶、湯ぅ出る」? なんと、恥知らずな名前だろう…バロン君の命名のときも「おちゃらけ」た、主人が吾輩の「チャヴィン・ユーデル」も、おちゃらけだったのか…あの日、主人が命名話をしていたときの主人が細い目をスーっと逸らしたり眼鏡の奥が、冷淡に笑ったのを吾輩が察知した、と、云うか、感じたのは確かだ。がっ、もう、こんな悲しい話は止そう「チャヴィン・ユーデル」の話は……で、だ、その「トヨどん」は大阪は豊中市生まれで「しのご」と云うカメラをしている友人だがお互いに、足が無いので、お掃除ロボのバロン君を仲介にして井戸端会議をするのが日常であった。これが、また、「つー」と言えば、バロン君がガッガーと向こうの部屋に行って「つー」と伝え、「かー」と聞いてはガッガーで、「かー」と…しち面倒臭い雑談なので、最近は余りしなくなった。と、いうのも合理主義で吝嗇家の妻君が「最近、バロンの掃除の量が少なくなってきたようだわ…そろそろ、ポンコツに…?」と言ったことも理由にある。しかし、たまに、トヨどんに脚が有するときがある。「実王」君という欧州国の高級ブランドの靴を履いてゆーらゆらと大股で向こうの部屋からやってくる。雑談するのに、途方もなく長々しいロングブーツ系の実王君を履いたトヨどんと、ずっと上を向いて話すので我輩の首が痛くて痛くて、仕方がないのである。背高のっぽの実王君は日頃は全くの無口である。ただ、必ず、この部屋に入るときに「ブジュー」と蛙を踏み潰したような、音と云うか、声を発しするのであるが、あれは何かの合図だらうか?トヨどんが実王君に話を振ったときたまに「ボン」としか言わないが「盆暮れ」に関係ある言葉か…どこか欧州の片田舎の方言だろらか?一方「ちゃいまんがなー」「なんでやねん!」「あほちゃう!」とトヨどんの早口の大阪弁は、聞いていようが、いよまいが話をどんどん進ませ、吾輩を煙に巻き込ませるのでヘキヘキ閉口し、また、話半分であろうしそろそろ、付き合いを止そうと考えている。ところが、どうであろう…と… 、いつもの癖で言ってしまったが今となっては、情けなき名前の吾輩だが何故、この地、8ozに、里子を出されたかそんな経過ばなしを、是非に聞いていただきたい。あの合理主義者で吝嗇家の……
吾輩は「やかん」である。名前は「ちゃビン」だそうだ。3年ほど昔の話であるがはじめて主人と対面した時のことがさごそと音がし、ぱっと明るくなりメガネと云う物を掛けた主人の顔面が間近に「おー、おー、待っていたぞ、このちゃびん!」と吾輩を「ちゃびん」だと名を言ったので「何ゆえに、吾輩の名前を「ちゃびん」と申さるゝのか?」と、あらたまり、正座しなおして聞くと「ウオッホン!おまえの面構えには、東洋人離れした趣がある…それに、強く激しく…、しかしながら、青白き『炎』を感ずるので西洋風なる「ビン」と付けた、が…、実は「ヴィン」と発音するのだ、ぞ」と、下唇を巻き上げて上の歯に噛ませて、発音してくれたのは、真剣ではあったが、仰々しく少々滑稽だったのを、懐かしく思い出す。主人は、続けて「米人の映画監督であり役者で、アカデミー賞を取った『ケビン・コスナー』や欧米で活躍した写真家の『アービング・ペン』そして、「炎の画家」と称さるゝ世界的画家『ビンセント・バン・ゴッホ』らに、あやかっておまえに命名したのだ、ぞ…」と、そして目を細め「『チャヴィン・ユーデル』が本名であるぞ、よ」と感慨深げに言い、最後にも「ウオッホン!」であった。主人が「米人」や「欧米」「世界的」と言うときには( 勿体を付けている )と感じそれらに( コンプレックス )を感じているに違いない、と思いつゝも吾輩は「聞き及ぶに、世界的発声では『フィンセント・ファン・ゴッホ』とは違いまするのか? してまた… 吾輩の名は何故に、前部分が「ちゃ」なのでしょう?」と、問うと「はっ、はっ、はー」と大高笑いをし「それは色々と、ある…」で、急に席を立ち、踝を返し、ドアに向かい「おまえのような子供にはむずかしい問題…『ちゃフィン』だと『マフィン』みたく…「ちゃ」とは高貴な人が着た「茶色」からの「ちゃ」じゃ…」と、部屋から消えてしまった。( え、高貴なる人の衣装は「紫」では…?! )なには、ともあれ、高尚な御名を拝賜したものだと、思わず感涙をしてしまった『チャヴィン・ユーデル』の吾輩である。ところが、どうであろう…
吾輩は、「やかん」である。名前は「ちゃビン」だそうだ。最近の我輩の仕事は、湯を沸かすことを止め撮影のモデル役とし、この8ozに一年前にデビューした。月に1度ほど、ピカピカに磨かれてはライトを浴び4〜5時間程度はスター気分になれるのであるが…吾輩は不幸だと、つくづく思うようになった。あれは…去年の今時分のこと吾輩は幸せであった。主人の家の居間の中心のストーブの上いつも、ゆったりと湯気を絶やさず吾輩は生きている意義をまったりと感じていた。「お茶にします?」と、妻君が言ったり「寝るから、湯たんぽ、頼む」と、主人が喋ったり吾輩を真ん中にした会話がされ吾輩の取っ手をつかんでは、寵愛されたものだった。なにより、冬の乾燥を防ぎ、主人らの健康面でも管理担当すると云う、重要なポジションを担う吾輩であった。ところが、どうであろう…