「パン食」ってモッチャリした言い方やね…優雅でハイソな表現ってないの…?
「フランスパン」って、あんた…昭和の表現とちゃう?「バゲット」でしょ……
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fine today!
2009・9・26
20年ほど昔宿替えをしたくて町の周旋屋の前のビラを見ていた。透明ガラスに貼られているビラの隙間の向こうからこちらを覗っている店の人に気付き、逃げるように立ち去った思い出。ビラの一枚/\には「ここいち!」をアピールするために『庭 広し!』とか『築浅!』だとか『駅 近し!』と手描きで、仰々しく書かれているを見るのは、楽しかった。下手糞な見取図が描かれていたら、絵解きするのも愉快だった。今 不動産屋のビラはPCで入力されて、定型化し「えげつなさ」を失ってしまい、訴える気力を捨てたように思う。で、今のワタクシはと云うとPCにかじり付き、色々な検索用語や条件を選び入れついには10軒ほどの物件は、空で暗記しています。「時刻表」を見るのが趣味な人は、机上旅行をすると聞きますがワタクシは 家の「見取図」を見るのが趣味になり、机上宿替え人です。もう、周旋屋が出来るくらい…。
8ozがお借りしている細野ビルヂングの前は「長堀通り」です。今は、乗客のいない暇そうなバスが走り、その下に地下鉄が走っています。その昔は「トロリーバス」が走り それ以前は 「チンチン電車」が走りもひとつ昔は「長堀川」があり、ポンポン船が川面を走っていました。昭和37年「川は流れる」と云う歌が流行りました。
子供心に「わくらば」の意味も分からず、ゴミのことやろな、と又 「街の谷」が気にかかりで、どんな谷やろか?とか…「不思議な歌やなぁ」って思ってました。退廃的でアンニュイなボーカルも不思議さを倍増させました。大阪や東京は「オリンピック」や「万博」の開催前に、とドブ川と化した「川」をほとんど埋め立てこの歌の昭和37年には長堀川が埋め立てられて「長堀通」が誕生しました。きょうの朝庭の遅咲き朝顔と虫食いの葉っぱを見て、フッと思い出したことです。
ムーンスターのスタッフ控え室「どーしたん?8っちー、しんどいんか?」沢尻先輩が声を掛けた。「えゝ、ちょっと…」8っちーは答えたが「しんどい」原因がぼんやりしているので、答えなきゃよかったと思った。「きょうの現場のことか?」「えゝ、まあ」「飲もか?」「きょうは、ちょっと…」無闇に愚痴が出そうで、ヤな自分になるだろうと、8っちーは考えた。「飲もっ。おごったるし、ツマミ、うまいとこあんねん」阿倍野筋 居酒屋 『明治屋』湯豆腐、だし巻き、きずし を前に沢尻先輩は冷酒を飲んでいる。8っちーはビールしか飲めない。「8っちー、もしかして…、東川先生の「ABCD作戦」に負けたんと違ゃうか?」「作戦?!」「そーやぁABCDや」沢尻先輩が言うには東川先生は国宝級の仏像なんかの写真家で本来、コマーシャル撮影は、色々な制限が多いのでヤだそうある。それでも、2〜3ヶ月に1度くらい、間違えて「どーしても、先生に!」と依頼が来ることがあり、ボゥリな金額を提示しても「是非!」と言われるので、受ける場合がある (今回のように)で、だいたいが最初の段階では「先生にお任せします。」と言っておいて途中、または 撮影現場で「コンセプト」などと言いだして決して「お任せ」で無いのが分かった時に、この作戦を多発するそうである。その「ABCD作戦」とは・A → 「あほ!」・B → 「馬鹿!」・C → 「ちゃんとしろ!」「違うだろ!」で、最後は・D → どつくだそうである。スポンサーには出来ないので、自分の助手に「それ」をするという。彼らも「それ」は承知の上だと。「沢尻さん…、今回、「A」の「あほ!」はなかったですよ、最初から「B」でした。」「それは、最初から 飛ばしてたっちゅーか、怒こりはったんやろな…」「でも…、理不尽ですよ、ね…」「8っちーは まだ 現場に半年くらいやから、そんなことゆーけど、どこも、やでー」「へー」「有名なとこで、映画監督の黒澤明、知ってるやろ?」「はい。」「大物俳優や大道具やらが思い通りにならん時に「助監」を叱り飛ばし、空気をかえる」「なんか、それ… ヘンですね… ちょっと…」「まー 昔の人は、だいたい、そんなモンやでー、今の人は優しなったけど、なー」「○○さん(黒Tシャツ)はどれぐらい先生に付いてるんですか?」「5年目かな… △△ハンなんか(グレーTシャツ)2年目で、まだ 内弟子や」「『内弟子』…?」「先生の家に住込んで、行儀見習いからはじめてんねん、便所掃除とか、とか…」「『行儀見習い』…、『便所掃除』… で、す、か…」「最近、コマーシャルの方は暖簾分けが無くなったから、3年くらいで、皆、辞めるやん」「はあ…」「東川先生くらいになると「名前がある」から暖簾分けは、当然 期待できるしな」「『暖簾分け』かぁ…」「『ブツの大阪、ファッションの東京』ゆーてるけど、ブツ撮りも、だんだん東京に流れてるしな…」「じゃー、大阪に未来は無いんですか?」「あほー! 次はオレらががんばんねん、やろー!」「そ、そーですよ、ね! 次ですもん、ね!」話が一段落し、8っちーはきずしを一口食べてみたら、おいしかった。だし巻きの端っこも口にしたら 思わず笑ってしまうほど おいしいと思った。沢尻先輩はだいぶに酔いが回り「東川先生」のことを「あの、おっさん」になっていた。明日を夢見て、足許ふらつかせて岐路につく 性別不明の8っちーであった。
♪男は狼なのよー気をつけなさいー♪生成りのウエスタンブーツを履きながら、暗く口ずさみカッカッと女子社員さんは出ていった。8っちーは1人になり、所在無げに、灰皿を片付けだした。「えっへん!この自転車は、この今のカメラ位置が一番美しく見える…分かったか?覚えとけ…」と東川先生「はい!」「はいっ!」とホリゾントに正座している黒とグレーのTシャツ。「じゃー、本番!」「はっ!」「はい!」8っちーはスライダックスの定位置にスタンバイした。黒のTシャツが神妙に取り出したのは「ミノルタ」のカラーメーターだ。8っちーはカメラ雑誌で見たことはあるが、現物ははじめてだ。グレーのTシャツが飛んできて、「どけ!」と8っちーと突き飛ばし、スライダックスのハンドルを奪った。ガラ…ガラ…ガラ…「100です!」グレーのTシャツが叫ぶ。「まだ!まだっ!」とメーターを睨んでいる黒Tが大声で返す。スライダックスのハンドルが、また ガラ…ガラ…「110です!」「まだっ!」思わず、8っちーはグレーTの手をつかんで、声を荒げた。「すいません!ちょっと待ってください!社長、呼んできますから!」と、一度メーター針を「100」の位置まで返して「すぐ、戻りますからっ!」と2階の社長室に駆け込んだ。手短に事情を話し、社長を引っ張ってきた。「先生ぇ また やりはりますのん…?」とスタジオの扉に顔だけ突っ込みおっとりした大阪弁で社長は声を掛けた。「ウオッホン!」と咳払いの返事が返ってきた。ガラ…ガラ…ガラ…「はい!110です!」「まだ、まだ!」「115です!」「まだ!」「120!」スカイの球がチリチリと音を立て、つぎにピン!と鳴り、断球。チリチリ…ピン! チリチリ…ピン! あちこちから聞こえる。上から吊られた12台のスカイライトには電球がそれぞれに4個入っているので、48個の電球。それの、5個は確実に断球した、と8っちーは見た。「125!」「も少し!」チリチリ…ピン! チリチリ…ピン!「130!」「よし!オッケイ!!」チリチリ…ピン!「あんなー、8っちー、先生ぇが ああやって断球させても、なあ球代を出してくれはんねん、あとで…」と社長は優しい口調で喋りだす「せやから、古めの球から断球すんので、ちょーど、ええねん…」「そーなんですかぁ……」と答えた8っちーだが、何かモヤモヤしたものが胸につっかえていた。あっけなく本番が終わり、東川先生御一同はさっさと去りホリゾントの自転車とスタジオの隅の木枠の梱包材が残った。社長に内線で伝えると「業者に連絡しとくから、そのままで えーでー」そして「断球の数、かぞえといてなー」だった。(気分を一新したいな…)スタジオの扉を大きく開けたら 秋っぽい風がザーっと入ってきた。有線のスイッチを入れ 後片付けをはじめた、8っちー。流れてきた音はシルバー・コンベンションの『フライ・ロビン・フライ』だった。身体はリズムを刻んでいるが、なにか秋のむなしみたいなそんな心の沈みを感じる、8っちーだった。断球数、11。
「よし! カメラ、下げるぞ!」と静けさを破ったのは、東川先生だった。「では、先生、お願いします…」とD社の人は、ブリジステンの「偉いさん」ををエスコートしながらホリゾントを離れた。20人近いギャラリーの人達はカメラの下がり具合を固唾を呑んで見ていたが「よし、そこ!」と東川先生が言った位置が30cmしか低くなってないので全員が顔を見合わせて、落胆していた。「偉いさん」が小声で「じゃー社に戻りますから」とD社の人に言ったのを8っちーは聞いた。全員が静かスタジオを出て行く、その最後に「偉いさん」がD社の人を手招きし、何かを耳打ちして「頼むよ…なっ」と扉を静かに閉めた。残ったのは、D社の人と若い女子社員だけになった。D社の人が女子社員に向かって何かの指示をしている、かすかながら8っちーが聞こえたのは「部長は、どーしはるんですか?」と女子社員が聞き「…再撮…手配…」とD社の人が答えたように、聞こえた。そして、D社の人もスタジオから消えた。女子社員は、しばらく下を向き 勇気をふりしぼるように肩を上下してから、スタッスタッとホリゾントに向かった。「すいません、先生。お願いがあるんですが。」とよく通る声が響いた。「ウオッホン!」東川先生の返事である。「あのーー、スタンドを上げてもらえないでしょうか?」「は〜ん?」「あのーー …キックスタンドを解除して、撮影してください。」「スタンドを…?」「はい。」「倒れるじゃないか?」「え、え、でも…、通常、撮影時には…」と、突然、東川先生、ホリゾントにゆっくりと歩き出した。手には新品のトレぺを持っている。自転車のタイヤを無心に拭いている、黒のTシャツの後に東川先生がぴたっと止まり、片手ではあるが上段に構えた。「馬鹿!!」と言い放ち、振りかぶったトレぺをビュンと振り下ろす「違うだろ!」と叫ぶと共にバゴ!と鈍い音がした。「すいませーん!!」と黒Tシャツは、訳がわかっているのか、いないのかホリゾントに正座した。
東川先生、女子社員の方に歩きながら「そこは、タイヤワックス。」と言い女子社員に向かい、片手にトレぺを持ったまま「で、なんでした?」と聞いた。「いえ…、先生、結構です… おまかせ、いたします…」と言ってホリゾントから逃げるように離れた。8っちーの傍に来て「スタジオの方ですか?」と聞いた。「はい…」「薬局はどこにあります?」8っちーは丁寧に伝え「大丈夫ですか?」と聞いたが「いつも、こんな感じなんですか?ここは…」とアゴでホリゾントの方をしゃくった。顔面は蒼白で、目には薄ら涙でにじんでいた。
ガヤガヤとスタジオ入りした、ギャラリーの人達ライトに照らされた自社の自転車を発見し「おー!」だとか「へー!」だとか軽い感嘆の声を上げている。そこへ、「偉いさん」だと思われる初老の紳士がギュギュと革靴のままで、東川先生に近寄り「ほぉ!さすが芸術ですな〜、工場で見た、油まみれの試作品と全然、ちゃいますな〜! さすが、芸術の先生ですわー」と東川先生の背中を叩かんばかりの態度である。(ヤバイ!東山先生の「こめかみ」が ピク、ピク、細い一重まぶたの目玉がギロと動いた。…危険信号!)「馬鹿あ!ちゃとしろ!」東山先生のシャウト、響く。東山先生の指差す方向に、露出計。ストラップを垂らしたままで作業台にポンと無造作に置かれてあった。「すんません!!」グレーTも大声で「申し訳ございません!!」と返し腰を折り深々と頭を下げた。そして静々と両手で「定位置」にセコニックを置き直した。初老の紳士は、さっきのままに固まっている。スタジオの空気も急冷していった。助け舟を出そうとしたのか、D社の人がスタジオのスリッパに、あわてて履き替え、ペタペタ、東山先生に近づいた。「先生…、先ほど、このポラを見せて頂いたんですが…ちょっと、よろしいでしょうか…?えーっと、アングルをですね、もーちょっと低く、ローアンで車輪をド〜ンとアップにして、で、ハンドル・バーとサドルは「点」ほどに見えるような、パースを効かせて欲しーんですが…かなり三角形な、迫力のある構図で、バ〜ンっと……」と、ジェスチャーをまじえて喋りだした。「ん。… それはおかしい。そんな位置から自転車、見る奴、おらん。」「え!?」「目高位置が撮影の基本…。」「はぁ……、まっ、えーっと、ですね…、このラフに、今回の、そんな感じの、ですね…」と、大きなパネルに、キレイに描かれたラフスケッチを東川先生に手渡した。チラっと見た、東山先生「ん。… こんな、ちゃんと決まってるんだったら、誰でも撮れるんじゃ〜ないの?」とラフを床に手荒く置き「ぼくじゃ〜なくっても。」と(あっちゃー、これは、大変なことになるぞー! JPS系とAPA系の抗争や!仁義無き戦い!!)と、8っちーは心の中で大声を出して叫んだ。スタジオは静かだ。大型のエアコンが低く唸っているのが聞こえる。
昭和57年/1977年 初秋
8っちーは天王寺にある貸スタジオ『ムーンスター』のスタジオマンである。暑い夏も終わり、スタジオのクーラーも「弱」になり音も低くなった。有線放送から「ロッキーのテーマ」が流れてきたので、8っちーは気合が入った。今日はムーンスターのテナントで、大写真家「堂門拳」の外弟子といわれるJPS会員の東川先生がお客さまで、ブリジステンの自転車を撮影される予定だ。東川先生は仏像だとか国宝級の撮影で有名な写真家で、コマーシャルの撮影をされているのを聞いたこともなく、8っちーは(勉強になるぞ!)と楽しみにしていた。スタジオの大扉のロックが「ガチャ」っと音がした。スーっと忍者のように、少し腰をかがめ気味の男が2人が入ってきた。たまに館内で出会う東川先生の助手2人だった。黒とグレーのTシャツの2人は物腰が妙に静かだ。「おはようございます!」と8っちーが張り切って言ったが、返事は無い。鋭い目で挨拶を返され、戸惑った8っちーだ。ササッと有線放送のチューナーに手を伸ばした黒のTシャツ高らかに響いていた「ロッキーのテーマ」は突然、消えてなくなった。クーラーの音だけが低く聞こえる。「なに、しましょか…?」と小声で8っちーは黒いTシャツに聞くと「いゝからっ!」と神経質な声が返り、黙々とカメラの準備をしている。「あ〜、、おはようぉ」と鷹揚な人物が胸をそらして入ってきた。この態度は、きっと某巨大代理店Dの人に違いない…スタジオの予約名はD社になっていたので。8っちーは小声で「おはようございます…」と言い、黒とグレーの方を見るとやはり、頭だけ振り返り、目だけで挨拶をしている。D社の人はこの異様さを察知し「君、喫茶ムーンにいるから…」と 8っちーに伝え、革靴の音をキュキュと残し、出ていった。ブリジステンの作業服を着た2人が「ちわっす!」と気楽に入ってきた。厳重に木枠で梱包された自転車をクギ抜きやらなにやらでゴンゴンと作業をはじめる。開梱の作業は手荒かったが、商品である自転車の扱いは慎重だった。作業服の1人が「試作品なので…」と伝えたが、黒とグレーTは意に介していないようだ。「じゃ喫茶に、いますんで…」と作業服2人も出た。8っちーはすることがなく、ホコリもないスタジオのフロアを掃除をする。黒とグレーTは自転車を無言で拭きまくっている…。広いホリゾントにポツンと自転車は置かれ4×5のカメラのカブリをかぶってゴソゴソしている、黒Tシャツ。(おい、おい… 普通ぅ、自転車の撮影って、スタンドを立てたまんまはアカンのと違う…)と8っちーは思いながら、同じ床を何度も掃いている。「はい!」と、グレーTがスタスタスタと走って、出て行った。黒Tは扉の方に向って、直立不動の姿勢で立っている。「ゥオホン!!」と東川先生がサンダルをペタペタ鳴らし入ってきた。このサンダルは有名で、日本全国どこでも、これが撮影スタイルと聞いている。ギョロと自転車と4×5のビュアーを交互に睨み「よし!ポラ!」と右手を黒Tの顔面に突き出し、レリーズを催促した。タイプ55のポラは撮られた。黒Tがストップウオッチを握り、睨んでいる。「用意!」とグレーTに言うとグレーTは謄写版用のローラーをポラの端に真っ直ぐに立てて用意している腕の筋肉がピクピク動いているのが見えた。黒T「スタァート!!」叫びに近い大声。グレーTはローラーを必死に、正確に、往復させている。「ストォープ!」ピタッとローラーは緊急停止した。「はいっ!」と黒Tが言うと、グレーTはビリビリとポラを拝むように開いた。「ん、よし…!」と東川先生、一言。「スタジオ!喫茶のん!呼んで来い!」と黒Tが眼光鋭く8っちーに叫ぶ。8っちーは急いで飛びだした。館内にある「喫茶ムーン」のドアを開けるとピンクレディーの「ウオンテッド」が聞こえた。タバコの煙がモヤモヤと流れ出し、そこに見えたのは20人近いブリッジステンの「関係者」だった。
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なんか・・・あつらえた様な雲
2009・9・11
すごく眺望の良好な我家。名建築のビルに入居している8oz。大満足しています、、、 が…来年2月に我家の「契約更新」と大家さんに告知されもっともっと広くて最高に素敵でなおかつ通勤時間が「0秒」を考えてみようか… と日々不眠不休de探検調査中。
「なかだるみかな…?」『それはいけないな…』「さいどめーるしてみようかな?」『それいこうよ!』「どんなかんじにしようかな?」『ここはきみここはぼくが…』
きょうの朝、妻が真顔で「お弁当に海苔を5〜6枚、持っていこうとしたらどうしたら良いのかな… やっぱり、ラップかな?」タッパー好きな我家は、色々と取り揃えてあるので『ついでに、乾燥剤なんか入れたら、完全ちゃう!?』と、タッパーを提案した。妻は あちこちをガタガタさせては「ほらっ!」と海苔入りタッパーをうれしそうに見せた。しばらくて 又 ガタガタしているので ( ……? )で、「ねっ、これで、完璧!」とヒートシールしたポリ袋を見せに来た。『えっ!? それって一回 破ったら 次、湿気るやん?』「えっ!? これ、一回分よ…!」『えっ!? 一回で5〜6枚の海苔、食べるん!?』「えっ!? あなた 一回で 何枚!?」『えっ!? 一回で 1〜2枚……』「えっ!? 貧乏性…??」ワタクシにとって、いまだに『海苔』は『高級品』であります… 嗚呼。話はかわりますが…我家で この「卓上型ヒートシーラー」は必須です。見た目は「無骨」ですが、超お役立ちなのでおすすめです。上のレーバーを下ろしてガッチャンとすればビニールやポリ袋を溶かして密封!!してくれます。開封して残った、スナック菓子袋、調味料袋 etc… に、便利。
むかし つけもん が きらいでしたおぜんのうえにならんでいる、意味がふめい、でした昔といっても10年程前のことですが・・・痛んだような臭い酸っぱかったりとかこの夏、納豆作りを止めています。とゆうのも「ご飯の友」が多過ぎるので納豆まで「手と口が回り」ません。寒くなるまで製造中止の予定です。おいしいつけもんのロットに当たるとご飯がモリモリすすむクンです。
■一等賞 堂安由香理さんタイトルに騙されたんかな…?哀愁を感じます。不思議な前ボケとバックのボケあし、処理したの…?■二等賞 中野博志くんキレイです…。ちょっと… 絵ハガキっぽいかなでも、よく撮れました。■三等賞 岡由美さん / 長谷川千英くん・岡さん タイトルに「捻り」が欲しい、かな…・長谷川さん ぼく的タイトル『おい!通行料…』(勝手にすみません!)
海水浴場昭和30年代の大阪近郊の海水浴場・大阪 「浜寺」「二色浜」「羽衣」「淡輪」・兵庫 「香炉園」「打出・芦屋」「須磨」・滋賀 「琵琶湖」「チエ子」の家族が行った、浜寺海水浴場は大阪市電チンチン電車で行ける海水浴場としてにぎわいました。当時の市電は「13円」で乗り放題均一料金だったので庶民の海水浴場だったんだと思います。「芋の子を洗う」と云う言葉が枕詞にようにレジャーブームと言いますか…海水浴ブームってだったんでしょう…海水浴場は人の子も洗っているようで、いっぱい!!で子供にとっては泳ぐスペースは「無し」でした。当時の「お笑い」で「おい!こら!なにすんねん!痛いな…」『えーっ、泳いでんねん…』「あほ!海水浴場で泳ぐ奴あるかー!!」ってゆうのが、あったほどです。ワタクシ、浜寺海水浴場に何回も行った記憶があるんですが…実は、記憶違いだったのが判明しました。明治時代から「東洋一の海水浴場」と言われた「浜寺」は戦後の昭和20年10月アメリカ軍進駐軍に接収されて、米軍専用のビーチとなり金網で仕切られていたそうです。昭和34年7月にやっと返還され、水質汚染により昭和36年6月に閉鎖された、とのことなのでたったの2年間の「海水浴場」のだったようです。だから…、「チエ子」の夏休みの話も昭和34or35年の話です。
ミカン箱 もしくは リンゴ箱ワタクシを含め、団塊人の会話の中で「りんご箱くらいの大きさ」で話が通じますこの「りんご」もしくは「みかん」の木箱は荒削りだったので、よくトゲが刺さりました。また いい加減な釘打ちのために「釘の頭」でケガをした覚えが、よくありました。八百屋、果物屋の裏手に沢山積んであるのを「おっちゃん、ちょうだい」と もらいました。今のダンボールのように…。使用例は・ゴミ箱 ・学習机 ・ヒヨコ入れ ・子犬入れ・うさぎ入れ ・植木鉢 ・踏み台強度不足かも…・バイ(べーごま)の台 ・食卓 ・ときには… ・仏壇!!たばこの銘柄「光」『たばこは動くアクセサリー』昭和30年代の専売公社の名コピーです。この時代の映画を観ると小道具のたばこを見るだけで人物設定を説明補足しています。当時 10銘柄くらいあったんですが、微妙に値段の差があって、その人物の「財布の中身」の差をあらわたりもしています。『洋もく』欧米製タバコを常用してる人なんて…ケタ違いの金持ちだったんです… あの頃。で、「勝男」の吸っている「光」はと言いますとそこそこの値段で、中のちょい上くらいの価格です。ワタクシの母が、この「光」を吸ってまして。嗜好品の「お茶」と「たばこ」は「無理してでも…」だったんだろうな、と思います。この「光」は両切り10本入りのパッケージが印象的で「キレイやな…」と子供心に思ってました。母は台所仕事を終え子供らが寝静まったフトンに入りマッチをシューっと擦ったら暗い部屋がボーっと明るくなりまた 闇に戻ったと思ったら一服ごとにホノカな光が灯って母の横顔が暗闇に浮かんでいたのを思い出します。