昭和30年代の我家、寝る時は蚊帳かやを吊っていました。汲み取り式のトイレや溝ドブに囲まれた生活環境だったので蚊は勿論、ハエなどもビックリするほどブンブンでした。それに… ネズミ、ゴキブリ、イタチに、ヘビやら、も…。夏のハウス・ドレスは、おっちゃんはステテコ1丁ちょっとオサレにするときは、その上にラニング・シャツ。おばちゃんはシミーズ1丁で、ちょっと気遣って、アッパッパー。「妙子」は「ええしの子」ですから「寝巻き」で寝てます。実家はそーとうの「ええし」さんでしょうね。「ボンボン時計」は「柱時計」で「壁掛け時計」「ゼンマイ時計」「振り子時計」です。時間の数だけボンボン鳴りますが、「30分」は1度だけ鳴ります。だから、「勝男」がボーンと1回鳴ったのを聞いて「6時半か」と「チエ子」に聞いたのです。店屋のラーメンが30〜35円の昭和30年代に日清のチキンラーメンが「35円」で発売されました。平成15年の店屋のラーメンの平均価格が「561円」となってますので今の時代にインスタント麺が550円としたら、超高級品っていうか…「有り得ない」価格設定ですね。ワタクシごとですが、あの頃、我家は内職をしてまして、納期が迫って、家族5人が夜遅くまで協力したあとに3個のチキンラーメンを湯がいて、均等に5個の丼に分けてちゃぶ台にのった時の「おいしい!」の感動は忘れられません。だから…「チエ子」の2個のチキンラーメンを準備しているのは1000円分以上の夜食で、すごーい ことです!!・「魔法のラーメン」なんて言ってましたね。・チキンラーメン以前は「ラーメン」と呼ばず「支那そば」「中華そば」でした。
「チエ子、6時半か〜?」と隣りの4畳半にいる娘に声を掛けた。ガタと物音がし、しばらく、「あ゛ーっ!」と大声が上がった。「どーしたんや!?」と半身を起こした勝男が叫んだ。
「寝てしもた!」 「え゛ー!!」「あかんわ!寝てしもたーー!!」
妙子がガバッと起きだして、隣の部屋に飛んでいって
「あと、何 残ってんのん、チエちゃん?」と あたふたと聞いている。
「絵ぇやー 夏休みの「思い出の絵」やねん!」
「よし! わかった! オレがかいたる!」と勝男が目を血走らせて言った。
「おとーさん、無理やわー! うま過ぎるから 無理やって!」とチエ子
「わたし 描きましょか?」とクレヨンをミカン箱に置きながら妙子が言った。
「妙子、おまえ、ぎっちょで黒の輪郭線だけ描いてくれ、ヘタになぁ」
「はい!」と黒のクレヨンを握り締めている妙子に
「おかーさん!なに描くのん?」「えっ! はぁ……?」
「ちょっと待て、落ち着こっ」と勝男は煙草盆を引き寄せ「光」に火をつけた。
「とりあえず… 妙子、お茶!」「はい!」
「この夏、なにが楽しかったん? チエちゃん」
「夜店で金魚8匹も、すくたことかな…」
「よし!それ、いこ!」
「お父さん、もー ちょっと 待ってくださいなぁ、ねー チエちゃん?」
「えっとー 田舎のおばあちゃんの家の縁側でスイカ食べたことー、も…」
「それや!それ、ええでぇ! 庭でスイカ割りしたし、なぁ」「んもー、お父さんったら…」
「そーやぁ! おとーさんが酔っ払ろて 自転車で転んでケガしたこと!」
「あほー! 止めときぃ カッコわるぅー」
「あー! おかーさんがカンナで氷削って かき氷してくれたのん…」
「おれ、喰てないでー、おもんないなぁ」
「あっ、これ、絶対! 浜寺で泳いだん! 松林でお弁当、食べたやん!」
「よっしゃ! 決まりやなっ! あれ、楽しかった、浜寺、浜寺…」
「そーね… 夕陽に輝く紅い雲、大きくって、チエちゃん 物語 作ってたわね…」
「そーやねん、王子様とお姫様やってん、綺麗かったわぁー」
「ほんで、最後は 風に流れて 別れ別れになって、残念やったなー」
「ちゃうって! あれは ダンスを踊っててんて…」
「はい、はい! ほな その絵でいきましょね…」
「せやけど…、雲ひとつ見ても『石屋の宿替え』やなぁ」
「なに、何?『石屋の宿替え』って?」
「なぁ、妙子は知ってるかぁ『石屋の宿替え』って?」
「はぁ… みんなが「重い!重い!」ゆーて、引越ししますね…」
「えゝ? みんなが「おもい おもい」ゆーてる、の?」
「そーや… みんなが皆、それぞれで「おもい、おもい」やぁ…」
「わかった! 思い思いに想像したってことやねー、浜寺の雲を…」
ワタクシがはじめてレコードを買ったのが「夕陽が泣いている」だったと、何度か書きましたがそのB面が「チビのジュリー」でした。この曲がケッコー好きでして、リズムギターの金属的なキンキン音を聞くのがワタクシの当時の楽しみでした。ザ・タイガースの沢田研二さん(ジュリー)を揶揄してるんだとその頃、勝手に考えてたんですが、違ってました。今の放送禁止用語では「チビ」もスレスレ危険でしょうがこの原曲が「唖のジュリー」だったんだと再度びっくりです。
落胆している「ジュリー」を元気付けるためにスパイダースがステージで歌う「唖のジュリー」です!!この映画で「おし」とゆう言葉が最初から最後までに100回はでてきますが、TVの地上波では、絶対に流せないでしょうね… (残念)結構、団塊族には青春できると思うんですが。YouTube チビのジュリー http://www.youtube.com/watch?v=oRvndZuRuD0
昔、ジュディー・オングさんのファンでして「たそがれの赤い月」とゆう曲が流行った頃にのぼせ上っていた高校1年生のワタクシでありまして…(あの頃のジュディーさんが主演の「涙くんさよなら」かぁ…まー 一応 録画しとこかぁ…)程度の気持ちで予約し…録画の「頭」をちょいと遠目気分で眺めたら(あれ…? なかなかいけるやん!) って思い本気で最後まで見てしまいました。制作スタッフを見たら… ひえ〜 脚本「倉本聰」やん!そらー まー そー やなぁ… と、次に(まさか… 「涙くんさよなら」ってハマクラ浜口倉之助の曲?)って 調べたら 「ピンポーン正解!!」アメリカ産の曲だと思ってたので 吹っ飛びましたハマクラ って やっぱ スッゲー!!ほんで次に注目して欲しいのが挿入歌の「唖のジュリー」Youtube たそがれの赤い月 http://www.youtube.com/watch?v=8lo1yNlNFAw
涙くんさよなら
配給:日活
製作年:1966年
公開日:1966年7月30日 併映「私、違っているかしら」
監督:西村昭五郎
脚本:倉本聰 明田貢
企画:笹井英男
撮影:姫田真佐久
音楽:浜口庫之助 林一
……「涙くんさよなら」ジョニー・ティロットソン
……「バラが咲いた」ジョニー・ティロットソン
……「夕陽が泣いてる」田辺昭知とスパイダース
……「唖のジュリー」田辺昭知とスパイダース
……「フリ・フリ」田辺昭知とスパイダース
美術:横尾嘉良
編集:辻井正則
出演:ジュディ・オング/ジョニー・ティロットソン/山内賢/和田浩治/太田雅子/ザ・スパイダース
『たそがれの御堂筋』坂本スミ子さんのヒット曲 昭和41年/1966年今は芸能活動を止めておられるので知らない人がほとんどだと思います… (哀愁)。ワタクシが高校受験をしている頃深夜のラジオ番組でよく流れていました。つまり… 中学3年の冬のヒット曲だと記憶しています。その頃の、この曲を聴いたイメージは深い霧が流れ、コートの襟を立てた恋する男女が「御堂筋」を歩いてる……そんな想いで、この曲を聴いてました。そして、この『歌は世につれ.Vol22』は高校2年の6月の話なんです、ね。でも、何故か…黄色い銀杏の葉っぱが舞い散る御堂筋に「萩野さん」もワタクシも、当時流行ったポリ100%のステンカラーコートの襟を立てて新大阪まで寒々と歩いた…ような「映像」が定着しているんですが6月の話だとなると、肌寒い日はあっても…コートは着てないに決まってますよね…。「衣がえ」も終わってるし。思い違いって… ある!ある! ですね。そして、この淡い恋の予兆のような話の続きは機会があれば、是非 書きたなあ…と おもふ けふ このごろ
高校2年 6月 昭和43年/1968年授業が終了した、教室の窓際クラスメートの5〜6人とダベっていたらガラガラガラ、教室の扉の開く音がしみんな 振り返る。「苦労田先輩、ちょっと…」と1学年下の女子生徒3人が手招きをしたので、廊下に出た。誰かが後手で扉をピタっと閉めた。「苦労田先輩、萩野さんのこと嫌ってるんですか?」『えっ、なんでやぁ!?』「萩野さん、先輩と顔 合わせた時に怖い顔したって、ゆーてはるんです」『そんな覚え無いでぇ…』「眉間にシワ寄せて、にらみ付けた ゆーて…」『おれ… 目ぇ悪いから 遠く見るとき いつも そーなんねんけど?』「とりあえず、説明して、謝って下さい!」『そんなん、知らんやん、おれ…』連れて行かれたのが、「女子ルーム」と呼ばれている教室であった。「女子ルーム」は女子が少ない工業高校なので、昼の弁当を食べるとかなにかと全校の女子達が集まる、小さな教室であった。背中を押されるように入った「女子ルーム」、後の扉がバタンと閉まる萩野さんは入り口に背を向け窓の外を見ていた。グランドに夏のような陽が照り返り、萩野さんのうしろ姿はまぶしかった。何を話したのかは、全く覚えていない…気が付いたときは 学校を出て、大国町の駅に向かい萩野さんと歩いていた。「もっと、歩きたいです…」と言って、大国町の駅を通り過ぎる萩野さん(これって、デート?!)と 頭の中は混乱したままであった。次の駅は「なんば駅」
「次の駅まで歩いて、良いですか…?」と、通り過ぎたのは「なんば駅」次は 「心斎橋」
中之島公会堂を見ながら、萩野さんは「中学の時に公会堂の舞台に立ったんですよ、わたし… フフッ」『へー すごいやん』「ピアノの発表会ですけど…」『へー ピアノ…かぁ…』
喉はカラカラで、言葉がすんなり出てこないたまに触れる肩や腕の感触で、頭はジンジンしている「苦労田先輩は山下先輩と付き合ってるんですかぁ?」『えー、そんなことないけど…』「山下先輩がゆーてはりましたけど…『男子の中では苦労田さんと一番、喋てるぅ』って」『そー かなぁ…』
「新大阪駅」とうとう、萩野さんの家の前まで歩き続けそして、それでも少し離れた公園で陽が落ちるまで話し続けた二人たそがれの御堂筋の果てで少し昔に流行った「たそがれの御堂筋」がワタクシの中で流れていった。YouTube たそがれの御堂筋 http://www.youtube.com/watch?v=gwb1qEru5HQ
「コマフォト」誌に掲載されている、8っちー「面白やん!」「続くの?」とかのお声が多々「ほんじゃー!!」と きのう 作戦会議「やっぱり… 忠犬八公で、いく?」『リチャード・ギアも登場?』「カメラマン役は、どー?」『いやー、アメリカにロケして、役者のギアさんの撮影ってのは?』「日本の撮影隊が「8っちー!」って言って、反応してしまう、ギアさん!」『んゝ………』「あゝ………」と、書き散らかしていた 秋の夜
きのう「朝顔事件」を取材して (てへっ!?)発見しました…
きのう 来客があったので、見えるところだけ刈りました、ちょっとだけ…
リチャード・ギア主演 『HACHI 約束の犬』が8月8日から公開され、TVで大々宣伝しています。ギアさんが「ハッチィ…」と情感込めて言うたび我が「8っちー」を思い浮かべる日々を送っています。そんなこんなの本日、通称「コマフォト」誌玄光社の『コマーシャル・フォト』の9月号が発売「171」ページに「8っちー」がデビューしました。♪ おひまなら見てよね ♪
■一等賞 実熊麻衣さん作り込んだ撮影で、時間が掛かったで賞!!モデルもそうでしたが物撮りも、影無しフラットでポップなティストをキープしていて、大変 良く出来ました。■二等賞 西田恵さんほのぼの感がありますね。郊外列車に乗って「ちょっと…、お出掛け」サンダルだから水辺の行楽?『家族の風景』って、ちょっと……「あれ」ですけど、ね。■三等賞 nothing
1 シーシーシー / ザ・タイガース2 星影のワルツ / 千昌夫3 小樽のひとよ / 鶴岡雅義と東京ロマンチカ4 エメラルドの伝説 / ザ・テンプターズ5 サウンド・オブ・サイレンス / サイモンとガーファンクル6 星を見ないで / 伊東ゆかり7 小さなスナック / パープル・シャドウズ8 新宿そだち / 大木英夫・津山洋子9 天使の誘惑 / 黛ジュン10 愛の園 / 布施明11 キサナドゥの伝説 / デイブ・ディー・グループ12 ドッグ・オブ・ベイ / オーティス・レディング13 たそがれの銀座 / 黒沢明とロス・プリモス14 思案橋ブルース / 高橋勝とコロラティーン15 花と蝶 / 森進一16 草原の輝き / ジャッキー吉川とブルーコメッツ17 釧路の夜 / 美川憲一18 伊勢佐木町ブルース / 青江三奈19 サイモンセッズ / 1910フルーツガム・カンパニー20 恋のときめき / 小川知子
■ピザ初めての「ピザ体験」のことを書こうとして(あれっ? ピザってイタリアやん…)と反省しでも…最初が 銀座で喰った『シェーキーズ』やしー次が 東京の貸しスタで経験した『ドミノ』で両方とも、アメリカ発祥やから(えゝか…)と 思い直し…で 「よし!」とキーを打ち始めて「あれ?」と思案……昔、書いたなあ… と2005年11月19日〜24日すいません! クリックしても「飛び」ません…手動でお願い致します。充分にお暇のある方はお読みください。少々「若気の至り」な頃の文章なので 読みづらいです。ピザがイタリア発祥と分かったのも、最近です… と 言っても30年足らず前のこと
■コカコーラ小学校の4〜5年の夏 昭和36〜37年夏祭糊のきいた祭りの「はっぴ」はゴワゴワ、身も心もこそばゆい。去年まで「だんじり」を引っ張る側で、その他大勢だったのが何故か「ぼく、太鼓、叩きぃ」って顔役のおっちゃんに言われて、有頂天になった。引き役の子等からは「まぶしい目」で見られ、上々気分。美章園の国鉄のガード下の商店街を通ってお菓子屋さんの前で声を掛けられた「おい コーラー 飲めへんかぁ?」その店の息子で、同級生のKクンだった。教室ではほとんど口をきいたこともなく、恐らく「まぶしい目」の効果か?『なにゃ コーラって…』と ちょっと ぶっきら棒に…「これや」と 店の横の、チョロチョロ水が流れ出てゝる水道の下大きな木樽に水が張られ、色とりどりの瓶が入っていた。その中から、なにやら一本。お医者さんで貰う「水ぐすり」のような茶色い液体で奇麗なグリーン色の瓶だった。Kクンは「だんじり」と歩調を合わせながら、王冠を抜いて、渡してくれた。『すまん!』と 日頃 使わないゾンザイな言葉で受け取った。「後で、瓶、頼むわ 返してや…」顔役のおっちゃんが(飲み)と目で合図があったので、バチを置きまず、ニオイを嗅いでみた…(やっぱり… なんか… 薬臭いなあ)勢い、一口飲んでみた。舌の上で「痛い」もんが はじけ「爆発」し、喉が拒絶した「ゲボ ゲボッ!」 吐き出してしまった。顔役のおっちゃんが「なにすんねん!太鼓、濡らして…!」と 叫ぶ別のおっちゃんは「それ、『ぼく』らの飲み物と違うでぇ!大人の、やで…!」それに「歯ぁ、溶けるらしいから!」と…(一生 コーラなんか 飲まへん!)と思った、夏あの暑かった夏祭りの日のコカコーラ「はっぴ」も茶色く汚し、お母ちゃんに怒られた、コカコーラでも、高校生で「中毒」になった、コカコーラ
■サタデー・ナイト・フィバー今は 太っちょオジさん、ジョン・トラボルタさんの出世作この映画では痩せっぽっちでスマートでセクシーです。1978年7月に日本で上演され、「ディスコ」が社会現象となりました。冒頭のブルックリンの町を歩くトラボルタのシーンを真似てある友人は「あべの銀座」の商店街でペンキ缶を小道具に持ち、上下に揺れながら闊歩し、ビッグマックを大口を開けて頬張って、その気になっていたのでワタクシ 思わず言いました。「おい、おい…! トラボルタが喰ぅてんの、あれ「ピザ」やでー」と……でも、あの当時「ピザ」なるものが、なにものか知らない時代だったので「西洋お好み」と説明したのを覚えています。えー、「ピザ」の話は また 後日 ゆっくり…「フィバー観た?」「2回観た!」「今夜 観に行く」とおサれな業界人はみんなこの映画の話題でもちっきりでした。撮影スタジオはガランと広いので、みなさんディスコ・フロアーよろしく、トラボルタの真似踊りしてたのを、よく傍観していました。ワタクシも心斎橋の周防町に『葡萄屋』と云う小さなディスコがあり「若気の至り」で、毎晩のようにブームしてましたが『サタデー』の頃にはすでに「卒業」してたと思います。当時の『葡萄屋』では、何故か、桑名正博さんの『哀愁トゥナイト』が一晩に2度は掛かって、みんな大盛り上がりしたのを思い出します。『サタデー』以降、ディスコ店が大型化していき「マハラジャ」や「パームス」と云う名を周りからよく聞きましたがワタクシは「身を固め」気味だったので、行ったことはありません。「ディスコ」って書きましたが、『サタデー』以前は「ゴーゴークラブ」やら「ゴーゴー喫茶」やらと呼んでいた記憶があります。モッチャりとした昭和の表現ですね…と、そんなことを書きながら、気づきました、今は「ディスコ」も死語で「クラブゥ」なんだってね…。
■集合時間→鯖を読む「9時には集合」「9時やけど、気持ち、早めに…」「9時には始めたいけど…」「9時、開始、出来るように 来て」「仕事前に、ちょっと一服したから、早目に」気持ち、サバを読むんですよね… みなさん。分かります… 分かります…例えば、須磨海岸でモデル撮影で、なおかつスタッフを「ピック・アップ」しながらの場合で撮影スタートが13時(昼1時)の予定では「サバ」は読まれまくりです。スタジオ・オフィスに朝6時に集合し、ゆっくりとコーヒーを飲む「ほなっ!」と7時くらいに車に機材を積み込み、7時30分 出発!!東京から頼んだモデルさんを「新大阪駅」で、9時にピック・アップ「三宮駅」界隈でスタイリストさんを「拾う」のが10時30分12時にJR「須磨駅」でディレクターやクライアントと合流しスタッフ全員でランチし、コーヒーを飲み… 「ほなら…!」と13時。撮影の所要時間は2時間も掛からない…なんて云うケース、よくあった気がします。ケータイもカーナビも無く、悠長で、多少バブリーな時代だったんですか、ね…。とは云うものゝ…この「サバを読む」が当然となり、サバを読まなければ「遅刻扱い」の「悪者」になるケースも多々ありました。上記の須磨ロケの場合、車の移動がスムーズで「三宮駅」に3〜40分前に到着してスタイリストさんがまだ来ていなければ…、「まだかいな!」的イライラ気分に陥り時間が立つに従って「常識の無い奴やな…」と感じてしまう場面もよくありました。偉い「先生」「タレント」「俳優」 etc…に なるほどスタッフの集合時間が思いっ切り「前倒し」にされサバ+サバ+サバを読まなければなりませんよね。で、当の「先生」 etc…が 赤ら顔の二日酔いで遅刻しても、咎めては成りませぬ。
8っちーは「スタジオマン」である。天王寺にある「ムーンスター」と云う名の貸しスタジオに勤めている。昭和53年1978年 8月1日地下鉄の駅の階段を駆け上ると 蝉の音がうるさい8時48分だ( 大丈夫だ! 走れば1分で着く… )9時から「先生」の予約の時間だったが少しでも早くスタジオに入りたかった、8っちー。「先生」からの指名をもらっているので気合充分の8っちー。今日はオフィス用品メーカーの撮影で20畳ほどの応接室をスタジオに作り、応接セットの撮影だ。ムーンスターの一番大きな15m四方のスタジオだ。業界では夏の風物詩のように囁かれているほどで大スタジオを3ヶ月間キープされている、今日は初日だ。( あれっ!? トラックが停まって搬入が始まってる…)見ると…アシスタントの宇田さんがスタジオ前に仁王立ちし8っちーを睨みつけている。『お早うございまっす!!』「あのなー 君なー 「お早う」やないでー!」『えっ!?』「9時ゆーたら、8時半集合や!」『え…!?』「そんなん、ジョーシキやろ! バカかー おまえ!」『すいません…』「ほな、早よ 商品 運べ!」『はぁ…』商品を持ってスタジオに入ると「サタデー・ナイト・フィバー」が大音量で流れていた。20人近いスタッフの腰が、軽くリズムに乗っているように見える。「あんた、怒られたん?」と 最初に声を掛けてくれたのがインテリア・スタイリスト社の大姐御の石野女史である、かなり低音の太い声。「宇田ちゃん、キッツイ子ぉやから… メゲたらアカンでー」と、優しく言ってくれ、次の言葉を期待しいた8っちーだったが石野さんはクルっと背を向け「♪悲しけりゃ ここでお泣きよー♪」と「失恋レストラン」を歌いながら、去っていってしまった。「8っちー、さー、君ぃ スタジオマンだから、さー、ギリギリわ やっぱ ヤバいよー」と関東訛りで話しかけてくれたのが八王子さんだった。「ぼくなんかさー、マネージャーからさー、『8時30分集合』って、聞いてたよー」と 怖い顔の割には優しい八王子さんは「10キャラツ」と云うアシストグループに所属している、芸系の大学生である。「ほら、ごらんよ、オデコを…」と八王子さんが指差したのは3cm角の傷バンドだった。『どー したんですかー?』「10キャラッツって、さー 遅刻にうるさくって、さー 1週間前に大ボケこいて、さー30分以上 遅刻したんだよー、でさー ボスに怒られちゃってねー」『暴力…で、す、かー?』「違うてばさー、(こりゃ、いけねえ)ってさー 寝る時に枕の上にさーアイラン吊ってさー、目覚まし時計に結線して点灯するように、したんだよー」
『へ………』「でさー、それは いいんだけどー きのうの朝さー ガバって起きちゃてさーアイランで「ジュッ」って焼いちゃったんだよー」と、怖い顔をしているがヘラヘラと笑っている八王子さんだった。八王子さんの話によると『この業界』は「ちょっと前に集合」とよく聞くがこの「ちょっと」が曲者で、30分前も「ちょっと」に含まれるのだと説明があった。10キャラッツのマネージャは「何時何分」と時間を切るらしくて「先生」の助手の宇田さんからの電話の時も「9時前に集合」と予約が入り「では、8時何分にしましょうか?」って聞きなおしたら、ちょっと怒った感じで「30分前!」って宇田さんが答えたと、八王子さんが話した。次の朝 8っちーは40分前にスタジオに入ろうと、扉を開けると宇田さんが もう いた…。「サタデー・ナイト・フィーバー」を流し、かなり大きく身体を揺らしていたので扉をそっと閉めた 8っちーだった。八王子さんは8時30分「キッカリ」に来た、怖い顔をヘラヘラして。(色々…勉強になるなあ!)と思った、性別不明の8っちーだった。