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あきいろ (メキシカンブッシュセージ)
2008・10・30
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■きつ目のパーマを掛け昭和30年代のご婦人たちは冠婚葬祭やちょっとした行事があるたびに「美容院」に出掛けてました。「あら… お出掛けですか?」「えゝ 病気とちゃう 頭の方の美容院へ…」みたいな会話をしてました。ピンカールを頭一杯に巻いて「お釜」ゆードライヤーを被りたまに 高級婦人雑誌なんかをに目を落としながら「先生 ちょっと… 熱いんですけど…」「あらっ!ごめんなさい…」そんな会話を横目で見てました。
■甘いヘアースプレーの匂い本当は「甘ったるい」「臭い」です。パーマの仕上げに「Vo5」の親玉みたいなスプレーを散布されパーマあてたての匂いを撒き散らしていました。男達の散髪も あの頃 散髪したての独特の匂いってありましたね…。
■あほの正男の弁当の内容実は小学生の頃のワタクシの遠足弁当の内容です白ご飯を折箱にギュウギュウに詰めただけで「まるは」の魚肉ソーセージを2本と「みぬき」を2個を遠足に行くハレの弁当の内容でした。母親は「ほんまに こんなんで えゝの…? なんか 恥かしわぁ」と いつも ぼやいてました。「まるは」のソーセージを初めて食べた瞬間から「これが西洋の味や!」と思い続けてましたから…
■みぬきワタクシが東京に行くまで「みぬき」は標準語だと思ってまして「ゆでたまご」って言葉は知ってはいましたが モッチャりした長々しい言葉で「みぬき」ってシューってしてゝ えゝやん! って 今でも思てます…がぁ「煮抜にぬききたまご」からの変換かと… 思われます。
■大仏つあんの柱の穴関西では東大寺は遠足や修学旅行で拝観しますが以外の人には分からないとは思います東大寺の柱の一本に人が「やっと」通れるくらいの穴がありましてこれを「くぐる」と無病息災や頭が良くなるといわれています。
▼ナショナル・キッドのメダル前回 約束した この話 書き忘れましたので 次回は必ず…
昼 若草山で休憩秋風が爽やかにそよぐ空は霞がかかっているが 弱い陽射しが 心地良い「チエ子さん 一緒にお弁当食べる?」と京子先生が近付いてきた「気分は もー 大丈夫?」と チエ子の顔をまじまじと見ながら 微笑んでいる。京子先生の髪はきつ目のパーマが掛けられ 甘いヘアースプレーの匂いがした京子先生は芝生に新聞紙を敷き さっき見学した東大寺の方を見おろしながら 腰をおろした
チエ子はリュックの中を見て 弁当箱が入ってないのに気付く「先生ぇ! お弁当 忘れてきました…!」「えーっ そぉ 朝寝坊したから あわてゝたんやね… 先生のん半分 食べてちょうだい」「えゝゝっ! そんなん…」 「先生 ほんとは 減量中やしー」と アルミの弁当箱の蓋に お稲荷さん だし巻き 結びこんにゃくと人参と里芋・椎茸の煮しめと 次々に入れられ チエ子のお腹はグーグー 鳴りだした
「はい…!」と手渡され 「先生ぇ ほんまに すんません ありがとーございますぅ」「また 又 魚屋のごみ箱 して…」 と その時 後ろから声がした。「これ 喰えや…!」 二人が振り返ると 正男が突っ立っていた手には竹皮の包みと「まるは」のソーセージが2本 もう片一方の手には玉子が2個「こっちは みぬきゆで卵 や! 塩は ご飯の横に新聞紙で包んであるはずや」と チエ子の膝の上にほり投げるようにして置いて 頂上に向って駆けて行ってしまった。「先生ぇ どー しましょぉ… これ…?!」 と京子先生の顔を見ると「ええんとちゃう ほら! 見てごらんなさい… 正男君 皆から ちょっとづつ 貰ぉーてるのん 見える?」と 後ろを指を差した
「おい!これ1個 くれや!」 「正男 なんでや〜?」 「弁当 忘れてもーてん」 「ほんま お前 あほな奴ちゃなあ」正男はあちこち回り それが キャッキャと楽しんでいるように見えた。
「正男君って 結構 あ〜見えても大仏さんの柱やね…」と 京子先生は正男を優しい目で追いかけながらつぶやく
「それ 又 洒落言葉ですかー?」 「そーよ」 「さっきの 大仏っぁんの柱の穴のんに関係ありますかぁ?」「あ〜 あの チエ子さんも くぐった あの穴の?」 「頭 よーなる ゆーてた…」「でも あれとは関係ないわね…」 「大仏っぁんの柱かぁ…? えーっと でっかい… 大きい… 太い… 長い…」「それ それっ! 木が太い」 「あーーーっ! 木が太い で 気ぃが太い ですね 先生!?」 「そーよ 正解!」雲間から陽光が輝いている 一陣の強い風が吹いてきた京子先生の肩からかけていた毛足の長い柿色のカーディガンの柔らかな袖がチエ子の頬を撫で 気持ち良いな と思った。
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「苦労田!」 『はいっ!』 「弁当箱のニューヘッドがきたから 空打ち1万発しとけよ」『はあ 弁当箱ぉ…?』 「トーマスだよ!」 『トーマス…ぅ?』 「トーマス・バルカーだよ!」『バル…?』 「ストロボだよ!」 『 あゝ はいっ! カラウち…? 』 「そこらへんで パンパン 打っときゃいゝんだよ!」『10,000発もですか…?』 「そ〜だよっ!」 『………?』 「馬鹿!何にも知らないんだなっ 苦労田!」『……はい……』 「最初の内はブルーが浮くんだよっ 青ねっ」 『はあ…』「んで 1万発くらいで 正常な色目が やっと 出るんだよ」 『はぁ』「だからっ 最初の1万発は空打ちしとくんだってば!」 『わ わっ かりました…!』と 車の撮影用の体育館のようなスタジオの隅っこで パ〜ン カチカチカチ パ〜ン カチカチカチと 一日中 ストロボを発光させてた 23歳の春でした in Tokyo 。
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歌は世につれ N
1965年 昭和40年■「全員のアイドルやから」「アイドル」と云う言葉が日本で広まったのはこの前年11月の「アイドルを探せ」と云うフランス映画からヒットしたシルビー・バルタンシルヴィ・ヴァルタンの同名曲が日本で大々ヒットし「アイドル」と云う言葉が定着したと思っています。それ以前は「スター」みたいな言葉しかなくって「少女スター」「歌謡スター」「ポップスター」「青春スター」みたいなモッチャりした表現方法しかなく この「アイドルを探せ」以降にシルビー・バルタン自身も「アイドル」となり日本のCMにも起用されたりし大いに持て囃されました。そして 当時の ワタクシの話ですが…「笠木和子」さんの髪型もシルビーを真似したのか前髪が右目にかかるカットをしていたので ラジオで「アイドルを探せ」の曲を聴くたびに「笠木」さんのことを思い出し 胸が高鳴っていたのを思い出しました。でも…よくよく考えると…パーマ禁止の中学校で 直毛の女子が前髪を右目にかけるって 重たくって変な髪形だったと今では 思い直していますが…・動く! シルビーバルタンさん「アイドルを探せ」 YouTube http://jp.youtube.com/watch?v=LBSI2KNiIbQ■バーブ佐竹 『女心の唄』 YouTube http://jp.youtube.com/watch?v=nnLo9BkGmVk&feature=related■橋幸夫 『あの娘と僕』(スイム・スイム・スイム) YouTube http://jp.youtube.com/watch?v=aFkJPVgHkLk■橋幸夫 『CHE CHE CHE』(涙にさようならを) YouTube http://jp.youtube.com/watch?v=0o7Y4cvelO4■日野てる子 『夏の日の想い出』 YouTube http://jp.youtube.com/watch?v=ptmhknBBif8
1964年 昭和40年■「お風呂に行ってくるわ」銭湯のことです。当時の大阪で自宅に風呂があった家は極めて稀だったと思います。銭湯の料金は「大人だいにん」「中人ちゅうにん」「小人しょうにん」に分かれていて「小学生」のみが「中人」でした。ワタクシは中学生だから「大人」料金で25円くらいだったと思います。大柄の小学生なんかは「ボク!だいにん ちゃうのん?!」って 番台のおっちゃんが恐い顔して聞いていましたね。又 この頃はまだ「洗髪料」10円は女湯のみで男は別料金ではなかったと記憶しています。近所の男友達と一緒に銭湯にいき 湯舟に座って1時間は平気でダベって風呂から上って体重計に乗り 扇風機に「ア〜〜〜〜」をやって坪庭の見える応接セットに座り ラムネを飲み 涼みながら ダベって1時間くらい「寒ぅなったから もっぺん 入ろか…」ゆーて また 小一時間 浸るのが当時の「銭湯ライフ」でした。だらか「中人」以上ともなると「お風呂に行ってくる」と出掛けて2時間は家に戻らなかったです。又 銭湯は町内に1〜2軒はありました。
■赤電話大阪市内なら通話料金が「かけ放題」で10円でした。大変 良い時代でしたね…。特に「たばこ屋」の店先には必ずありましたし 商売屋さんの前に赤電話を置くことが集客力が上るといって 置いていたお店がずいぶんと多かったですね。うら若い娘さんが赤電話器に10円玉を積んで「甘えながら」話しているのを見ると県外の彼氏に電話している… だとか 勝手に想像してました。又 うら若いお嬢さんが1時間も2時間もラブなテレホンして行列ができてしまうという社会問題になったりし昭和45年に「かけ放題」は廃止されました。この頃には 確か ワタクシの家に電話があったのですが 親兄弟に聞かれたくない電話は公衆電話に走ってました。
■お茶屋さん喫茶店ではありません「茶葉」を売る専門店です。あの頃の商店街には「味噌屋」や「玉子屋」や「漬物屋」などの多種ですが単品のみ扱う店がありましたね。
中学2年の夏休み和歌山県新宮市三輪崎の海水浴場バーブ佐竹『女心の唄』流れている。
(また 同じ曲かいな…)と思いながら熊野灘の沖合いを 当てもなく眺めるドラム缶を浮きにし丸太で組んだ筏から子供達は跳び込んでは又這い登り嬉々とした叫び声が風にまぎれて届く午後の陽光に濃い緑色のガラスの浮き玉がキラキラ光っている。
朝の11時に この浜にきて途中 昼飯を食べに親戚の家に戻り昼の1時過ぎに 又 浜辺にきてみたがバーブ佐竹の『女心の唄』だけを何度も/\監視小屋横の拡声器から 流し続けている。天辺に穴の開いた麦藁帽を被った「おっちゃん」が監視番で ここ数日は 『女心の唄』しか掛けないせめて歌謡曲のでも橋幸夫の『あの娘と僕』(スイム・スイム・スイム)や『CHE CHE CHE』みたいなテンポのある曲や 日野てる子の『夏の日の想い出』なんかの海辺にふさわしいムーディーな曲を選ばんとバーブのしゃがれ声で「夜の女」の切なさをこんな輝く太陽の下の浜辺で聞かなあかんねん…
その時 僕は 悩み事が2つあった。2年10組のクラスメートのこと…1つは笠木和子さんのこと…笠木さんとは学級ではあまり話せないけど電話で1〜2時間はよく喋っていた。「お風呂に行ってくるわ」と風呂桶を持って家を出て美章園会館(映画館)の前のお茶屋さんの公衆電話で他愛もない話をし続けていました。後ろから「兄ぃーちゃん まだっ?」って誰かにせっつかれても『きょうの授業中な ○○が○しよって ほんでな…』とか長々と話し合った笠木さんとのことこの夏休みの直前ガラの悪いラクビー部の正・副キャプテンの2人から呼び出され「お前 笠木に電話すんのん止め!」と胸倉をつかまれて脅かされた彼等 曰くは「笠木はラクビー部のマネージャーで部員全員のアイドルやから手出しゝたら ドツくぞ!」らしい…それ以来僕は風呂屋に行っても赤電話の前に立たなくなった 意気地無しに…
もう1つの悩みはクラスの女の子で「ワキガ」と云うあだ名の細井清子さんからラブレターを貰ったことである。クラスの男子達は細井さんの前でも平気で「ワキガ」と呼んでいた僕は彼女にはそんな直接的には言わなかったけど…陰ではそう呼んで 笑いあっていたのに体育の授業の後で鞄を開けたら封筒が入っていて家に戻って封を切ったら細井さんの告白が書かれていた。次の日から「意識」してしまい細井さんと顔が合うたび赤面してしまう僕であった。そしてそのまゝで 夏休みに入り二学期から どー すりゃ良いのか悩んでいた。
クラスの男子から「きょうの「ワキガ」国語で読み違いしよってやっぱりほんま あいつ 阿呆なやっちゃなぁ… 苦労田?」って聞かれても 何にも言えなくなった僕だった…
あれ! とうとう監視番の「おっちゃん」スピーカーで歌いだしたそれも濁声で下手糞!歌い終えると「お粗末!」って言い切ってほんで又 最初から 『女心の唄』のレコードに針を落としている僕は 浜を後にしたそしてビートルズの『HELP!』を口ずさみながら…
橙は金 白は銀
じゃ レモンイエローは なに木犀?
2008・10・10
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病葉わくらば多き朝顔と苦瓜の棚10月過ぎてそろ/\仕舞おうかと近寄る白く小さな朝顔が いつゝ・むつ 咲いているあっ こんなところに苦瓜ひとつ あった次の日曜日まで 待とお
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三兄弟(姉妹)?
2008・10・4
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一等賞 松本早苗さん「なに?これ!」って目を引きました… 万華鏡?!そして よく/\見ると (なー んだ…) と思いましたが 面白いです。こんなことを考え出せる発想が 素敵や と思いましたも少し幻想的に演出してくれれば 浸れたのになあ。あっ! それと タイトルも絶品ですね。
二等賞 渡辺 務 くんよくある「絵葉書」のような「優」な写真ですが タイトルが 大変 気に入りました。
三等賞 該当者無しだから… 動物写真は卑怯だ!って言ってるやん、可愛いけど…・八巻くん ・愛垣さん ・木村くん
タイトル ベリーグーーー!!・金井くん
一等賞 遠藤奈保子さん猫の表情(?)と背中から左足の形が「ヒネリ無し」の良さを醸しだしてます。「人間って馬鹿じゃないの?命の次くらいに大事にしてさ… 」てな 感じが出てますね。よく似たシチュエーションの『黒猫くん』もあるんですが… 目線が違います しキレイ/\してなくって 染みっ垂れた玄関先の階段風のロケ地が 良いな。
二等賞 神田靖英くん「ヒネリ」勝ちです! 企画賞です! アイデア賞です!ただ 思うのは モニターの1画面に 何か とんでもない笑えるとかの「落ち」があったなら 俄然 一等賞にしたい作品でした。
三等賞 該当者無し四方優子さんのに「ん…!」と思いましたが… なんも「ヒネリ」無しか… と 断念…!