1985年 春皆がみんな心の中でマイケル・ジャクソンの澄んだ歌声の「We Are The World 」を歌ってた頃です。当時の8ozメンバーの物谷君がミノルタα7000を買ってきて嬉しそうに8ozメンバーに見せびらかしていました。「すっげ〜 これっ!発売したばっかりですやん!」「新人類は、これやからアホ呼ばわりされんねん 新しいもんに直ぐ飛びついてからに…」「これが…世界初の本格的オートフォカス一眼レフってヤツ?」「おニャン子のコンサートで 知らん顔して スカート内にフォーカス出来るなぁ…」「野田幹子の『太陽・神様・少年』のヤツやんなぁ…」と みんなして触りまくっての 結論は…「これぐらいやったら…手動で充分やん!」 だった…。確かに デザインのゴツゴツ感… 表面もプラスチックのポコポコ感が どーも… だった。
秋 つくば科学博が終わった頃とあるスタジオに行きました。そこは トップライトのスカイが電動式になっていて工場のクレーンのワイアー付きの操作器でガーガーと上下にギーギーと左右に動きウイーンとスカイの「振り」も調節できるように設計されたスタジオでまた4×5カメラの「ジナー」も自動絞りコントロール機能がのがあり日頃から「苦労田くんの仕事が 段々 無くなっていくで… 気ぃつけんな…」と 口癖のよーに言ってはる そんなスタジオになんと!!ミノルタα9000がデーンと「ハスキー」に据えられていました。
『買ったんですか!?』「そー やねん!新発売!」『今日はこれで ?』「この前から ちょっとテストしてゝんけど オーケーやね…!」『へー! 7000は触ったことありますけど 9000かぁ…』「まー よー似たモンやから 大丈夫やろ… ちょっと いろといて…」と しばらく 触ってると「なー 苦労ちゃん ゆーてるやろ これで 君の仕事が 又 1つ無くなったやん!」当時 ワタクシは35mmの撮影時には「絞り」係りを担当していました。『1/3絞ります…』『半段開けます…』と小声でカメラマンに告げながら。いよ!いよ!スタイリストさん登場ディレクターが煙草を吹かしながら登場スポンサーが「ウオッホン!」と咳払いの登場ギャラのお高い西洋のモデル嬢は大遅刻で登場 「シンカンセン ノリオクレ デスゥ ネェ …」さて 撮影開始!モデルさん 綺麗にドレープされた「スーペリア」のムラ・バックにステップ・インパシュ〜ン パシュ〜ン パシュ〜ン と 快調! 快調!とっ しばらくし カメラマンさん 止まった!?「なんじゃ! この 半押し わ!?」と 大声全員 ( ?!?! )「苦労ちゃん! マニユアルに替えてっ!」ワタクシ 飛んで行って α九千くんに向って『 えーっ と…! えゝっと…? マニュアル…! マニアル…?』「もお ええっ! ニコン! F3!」 ついに… 切れたっ!モデル嬢は 知らん顔して マドンナの「マテリアル・ガール」を歌いながら踊ってる。α九千君 ゴロン!と 作業テーブルの上 天地逆さまに放り出されてしまってる。ワタクシ 怒れるカメラマンの鼻息を聞きながら 「絞り」係をした。
歌は世につれ O
■夕陽が泣いている/ザ・スパイダースGS華やかりし頃…あっ! ガソリンスタンドと ちゃいますよぉ!グループ・サウンドの略です…!ワタクシが高校1年〜3年生の たった3年の間に百花繚乱、柳の下にドジョウが100匹な そんな時代の先駆けにザ・スパイダーズが存在していました。『フリフリ』という とんでもないファンキーなエレキ・サウンドでデビューをしその翌年 この『夕陽が泣いてる』が爆発的にヒットしました。巨匠堺正章マチャアキさんがメイン・ボーカルです。しかし ルックスが良く男前のサイド・ボーカルでタンバリン担当の井上順さんが♪誰かに恋をして〜♪と堺さんの歌のサイドで♪恋をして〜♪とコーラスを歌い出すと客席から「ギャ〜」と歓声が沸いたのを 思い出しています。※レコード売り上げ 120万枚を突破!
■B5サイズの写真アルバムのようなぶ厚い表紙の記念帳調べてみたら「サイン帳」らしい でした。今でも卒業シーズンには女子生徒が やっている らしい でした。■東京のスモッグの向こうスモッグ は 死語 ですか?今年、北京オリンピックで大気汚染を騒いでいた時にワタクシは思い出していました。1964年/昭和39年 東京オリンピックの頃の日本の大気は凄まじく汚かったことをあの頃の 映画やドラマの都会のロケ・シーンを見たら10メートル先が かすんでいたんですよ。「スモッグ」とゆー言葉が1965年度に 今でゆーとこの 「流行語大賞」にノミネートされた程ですから。
歌は世につれ O
■「内臓 出そうやんけぇ!」当時のエレベーターは 今の様にスムーズでは決してなくて昇降時に(ガクン!)となったり また 昇降の加速加減が(いゝ加減)で かなりのG重力が掛かってました。お年寄りやジャリなどは「気分悪るぅ 降ろして…!」とほざくヤカラが普通にいましたね。そう 正に 「内臓 出そう」な気分でした。■フツーの観光地のお土産・金か銀色の鋳物で出来たミニチュア・三角形のフェルト地のペナント・ご当地饅頭 ← あ! これは、いまだに健在ですね■僕にはカメラがなかったのであの頃 尊敬の念を抱いて「写真機」って言ってたような気がしますが…カメラが高級品だった時代ですが それにもましてフィルム代と現像代も高い時代でした。そんな時代なので「ハーフ」で「オートバカチョン」の時代が来るまで世の中のワタクシを含めてビンボーっぽい家庭には「写真機」は高嶺の花でした。我家に初めてきたカメラは《ちっちゃな偉大なカメラ》という名コピーの「リコー・オート・ハーフ」の「E」タイプだったと記憶しています。姉が買ったので花柄の付いた とても 恥かしい写真機でした。小学6年の時に《ポケットからデミを出そう!》というキャッチコピーのキャノンの小さなカメラが発売されて「修学旅行に持って行きたい!!」って泣きまくったんですが「月給より高い写真機なんか、買える訳ないやろ!あほっ!!」でした…。
■‘栄太楼飴’と‘浅草海苔’あの頃 「東京土産」と云えば「これ」らでした。もう一つ浅草の‘雷おこし’もあったそーですが…なにぶん 大阪には 名物‘粟おこし’や‘岩おこし’があり「‘おこし’は大阪やっ!」のプライドがあったのかボクの回りでは馴染みが薄かったです…。‘栄太楼飴’のニッキ味は 今でも 頭の隅に残っています大人たちが喜んでナメてましたが 子供心に(摩訶不思議)な味でただ あの缶々のフタを時計回りに 大切そーに 開ける感じは 好きでした。「サクマ式ドロップ」のフタを小銭やドライバーで開ける時の様に缶入りといえば有難きモノでしたね。■ルーチョンキ昭和41年のテレビCMです。わが8ozの近所の大阪は西区の土佐堀に本社がある「大日本除虫菊」株式会社の商品名「キンチョール」のCMでした。大阪発の おもしろCM の第一号と言って良いでしょうねクレージーキャッツの「桜井センリ」さんが登場し「キンチョール」の缶々を逆さに持ち「ルーチョンキ」と言って商品を見なおし「あらっ、アタシってダメねっ!」とそれだけのCMでしたが これが大ヒット!何かにつけてボク達は「ルーチョンキ」だったり「……ってダメねっ!」と言いまくった あの頃でした。
1966年 昭和41年 中三修学旅行僕の頭の中で (ある曲)が何度もくり返し流れていた新幹線で富士山を見て みんなが騒いでいた時も東京駅に降り立って 「東京 上陸!」って大声出した時も土産もん屋で‘栄太楼飴’と‘浅草海苔’を買おた時も東京タワーのエレベータの中で「内臓 出そうやんけぇ!」と近藤が叫んで どっとクラスメートが笑い合ってた時も何度も何度も くり返しくり返し 耳鳴りの様に流れている東京タワーの展望台から 灯りがともされた東京が見えた「苦労田!東京タワーの模型 買わへんのか?」と 井本君が背中を叩いた『あー あれなぁ 重いやん…』「ほな… ペナントにしたらどーやっ?」『そんなもん 買おたら 修学旅行生みたいやんけ…!』「修学旅行やん!この〜 ルーリョンキ!!」と 平手で軽く僕の胸を打つ真似をしたガラスに目を戻した時 また 夕景の中から(あの曲)のイントロが流れだした印象的な 物悲しいギターソロだ…夕陽が泣いている/ザ・スパイダーズ
『山田の写真 撮ってくれたかぁ…?』と 井本君に尋ねた「あかん! うまいことチャンスないねん」僕にはカメラがなかったので 彼に頼んでいた「あんなシャクレのどこがえゝねん? 頭かしこいだけやん…」山田さんは副クラス委員長で 頭はクラスで一番だった
全然 彼女を(意識)してなかったけど修学旅行の一ヶ月ほど前に僕の所に 「山田さんが あんたに書いて欲しいって ゆーてたから…」と ある女子から手渡されたのがB5サイズの写真アルバムのようなぶ厚い表紙の記念帳でそれは 好きな人にコメントを書いてもらったり写真を貼ったりと当時の女子たちに流行ってたイベントだった。僕は誰からも「書いて!」と言われたことがなく それはそれで(当たり前)と思ってたし山田さんとは話したことが ほとんどなくて ( なんで 僕に…? )と 気になりだしてあっという間に(好き)になってしまった…そんな頃に 生まれてはじめて買ったレコードがシングル判の(この曲)だった
僕はほの暗い展望台を一周し 山田さんを探した山田さんはもう一人の女子と土産物を買ってた相談しあって 笑い合って ウインドーの中を指をさし合って店員さんに「リボン 掛けてもらえますかぁ?」ってゆーてたダウンライトに照らされた山田さんはキレイやった。僕は することもなく 振り返って ぼー っと 外を眺めた東京のスモッグの向こう夕陽が落ちる方向にぼんやり 富士山 見える気ぃしてんけど。
一等賞 小嶌恵美さんテルミンちゃんですね!? 包帯を巻かれちゃってケガしたんかな…?小嶌さんは「SX-70」派の作家をやり続けてまいすね。今回の これ 好きです! タイトルもGooood!「電子をとめ 照美」 勝手にタイトル…
二等賞 四方優子さん幸せになれる写真です。撮影現場も楽しかったんだろうなあって想像してます。「せーのっ!」 パシャ! 「あかん…! もー 1っぺん!」 みたいな。三等賞 実熊麻衣さん毎回 ファッショナブルでポッピーに作り込んだ実熊さんの作品ですね。画面の印象がカラフルで「動的」なのに モデルが「静か」なのが 好きかな。
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あきいろ (菊)
2008・11・15
カメラマンKさん、と「苦労田くん これ 知ってるかぁ?」 と 革のケースから 大切そうに取り出したモノワタクシは手渡されて『フィルターですね? ソフト・フィルターです…よ、ね?』「そ〜やけど ちゃうねん!」 と 得意気にヒゲを触りながら「これ…ムービーで使ぉてる ディフュージョンやねん」 『ディヒュ…??』「早い話が… ソフトフィルターやけど 【ハリソン】 ゆー外国のメーカーのんやねん…!」くすんだ銀の太い金属リングで 持ち重りのする 美しいフィルターだった。Kさんは うっとり と フィルターを 透かして見ながら 「これで モデル撮ったら 肌の ボケちゅーかニジみぐあいが 何とも言えん… えゝねんでぇ… 」『ハリソン…の ディヒュージョン… で・す・か…?』
カメラマンNさん、と「苦労田くん セロテ 5センチくらい 切って…」 『はい!』三脚に据えられた4×5のレンズの前に ペタっと 貼っつけたワタクシ… 『何してんっすか?』 と???「ボケ 入れてんねん!」 と レンズ前で目を細めて セロファンテープを 微妙にずらしている。『ぼく しますっよ』 「えゝねん ‘気持ち’やから…」 と ファインダーで確認して「これで OK!やっ」「苦労田くん メンタム 取って…」 『はぁ…?!』と カメラバックを覗くと れーのメンソレータムの缶があった。Nさん それを セロテのところどころに 塗っている「ボケは自分で作るもん、やでぇ… 苦労ちゃん!」 『はぁ…』
カメラマンAさん、と「苦労田くん ちょっと 鼻の脂 貸して…」 『えっ!??』「おれ 乾燥肌やねん…」 『はぁっ?!』 と Aさんは人差し指をヌっと出しワタクシの小鼻にギューっと押し付け NIKONの長玉に ペタペタとぬすくってる『あの…?』 「あゝっ これ? ちょっと ボカシてんねん」 と 事も無げに『レンズ… 大丈夫っすかぁ?』 「UVしてるから 平気や」と ファインダーを見ながら確認している「色んな フィルター あるけど 鼻の脂が最高やでぇ…やっぱ!」 『はあ…』
2008・11・7
こつぶやき
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