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昭和の洋館(?)
2010・2・27
吾輩は、8ozのフロントロビーのウーファを担当しているスピーカーである。主人の前の家から活躍しているが、このロービースペースは「ズシン、ズーン」と大いに吾輩の存在を知らしめるので、毎日満足生活。8ozにお越しの節は、貴殿のお腹に「ドーン」と響かせ申すので、よろしくご期待を。あっ… 名前は「ミー・ファ」と情けない名前だが… 。
吾輩は、8ozのフロントロビーのスピーカーである。主人の前の前の家で活躍し、このたび6年振りの登板緊張で振動板が震えています。8ozにお越しの節は、是非 お声を掛けてくださいませ。あ、名前は「坊主」です。
吾輩は、お掃除ロボ、バロンである。呼び鈴が鳴る。「カチャッ」と音がして「はい、ハチオンス、○○です。」と聞こえる。○○は人間の名前のようで、いつも入れ替わるようである。「電話」と云う物らしく、「はい 〜 です。」と云うのは「電話」を触る時の「符丁」で、電話の向こうにも人間がいるらしく同じような符丁で向こうも話しているらしい。○○が「サクモツです。」と云う声には聞き覚えがある。あれは、この「ハチオンス」に追いやった合理主義者で吝嗇家の妻君の声に、違いない。あの声を聞くたびに、吾輩は自然と眉間にシワを寄せてしまう。では、「ハチオンス」とは、一体何なんだろうか?多くの若造たちがワイワイ出入りしているから「学校」か?「カメラ」と云う物で、何やらを「撮影」しているから「写真学校」かも知れない…。また、毎夜のごとくに酒場のような様相になるので「スナック」とゆうモノかも…?まあ、ともかく、吾輩は「ハチオンス」と云う場所を掃除しているらしい。つい先日「生きていたか?!」と主人が面会にきたのである。嬉しさの余り、泣き出しそうになったが、吾輩を「里子」に出した主人だと思うと、怒りもこみ上げてきて、複雑な反応になってしまった。主人は優しく吾輩の「スヰッチ」入れ「ほら、」と放ったので精一杯の働きを見せようとしたのだが、涙で前が見えず不審な動きをしてしまい「やっぱり、駄目な奴だなぁ」と言いながら吾輩の後をずっと付き添ってくれた。吾輩は、昔の家の時代を思い出し、俄然号泣で、思考不能に陥り、同じ所の回転を繰り返しまたまた「駄目だね」と主人に言われて、とても嬉しかった。
吾輩は、お掃除ロボ、バロンである。突然、温かい発泡スチロールの寝床から解かれ「ほれ!」と放たれた所は、まったく見当もつかずキョロキョロ様子を探ろうとしたら、電気を消され「バタン!」と扉の閉まる音、次に「ガラガラガラ」とシャッターらしき閉まる音が聞こえた。真っ暗い中、吾輩はお掃除ロボとしての仕事をはじめてみたものの、状況が分からず、何度も休憩を取り思案に暮れていた。次の日、電気エネルギヰを使い果たした吾輩は掃除を終えた部屋の片隅で休息を取っていたら闖入してきた、若造らが騒いでいるので目が覚めた。「なにー、これー?!」若い女が吾輩の横腹を軽く蹴った。「地雷と、ちゃう?」と男が吾輩をひっくり返して「わ!毛ぇ生えてるでぇーー!」と吾輩のヒゲブラシを引っ張る「テロや、新型爆弾やでぇ、きっと…!」と別の女が叫ぶと誰も恐れて逃げる様子もなく「きゃ〜!」と吾輩に尻を当て「ブッ」と屁をひる奴「ほれ、ほれ」とモップで吾輩を突き回す奴やらで吾輩を仰向けにして、ガヤガヤと別の部屋に去っていった。『 ここは何処なんだ…? 』
吾輩は、お掃除ロボ、バロンである。前回の登場から約1年前である(’09 .2/12.2/13.2/17.3/11.4/3)が覚えておられるであろうか?このたびの引越に際し、吾輩はじっと観察をしていた。手荒にポンポンと段ポール箱の詰められては、テープを張られ「台所」や「客間」、「洗面所」、「居間」などと書いては分別処理されていくヤツらの中で、廃棄を意味する「ハイキ」と書かれた段ボール箱の数の多さに、吾輩は驚いた。いや…、箱詰めされるヤツらはまだしも、ガムテープに「ハイキ」と書かれて、そのまま「ハイキ」の山の中に放り込まれる仲間を見て、吾輩は(もはやこれまで、この1年間、振り向きもされず、2階の物置部屋の隅に放置されたままだったので、恐らくはガムテで「ハイキ」の口だろう…)と覚悟を決めていた。そうしたら、どうであろう、合理主義者で吝嗇家の妻君が吾輩を、元々収まっていた箱に詰め直してくれ引越業者に「かたがた…」と耳打ちしているのを途切れ途切れに聞こえてきたので、好きではなかった、あの妻君に対し大泣きに泣きながら、箱の中から、感謝したのであった。ところが、どうであろう…
「これって、リモコンの意味あるの?」『え…、だって、探さんで、ええやん…』LED電球の点滅スイッチの紐にぶらさがっているリモコンを見て、あきれながら言った妻でした。子供の頃四人兄弟の末っ子であった、ワタクシは家族の「テレビ・リモコン」でした。姉や兄たちが「次、8チャンに回して」とか「早よ、『ロッテ歌のアルバム』にしー!」って言われて、『え゛ー』とか、一応、反発するものゝノロノロとテレビに向かいガチャガチャとチャンネルを回す役をしていました。テレビ、ケーブルTV、オーディオアンプ、エアコンワタクシの周りにこれらのリモコンが散乱していていつも、いつも、探しまくっています。このたびの照明用リモコンの導入に際してこれ以上「リモコン探し」業務から開放されたい為紐スイッチにくくり付けてやりました。Look at the Mar!! ざまー見ろ!!リモコン下に、ぼんやり青白いお化けの様なモノはパソコンに向かってる、色反射を受けた妻のオデコです。今の家のトイレはリモート式で、左の壁に貼り付いていますが習慣で、右手で便座の横をまさぐっているワタクシです。
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木曜日は商店街のお休み日
2010・3・18
元8、3人現8、4人3人の元8ozの女性はワタクシを含めた4人より、勝まさっていた。それはある意味フリーランスの匂い、もしくは個人事業の強したたかさからかも知れない。流麗な「ビル・エバンズ」がゆったりと響く中で3人漫才を聞いているようでもあった。下ネタあり… 超業界マル秘話しあり…現8は、口をあんぐり開け、拝聴するばかり。「8ozって確実に『青春の1ページ』やった…!」と誰かが言い 「そーや!」「やったわ!」と合唱していたね。
先週11日に送別会でワタクシの抱える問題が1つありました。それは、参加する20人ものスタッフを巻き込む「音楽」でした。粉浜駅から難波駅へ、そして、そのまま高島屋のCD売場に飛び込んで『50,sロクンロール』を漁った。どうしても流したかったのは2曲・『Rock Around The Clock 』 Bill Haley・『Roll Over Beethoven』 Chuck Berryこの2曲さえあれば、あとはどんな曲が入ってようがその「ベスト盤」に決定する予定だった。and Get !!きょうの夕方、元8ozのメンバーが3人来るもう、10年になるのかな… 、女性ばかり3人だ。ついでにワタクシも… と、ゆうことで『サロンde8oz』にて酒盛り。彼女達も、もう大人だから、あの曲を流そう…・『Waltz for Debby』 Bill Evans・『My Foolish Heart』 〃
「しょんべんされた…!」最近はあまり聞きませんが、昔はよく耳にしました。翻訳すると「だまされた」という意味です。「しょんべん、あかんで!」これは「冷やかし客、お断り」です。上の写真は「帝塚山・無学」という建物です。我が家から歩いて2〜3分の所にあります。六代目・笑福亭松鶴さんの住まい跡地を弟子の鶴瓶さんが買い取り、寄席として保存されました。月に1度、鶴瓶さんと予告無しの「?」な秘密ゲストとでトークショーが行われるそうで、過去には天童よしみ・板東英二・森田一義(タモリ)・桂米朝が「?」ゲストとして出演されたそうです。笑福亭松鶴さんは「らくだ」の演目に代表されるように豪放磊落で、特に酔っ払いの演技が絶品とされていますがワタクシは松鶴さんの「しょんべん」ネタが大好きでした。「じょんじょんじょんじょん、じょんじょろりん…」と客に受けたら、いつまでも「じょんじょん…」と、止めなかったことを忘れられません。『有馬小便』そして『相撲場風景』がそれで是非 ライブでお楽しみ下さい。あ、そうか、無理か、嗚呼…… 。
まだ声変わりしない黄色い叫び声もう低うなってしまったガラガラ声今、向の住吉中学校の校庭では野球の練習試合をしています。空にはセスナ機が飛んでいてどこかのスーパーの宣伝をがなり散らしています。なんか、懐かしい音の風景です…。この家に越して、16日目の朝。
半年前から引越を計画して兵庫、奈良、京都、和歌山との県境の大阪府とあちこち引越ハンティングに出掛けました。そのたびに、妻から「NG!」です。「家は良いんだけど、通勤時間のことを考えてよ…!」と、言うだびに、ワタクシの決まり返答は「ぎょうさん、本、読めるでぇ…」
妻は「活字中毒」で、自称『活中』です。ちょっとした文庫本1冊くらいなら1日の通勤の往復で読めるらしい、ですから、相当です。つまり、通勤に時間が掛かるほどに本が読めますよね。
2〜3日前、妻はぼやきました。「あえて不満といえば、本が読めないこと…」だとこの家から粉浜の8ozフロントまでは10分足らず。で、ワタクシ 言ってやりました。「ぼくみたいに、トイレで読めばっ」って。この罰当たり者めが……
6〜7年前に、3年日記を買って書き続けて、4年目にまた、3年日記を買ったんですが…( さて… )と 考え込みました。この先、どーなるかも知れないし居間の座右にチンと場所を占めて、過去ばかり背負い込みそうだしそれに、3年物だから、書くスペースも限られていたのでその1月まで書いたけれど、PC化に変えてしまい、今も続てます。
きのう、家から歩いて10分くらいの住吉大社に出向き「初辰まいり」を済ませました。この「初辰まいり」は月の初めの「辰の日」に参拝し商売発達を祈願して、毎月々々、合計4年目に満願成就すると言われております。12×4=48 つまりは 四十八辰 ほんで 始終八辰んで 始終発達 に掛けたものだそうです。
ワタクシ共の「初辰」の4年のスタートがきのうだった訳でこの「初辰まいり」は正式には住吉大社内の4箇所の神社を詣でるのですが、ワタクシ共は事前調査不足でとりあえず、あちこちに少額貨幣の賽銭をばらまきまくりました。妻は「『8oz、発達、8oz、発達』と言った」そうでワタクシは『お金、ガッポリ、お金、ガッポリ』でした。肌寒く、こぬか雨降る、日和でしたが参道には、正月よりは少なめでしたが、縁日気分も味わえました。
かわいい「初辰招き猫」を買い求め、4年間で48個に…と考えていますが( この先 どーなることやら… )と考えたらきのうに 48個 全部 買っとけば…、と 思ったりネット買いでけへんの… 、 とも 。
普通スタジオにはスリッパが用意されていますが履いたことなかったです。あの「ペタペタ」の音が( プロじゃない! )と、思っていたので、絶対に履かなかったです。
家でもスリッパを置きませんでした。スリッパは、靴下の汚れ防止のためですかね?トイレ用もあったりしますから…ね。
この家に引っ越して、最初からスリッパが置かれてあったんですが( いつか捨てよう )と思いながら引越にともなう色々な工事の立ち合いをして足下から「冷え」が入り込み、風邪を引きそうになりました。
あれー?前の家でも、台所だけはスリッパ履いてたか、確か…。おい、プロ根性はどこへ行った?!
ワタクシが常々思っていることは他人ひとの「ユーザー辞書」を拝見したいということです。と、いうのも…ワタクシのそれに「aa」があるからです。あの餃子の「aa」の「a」の字が変換できなくって2〜3ヶ月に1度くらいはお世話になっていてPC日記で書くために「ユーザー辞書」に登録しているのです。
小学生の4〜5年の頃はじめて「aa」の餃子を食べました。阿倍野近鉄百貨店の隣りに近商ビルだか、映画館が入った建物の地下に「aa」がありました。はじめての餃子は狂わんばかりの美味しさで上機嫌にテンションが上がってしまったのを覚えています。そんな調子で店員のお兄ちゃんに「ね、あの字、間違えてますよ…」と「aa」の看板を指さして言いました。「王へんじゃなくて、目へんですよ」とそしたら、そのお兄さんも「あー、ほんまやなー」と納得していたのを思い出します。
20年ほど前に、福島区だったかの「aa」に入った折に客数が少ないので、閑を持てあました女性スタッフさんは箸立てに箸を補充していたんですが、それがまた、ギュウギュウ詰めにしていたので、1本抜こうとしたら、全然取れなくて「すいません、お箸、くださいー」と言ったらどうも、東洋系の外国の方とみえて、意味が通じず、仕方なく必死の思いで箸立てと格闘した覚えがあります。
きのう、心斎橋のハンズの筋向かえの「aa」に入ったんですが餃子がきたので(えーっと、箸立ては…?)と探したら(ない!?)と、よくよく探してみたら、籐で編んだバスケットの中に金属製の箸を一膳、見つけ出し(ホッ…)としたのでした、が♪ 嫌じゃありませんか軍隊は、金の茶碗に金の箸、仏様でもあるまいし ♪と『軍隊小唄』にあるように、ちょっと、馴染めなかったです。
地球に優しいとマイ箸を持っている人が多いそうですが3本で1円くらいの割り箸を助けるため、マイ箸に数万円の掛ける人って死ぬまでに、何万回もお箸の外食するのでしょうね?
大東亜戦争、つまり第二次世界大戦が終わった頃…つまり…、戦後、ワタクシが生まれた頃に「銀しゃり」という言葉も誕生したらしい…今、「五穀米」は健康に、美容に、と スーパーなんかのお米売り場にデ〜ンと偉そうに置かれていますがあの頃…ご飯の増量材としてヒエやアワが混入された、まだら色の飯。ぼくら、子供たちは「白いご飯が食べたい!」と母親を困らせていました。その頃に「白飯」のことを「銀しゃり」と尊ばれてデビューした、言葉らしい。きょうの朝に「銀しゃり」を食べました。引っ越して、バタバタとし、とりあえず、の、食事で過ごし妻は「ご飯を炊きたい…」と言い続けていました。そして、やっとこさ、念願の「銀しゃり」が食卓に登場。我が家は炊飯器がなくて「土鍋」一本槍。で、その「土鍋」がパンダの梱包の山の中に埋もれてよーやっと、見つけ出したのであります、目出度し。え…、で、今でも、お米売り場の「五穀米」を見ると( あれは、ヒヨコの喰いもん… )と( なんで、好き好んで… )と 軽蔑の眼差し…。
「苦労さん… 庭が無いんですね…」と引越を手伝ってくれたスタッフが、何故か、悲しそうに言った。『えっ、あるやん、自転車も置けるし…』「えー、まー、前の芦屋の…」と口ごもった。朝、8時30分になると始業のチャイムが鳴り体育する生徒の元気な声が聞こえ授業が終了すると「ラッチ、オーエー!」と野球部のかけ声6時30分、下校を促すアナウンスが聞こえる。そして…静まりかえって、我が家の庭となる…「大阪市立住吉中学校」の裏門の前にある、新居です。庭には3メートルの槙の木と小振りな梅の木もあります。で、下の定点写真も庭のようなこの校舎を、毎日お届けします。