20年ほど昔のこと妻の実家から「太いの」が送られてきたとき、びっくし!『収穫時期が遅過ぎとちゃうの?』と聞いたら「実家のきゅうりって、これがっ!正解…。」と 平然と答える妻に 又々 びっくし!きのう その「肥後」の太きゅうりが6〜7本、クールで届いた味噌漬けにし んで、ピクルスに、それから…残りは2%ほどの塩漬け で、真空パックで保存しよー
大きくなったでしょ?(7/22と比較してね)
2009・7・29
私は 苦瓜です朝顔さんと仲良しツーショット、如何ですか?実は…、兄は死にました… 窒息死です兄が二尺程に伸びた時、朝顔さんに捕まりました朝顔さんの成長は早く、「あっ!」と言う間に、グルグル巻き兄は息ができなくなり、今は 茶色く 二尺のまんまです朝顔の蔓巻き縊死し苦瓜は
先日 お隣の大家さんが ♪ピ〜ンポ〜ン♪ と「来年の2月で契約の5年目になりますが…、ど〜しはりますー?」と 問合せがあり 妻、答えて「じゃ… 再契約と云う方向で、主人と相談を…」と 答えたんですが、よく考えてみると…『引越しも… えゝかな…』と ちょっと保留中です。ワタクシ「湖西線」が大好きなので@あの沿線で 琵琶湖が望めるところがあれば…A掃除をするのが 大変だから「平屋」が良いな…B居間は10畳は絶対欲しいな…なんて… ネットで探しているんですが最初は 冗談半分だったんですが…素敵な「物件」がドンドン出てきて今 頭が一杯で 「その気」中 でっす。
最近 全然 口にしませんが、カレーがご馳走だった頃。水屋には「西洋皿」があり、別名「カレー皿」でした、ね。昭和38年1963年 ハウス「バーモントカレー」が発売されてからはご馳走の度合いが一気に倍増しました。その頃の「西洋皿」の使い道は、ほとんどがカレー用で、たまに天ぷらを揚げたのを山盛にし3皿ほどドンと卓袱台にのせるくらい。大人になって「器」は ほとんど 粘土系の「陶器」が好きになり白地系の「磁器」の冷たさがイヤで あまり食器棚では見当たりません。先日 久々に気に入った「西洋皿」を買ったのですが、和食系の我家には あんまし 登場率が少なく ここに写真でデビューさせます。はい! ポーズ!
阿倍野区・美章園の駅近くに「美章園温泉」とゆう風呂屋がありました。広々とした脱衣場には、広々と籐の敷物が敷かれて 湯上りの足の裏にヒンヤリと心地よかったです。 名建築でしたが、去年、解体。京都の新京極商店街に「キムラ」とゆう「すき焼店」があります。40年前にはじめて二階座敷に上がったときに驚きました。大広間に籐の敷物が一杯に敷かれ、衝立の間仕切りが点在し(明治時代の牛鍋屋みたいだ!)と、感激したものでした。 今は 普通の畳敷きになってます。この日曜日、客間に籐の敷物を敷き、夏への模様替えを終えました。居間はまだです… きょう しようかな…。
4月、小学1年生になりたてで学校に馴染めず毎日、ぼんやりと過ごしていた頃。その日教室で先生が「きんかんしょく」と黒板に書いたのを、覚えています。当然 説明も聞いたのでしょうが、上の空。土曜で午前中で授業が終わりいつものように、あっちこちに寄り道。あと1〜2分で家というときに、(曇りになったんかな…?)と少し暗くなった(えっ!夜や!)と、周りが見る見る、真っ暗に…たくさんの鳥が泣き叫んで、飛び去る冷たい風が、ビューーーンと吹き荒れる怖くなり、走って家にたどり着きジッと身を縮める吐く息ばかりの呼吸になる家には誰も居ないので、どうしようもなく一人。(あっ…、ちょっと 明るなった…!)(わあー、もどった! 昼に!)それでも、心臓はドキドキしていた。
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ハチーーーーーー!
2009・7・18
子供の頃 長屋に住んでいて家の中で「動くもの」が無かった。しばらくして、扇風機が登場し夏の「動くもの」になった。少しして、ガスストーブも登場し炎が、冬の「動くもの」となった。小学3〜4年の頃 テレビが家にやってきて絶えずに「動くもの」が手に入った。そして、今家中の開口部を開け放ち、暖簾が揺れています。外では願いの短冊も揺れています。でも、テレビは消します。
「面接の前の日に‘特技’を聞かれたら… どー 答えようかって、悩みました。」『へぇ…』「‘特技’が、無いので…」『ふ〜ん…』
『そー 言われたら、僕も‘特技’って無いよなあ…』って 答えて『一時的に、‘それ’ばっかりの事 考えて、‘マイ・ブーム’みたいな そんなんも、無いの?』「それは…、‘趣味’じゃー ないですか?」『あっ、そ〜 かぁ…』
それから ずーっと ‘特技’のことを考えていてあることを 思い出しました。
あれこれ 考えさせられた きのふ けふ
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紫の星
2009・7・11
この頃になると…ビューカメラは全然、姿を消してるなー。『Kodaks』(?!)『and』『Eastman Cameras』(?!)『イーストマン・コダック』社と 違うんや…、この時代…。フィルムは…『アグファー』やぁ…!「第一次」と「第二次」の「世界大戦」の狭間やから…ドイツも敵性国の扱いと違うんや、なぁ…昔は、「工業製品」と云えば「ドイツ製」絶対的良品やった。
織姫が織る布はすばらしく、五色に輝く美しいものでした。お父さんの天帝は 毎日/\ せっせと仕事をしている織姫に「そろそろ 年頃やし 旦那さんを もーてやらな…」と考えて働き者の彦星を紹介した ところ 意気投合したので 結婚させました。織姫と彦星の結婚生活は濃密で織姫は機織を止めちゃい、彦星は牛の世話を打っちゃってしまったのでお父ちゃんの天帝さんが怒って「別れなさい!」と、引き離しました。織姫は毎日/\泣きながら、機織をするので、天帝さんは哀れに思い「年に一回だけ、逢わしたるから…」と約束したのが、七月七日です。
例年の「ゴーヤ」と「朝顔」の棚網で、ついでに「七夕飾り」の笹のかわりです。今は「飾り」だけですが、今晩「願い事」をしっかり書きます。ワタクシの家は、旧暦で生活していますので、新暦の8月26日までが「七夕」ですので、あわてず&騒がずに ゆっくり 七夕します。
先週、雨が多い日が続いたけれどそんな中、汗ばむほどの晴れの間に蝉がハシャイで鳴いてました、一匹で。
きのうの夜、「サザエさん」のグー・チー・パーに勝ち録画していた「MR.BRAIN」を大音で再生してました、ら蟋蟀こおろぎがTVの音に負けじと鳴きました、一匹。
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色づき始めたミニトマちゃん
2009・7・4
「すんません… きょう、大雨注意報が出てますのでちょっと…、軒を貸してください。」
すると、どうだろう…土足のままで、上がり込んできやがった…ったく!
10年以上昔の話、身近でとてもつらいことがあり日々 泣きたい気持ちで 過ごしていた頃甲子園の浜で この「アガパンサス」が群生しているのに出会いました。腹立たしいほど 能天気な艶やかさに(こいつ…!)と 眼を飛ばしておずおずと立ち去った思い出が強く残った。それ以来 この花を見るたびに(ヤな奴)な気持ちで見ていました。そして、今のこの家に引っ越した 4年前花屋で買い求めた「アジサイ」を庭に植えしなおし「梅雨」を心待ちしていましたら違う場所から 突然「アガパンサス」がニョキリと咲き出して( なんで? お前が…! )と ビヽったのを 思い出しました。この花を見るたび…。