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青 蒼
2009・10・31
2~3日前から 我家の冷蔵庫の調子がヘンだ。ビールがぬるいので (あれ…、こんなもんかいなぁ…?)と思っていましたら、冷凍庫の氷が凍らない。色々な食材とかは「良し」として、水割り用の氷が問題だ。小さいレンガ程のタッパー2個に水を張って製氷してるんですがこれが今夜からヤバそうな雰囲気。今朝、妻に『冷蔵庫、こおて来て!』って必死にゆーたのに返ってきたのが「阿呆」って……
上の写真の「間違い探し」??正解 いつもの「寅さん」のコスチュームではない。注釈 劇場版の第1作目だから、、、色々と「揺らいで」います。主題歌の出だしは?@ 俺がいたんじゃ お嫁に行けぬ 分かっちゃいるんだ 妹よA どおせおいらはヤクザな兄貴 分かっちゃいるんだ 妹よ正解 どちらも正解です。注釈 レコードでは@ 劇場版の5〜48作品まではAです。第2作品目に妹の「さくら」は結婚をし、赤ちゃんがいます。第4作まで主題歌も「揺らいで」います。
バブルの頃東海地方の自動車メーカーのスタジオで2ヶ月間、照明屋として缶詰になりました。宿泊している簡易ホテルとスタジオの往復だけで「その土地」を全く知らずに仕事を終えました。最終日、深夜に東京のカメラクルーと別れ名古屋駅前の豪華なホテルに予約を入れ8ozスタッフと大いに祝杯を挙げました。翌朝、8ozのスタッフは大阪に仕事がありそれぞれに帰阪しワタクシは一人で名古屋駅までの道すがら町の「きしめん屋」を探し、当てもなく歩きました。立ち上がる湯気に山盛りの花鰹が踊っている蒲鉾か鶏肉だけの、素きしめんを想像しながら…何軒かの店はありました、が知らない町の「店」の引き戸は大変重そうなので、入る勇気が失せ名古屋駅到着してしまいました。駅の構内のお土産売り場で店頭の数種類の「きし麺」を全て買い求めて帰宅し、食べ比べた中でこの「よしだ」が一番(うまい!)と思いました。それ以来、名古屋あたりに寄ることがあれば指定買いしたり、ネット注文したりで台所の棚には 必ず あります。夏には冷やし、冬は煮込みで おいしく頂いております。上の写真は、先日 名古屋在住の息子に頼み届いたものです。
この日曜日に母の三回忌法要があり昼過ぎからのアルコールを摂取。久々の兄弟や叔父さん甥姪やらとの話は弾み気が付けば、きのうの朝の自宅の布団の中。「お寺さんから、次に鉄板焼き ほんで次はカラオケ屋と続いたのよ…」と言われて『へ………っ』知らんわ。壮絶な脱水症状で、トイレにも立てないほどのフラフラきのうは1日中、安静にし人と会う約束を2本キャンセルしてしまいました。今年はじめての禁酒をし今朝ようやく キーが打てるほどになりましたが完全ではない体調です。法要の2日前から息子が名古屋から戻りなにかと酒量も上がってましたしね。日の明るい内に飲むのは危険です、止めましょう。
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火が熾り過ぎたら氷
2009・10・26
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コヤツ何者
2009・10・24
映画『ぼんち』は好きな映画の1本です。昭和35年(1960年)制作市川崑さんの監督作品です。市川監督で思い出すのは『東京オリンピック』くらいでマラソンのアベベ選手の[ふくらはぎ]のアップでブルーンブルーンと筋肉が揺れているシーンが妙に忘れられません。金メダルを獲得した日本人選手を、もう一度、映画の大画面で楽しもうと思ってた、中学一年生のワタクシには暗く重たい「芸術」映画にアクビばっかりしてました。また 数多くの『金田一』シリーズも テンポの速いカット割りやクローズアップの多用も 疲れてしまう ワタクシです。しかし、この『ぼんち』はその辺を含めて心地よいです。話は変わりますが、山崎豊子さん原作映画はだいたい好きです。もうすぐ封切りの『沈まぬ太陽』をTVで大々的に宣伝していますがビデオ化したら 観たいです。『暖簾』『花のれん』『女の勲章』『女系家族』『白い虚塔』そして、この『ぼんち』と見ごたえのある映画ばかりです。1970年以降の『華麗なる一族』あたりからは映画界が「ちから」を失くし、薄っぺらいと感じて敬遠気味。最近 TVドラマでリメイクのを何本か見ましたが大阪が舞台のはずなのに「大阪弁」風な標準語や東京を舞台にかえたりと、かなり違和感を感じました。それに 昭和の「あの頃」なのに… と、『ちゃう!ちゃう!』を連発。そう!そう!『ぼんち』の魅力の1つにカメラマン宮川一夫さんの「ちから」もあるんでしょうね。
きょうの未明…「未明」ってご存知ですか?最近まで「はっきりした時間が特定できない」時間と思ってましたら「日が昇り空が白みはじめる、前」の事で、正確には「0時〜3時ごろ」事です。老人性の目覚めをしたら、妻が居ない。神隠し…?で 仕方なく、起き出してトイレにむかい『お〜〜い!』って声を上げたら。2階から「はーーい!」と返事が返ってきて、一安心。『何してんの?』って叫んだら「流れ星、見てんの」と返ってきた。ワタクシ、布団に戻り、すぐに寝てしまったが寝床に妻が入ってくる気配を感じたのは小1時間後のような気がした。今朝「流れ星、1個は見たと思う」と言いテーブルの上には日頃しないメガネが置かれていた。夜空を眺め流れ星を待つ、そんな…夢見る少女みたいな「人」やったん…?「カミクロイロシロ」
フォーク・クルセダーズだった加藤さんの記事に隠れてますがロス・プリモスのボーカル「森 聖二」さんが亡くなりました。艶のある歌声でムード歌謡を牽引されていましたのにね…、あの頃。昭和43年(1968年)の1月にロスプリの『ラブユー東京』がオリコンで堂々の1位に。この曲が1位を明け渡した、次の曲が偶然にもフォークルの「オラは死んじまっただ〜」の『帰って来たヨッパライ』です。また、『ラブユー東京』の前の1位が井上大輔さんのいたグループのブルーコメッツ『北国の二人』でした。井上さんも2000年に自殺されてしまいましたね…。カラオケでずいぶんに歌って、次の曲が出ないときなどに『ロスプリの「たそがれの銀座」!!』と叫んでは若いメンバーから「なんですか…!それ?」と言われてます。
昭和35年(1960年) 10月京橋の駅から急行電車に乗り20分ほどで到着した。「おかーさん、『まいほうこうえんまえ』って読むのん?」と妙子に聞いた、チエ子。「ほら、こっち側の公園の看板、読んでみぃ」「『ひらかたぱーく』」「そう、『ひらかた』って読むねんよ…」「へーっ!ひらかた、なん…」と言って「だいきくにんぎょー、めーさくえまきものがたり」「へー、よう読めたなあ、大菊人形・名作絵巻物語や、今年わ」と父の勝男がチエ子のおかっぱ頭を撫でた。ムッとする菊の匂いの中、勝男に手を引かれているチエ子は振り返り、少し後ろを歩く妙子に向かって「おかーさん、菊って えゝ匂い やね!」と声を掛けた。「ほんまやねぇ」と答えたが、勝男は「クサないかー?」とぶっきら棒に「なんか…ションベン臭い、気ぃすんねんけどなー」とちょっと鼻をつまんで見せた。「あの人形さん、誰?」と指をさしたチエ子に「徳川家康」と勝男「とくがわ…、この前、殺されはった人によぉ似てるね… メガネ掛けたら」「ん…、浅沼さんか?」と勝男は目を細めて見つめた。「ほら!演説中に刺されはった人…」「社会党委員長、浅沼稲次郎さん、か…」勝男はしばらく独り言のように、つぶやきだした。「これで、来月の総選挙で社会党にお情けで票が集まるかも知れんけど池田はん(首相)の「所得倍増計画」のスローガンには負けるやろし、野党の「安保反対」だけやったら、勝ち目ないでー、ほんま、雨降りの太鼓や…」チエ子はニカって笑い「ドンならん!」と声を上げた。昼食のお弁当の場所探しをしていたら、突然 雨が降り出した。園内の食堂に飛び込みビールとバヤリースと三ツ矢サイダーを頼みそのテーブルにお弁当を広げることにした。次々に入って来る客も同じような注文をしだしたので赤いリンゴの頬っぺの中学校を卒業したて程の若い女性店員が「お弁当ば 持ち込みんしゃるわ 悪かごたーなかけんどこゝん亭主ば 売上が落ちるちゅーて 機嫌が悪かとよ…わしゃ つらかー」と うつむいて喋るのを聞いた髭ずらの客が「主ぁ、九州の子ぉねえ?」と懐かしそうに、声を掛けた。「佐賀」と女店員が小声で答えると「熊本たい!」と髭ずらは嬉々として返した。男は妻と子供に出来るだけ高いものを注文するように言ったが妻は丸っきり浪花商人の喋りでブツブツと持参の弁当を前にし、ボヤく髭男は立ち上がり、テーブルをバン!と叩き「しぇからしかあ!!」と店中に響く大声を上げた。シーンとした店内チエ子は「『しゃーしかあ』って、何?」と小声でつぶやくと妙子が「確か、せからしいって言ってね」とチエ子に顔を近づけ「昔、九州の友達に聞いたことあるけど、うるさい、とか面倒臭い、みたいな意味やったよーな…」と小声で答えた。「つまり、シラスのあんよ、やね…」と勝男もささやきかけた。「何?なに? おとーさん 洒落言葉やんねー?、なんやろ?」と妙子の方を向いたが「さー、お母さんも知らんわ…」と首をかしげた。勝男はテーブルの真ん中にヌーっと顔を出し、小いさな声で「シラスは『じゃこ』あんよは『足』や、から じゃこあし!」「ふん、ふん!」チエ子も妙子も小さくうなずいた。「じゃかあしー、じゃかまし、やかましい、で 五月蝿い、で、どや?」「へー お父さん、そんなん有りましたっけ?」と妙子勝男 にんまり と 「今 作ってん…!」と 笑った。三人の笑い声が店に響く。いつも間にか、雨は止み、秋の陽光が食堂の窓から射してきてテーブルの上のビールやジュースの瓶が鈍く輝きだした。
4年前の今頃隣町のホームセンターの園芸売場で名前に惹かれて買ったのが「紫式部」でした。途中、ケータイに転送している社用電話が鳴り業務資料を家に置き忘れてきたので、慌てゝタクシーで帰宅したのを思い出します。色目の無い秋の庭に、ひときは可憐に実っています。お隣の庭先の金木犀の香りもこの季節ならでは… 。
わっ!オリーブがなってる。始めて見た。
2009・10・16
子供の頃桃屋の「いかの塩辛」を冷蔵庫のポケットから取り出し、こっそり つまんで食べました。ゾロゾロと、あんまり「絵」にならない不気味な光景ですね。桃屋の「いかの塩辛」は貴重品で卓袱台の真ん中にポンと置かれたら、子供達は奪い合ってご飯にのせました。嗚呼… 茶漬けも うまかったなぁ!上の写真は自家製の「いかの塩辛」です。自家製を作って、10年近く。最近 やっと 思うようなモノが出来るようになりました。刺身に使えるくらい新鮮な「いか」を4杯「げそ」(下足)は「いか焼き」用にし「胴」と「わた」を塩辛にします。捨てるのは、背の軟骨と「くちばし」のみ。
世の中に不必要なモノがありますね。・24時間営業のコンビになんかのシャッター・保冷車のルームミラー・トイレの蓋3番目のトイレの蓋に関してですが我家は「要ります」、特に冬場。その答えはエコです。便座暖房の保温効果を上げるためです。もう習慣になり、夏でも閉めてしまいます。亡くなった母の家で、夏の暑い日にトイレに座ったら「熱っち!」ちでした。母に言うと「えー あんた、お尻、冷えへんの?」と、逆に不思議がられました。昔の「ドボチョン」式(汲み取り)便所の蓋は消臭効果とハエなんかが出てこないようにと不注意で落っこちないようにするためかな…?
一等賞 該当者なし二等賞 面高真琴さん
圧倒的に「物」「被写体」勝ちです。・交渉をして→・承諾をもらって→・撮影現場の環境を整えると 考えたら、大変な撮影だと思います。三等賞・中野博志くん 懐かしい風景 ↓・生地 晃くん で、分かり易く↓・前田裕麻さん て…撮りがちな。
昭和43年1968年7月
ここで、ドラムか心地よく入ってくる「ンチャン、トコ、トコ」と思わず、口ドラムを刻む7月の夕方は明るく大きなガラス窓から射してくる、ゆるい夕陽が心地が良い銭湯の湯船よりも大きい風呂場に、ぼく一人。
ショーケンの声色を真似て、大声を張り上げると広い風呂場にエコーがかかり、陶酔していく両手で持った石鹸箱はハンドマイクのつもり。ここは西成区津守の大きな工場の社員用の大浴場である。ぼくはアルバイトでここで働いている。朝8時から夕方5時まで、移動してくるフックに油だらけの車のホイルのような鉄の輪を引っ掛けるそれだけの作業で、何のための作業かは全然知らない。学校の掲示板に貼ってあったバイト募集の中で、一番高給だったので決めた。担任の先生に許可を取りに行ったら「力仕事やけど…大丈夫か?」と言われ「そんなに貯めて、どーすんねん?」と聞かれた。『夏休みに竹中と北海道までヒッチハイク旅行するんです。』「[無銭旅行]か…、無銭の割りに、けっこうーな金、準備すんねんな…」『はあ…』
自宅に風呂は無く2〜3日に一度の銭湯通いの生活なのにここでは毎日、明るいうちにゆったり風呂に入れる。勤務の時間差なのか、誰もいない大浴場。たまにザ・タイガースの「シー・シー・シー」も歌ってみたけどロマンチックで叙情的な「エメラルドの伝説」がこの風呂場に合う、と勝手に思い込み、いつも歌っている。
(ヒッチハイクで北海道や…途中 青森の十和田湖の畔でこの歌 歌ぉーそやっ! 摩周湖の方が えゝかな… )
湯船にぼくは腰を掛けお風呂のお湯に口づけを嗚呼… 極楽… 極楽…
日本人はいつ頃からイタリア人になったんでしょうか?まあ、イタリア人ってゆーか、欧米人と言いますか…たしか 太宰治の『人間失格』の冒頭部分にあったと思うんですが…、 ‘黙々と儀式のような食事’ 風景が書かれていて( そーなんや どこも 同じやー )と思ってました。「口にモノ入ってるときに、喋るな!」とよく言われました。「正座して背筋を伸ばして!」と子供の頃に叩き込まれてしまって今だに 他人(ひと)と食事するのが苦手です。年寄りの政治家なんかが集まって[昼食会]をしている風景をTVで見ますよね、りっぱな幕の内弁当とペット茶を前に( 無理してんのんと ちゃう… 戦前、戦後の「しつけ」された人らには… )サンドイッチやったら まだしも… お箸で米粒は…ちょっと…
鳴り物入りで、紀伊半島に上陸するはずだった台風18号今朝の東京発のTVでは雨風のない「現場」でヘルメットをかぶったレポーターが何故か大声を張り上げていました。我家の影響は庭の自転車が転倒したこと、とエントランスが枯葉の吹き溜まり場と化したことぐらい。ただ、家中の雨戸を閉めたんですが、ここに引っ越して5年間ではじめてでした。雨戸を引っ張り出したら「セアカゴケグモ」がウジョ〜って出てきたら どーしよう… とか で ちょっと ビクビクでした。ヘビースモーカーなので年中、家のどこかを開けておき空気の流れをつくっているんですが、雨戸を閉めると外の風景も見えず、閉所恐怖症的気分に陥りました。
子供の頃、台風といえば学校から早引けの指示があり、嬉しかった。雨戸の無い下町だったので、おっちゃんらが窓という窓に板切れを×印に打ちつけ、子らは父親を頼もし気に見詰め、手伝っていた。我家は母子家庭の4人兄弟なので、母が工場から戻るまでに兄弟でこの工事をしなければなりません。末っ子のワタクシは板の端を持ち、兄が金槌でトントンしますがしょせん子供のやることなので、クギの最後は曲がっています。年長の姉は5合炊きの羽釜を鋳物のガスコンロにかけ炊飯の準備。仏壇のある家が普通だったので、ローソクの心配は要りませんが念のための懐中電灯の電池を買いに走るのはワタクシです。母が工場から早帰りし「ただいまぁ」と帰宅。母と娘で「おむすび隊」が結成され、大皿にどんどん盛られます。男兄弟らは母の指示のもと、緊急避難用のグッズを鞄に詰めたり洗面器・バケツに雑巾を入れ、雨漏り受けの準備する。次男はベッタンやビー玉を鞄に詰めようとして、母は叱り飛ばします。いよいよになると、必ず 停電。ローソクを前に家族5人が車座になりおむすび片手に、ワイワイ喋り合ういつもの卓袱台での食事は、会話厳禁だから日常生活に無い、楽しい時間を過ごしました。
「リンゴをかじると、血が出ませんか?」このデンターライオンのCMが白黒TVで放映されていた頃に「インドりんご」は存在していた。子供の頃は「りんご」は酸っぱいもので、敬遠してました。「紅玉」だとか「国光」だとかを、大人たちはブランドを指定して買っていました。子供心に(どっちも、どっち)でした。少し時代を経て、「インドりんご」や「デリシャス」が果物屋の奥に並びはじめたと思います。『わーー、インドりんごやー!』と感嘆の声を上げてワタクシたち子供は迎え入れました…、甘い「りんご」の登場です。風邪で寝こんだときなど、大切そうに「デリシャス」が枕元に皮を剥かれて置いてありました。安いりんごは丸かじり向き。調べてみたら「純国産」だとゆう「インドりんご」何処に行ったんでしょうね… インドへ洋行したんかな?秋はりんごの実りの季節。
懐かしい昔の歌を思い出して書いている『歌は世につれ』は次回で『Vol.23』になるんですがテンプターズ『エメラルドの伝説』当時のワタクシごとを書こうと思っているのですが…なかなか文章になりません。そんなこんなでベンチャーズの特番TVを見ていて、思い出したのが一番身近な「外人さん」やったなぁ…、とはじめて「外人」の演奏家をTVで見たのは『ジ・アストロノーツ』で『太陽の彼方に』でした。尾藤イサオさんみたいにクネクネと歌う藤本さんとゆー人が「♪乗ってけ 乗ってけ 乗ってけ サーフィン♪」の耳に馴染んだ邦楽版が吹っ飛びました。白のジャケットの紳士たちが「電気ギター」を小脇に抱え、、見たいな…「白いジャケット」て、モノクロTVだったから、本当のところは分かりませんがワタクシの頭には、白いジャケットを着た紳士らが「シュー」と立っていました。ワタクシには、髪が金髪、瞳はブルーに見えました…、白黒でも。中学英語で習いたての、定冠詞「The」は次に来る名詞の頭が「母音」であれば「The」の発音が「ジ」となる、と教わった通りに『ジ・アストロノーツ』で友達にわざわざ「ジ・アストロノーツ」と言ってました。そうです…「ジ・アニマルズ」も、わざわざ しました。ベンチャーズは「思い出」として上げれないのは、今でも身近だからです。ビートルズと同じです。
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鶏頭
2009・10・3