日曜日の朝早くにピンポンが鳴り妻が出ると 秋祭りの世話役達が祭りの寄付の「粗品」を届けに来た。毎年 寄付は続けていたのに「粗品」が出たのは初めてであった。白地のタオルに楷書体で「山乃町地車」とプリントされていた。
この地に越して三十年昔のこゝの祭りは品祖だっただんじりの引き手は幼稚園児や小学生ばかりで年老いた世話人が大汗を掻き/\引っ張っていた。大阪泉州のだんじりが有名になってから… か祭りに若者が戻りだして 今ではこの季節になると町全体がソワソワしているように思える。
そう…大学二年生の息子が小学生だった頃彼は祭りがとても好きで 朝早くから夜の遅くまでだんじりを追っかけてキャッキャと騒いでいた。確か 小学六年のときに祭りの顔役の息子さんが友達だったので「お父さん テントの中の役員のおじさん達が親切で色んな飲み物や食べる物を一杯くれるんだよ!」と 汗だらけで途中報告があり帰宅したのが深夜近くだったのを覚えている。恐らく きっと 大人達が大酒を酌み交わす「打ち上げ」に嬉々として参加していたのだろう。祭りが終わって数日後息子が撮影したプリントが100枚近くありそれの一枚/\ ワタクシ達に説明してくれたのには閉口したのを覚えている。
そしてきのうの夕暮れ雨音にまじって祭囃子も遠くから聞こえてきた。あの酒屋の向かいの集会場で若い衆が先輩に怒鳴られながら笛や太鼓の練習をしているんだろうなあ。
こつぶやき
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天高く
2008・9・27
こつぶやき
“雪わり草” ならぬ “アスファルトわり草”
2008・9・26
こつぶやき
A) バスガイド当時 昭和30年代は「バスガール」と読んでいたよーな気がします が… 。
B) 前の座席のポケットに入っていたビニールの袋を取ってこれは 嘘です! 誤りです…最近 観光バスなどの座席の前ポケットにビニール(ポリ)の袋が設置されているのを見かけますまー ゴミ入れ用だとは思いますが… ちょっと昔 それにゲロゲロしている人を発見して( あゝ… あんな使い方も あんねや…!) と 思いました。しかし 当時 昭和30年代にはそんな物は「有りません」でした。だいたいは バスガールさんの足元にブリキのバケツに新聞紙を敷いたモノが用意されている位でした。
C) 「これ 飲みなさい…」と京子先生はコップに入れた水と…昭和30年代にガラスの「コップ」は高級品でした し すぐに「割れる」というイメージがあったので 嘘です…日頃 使われていたのは 瀬戸物屋さんの店先に日ざらしで置かれていた安物の紺地に水玉の白磁器が普通だったと思います。アル中気味のオッサンが ひび割れ手垢で汚れた そんな湯呑でポン酒を飲んでいたのも思い出します。使い捨ての紙コップなどは 当然 存在していません。
D) ゴミ箱蛇足ですが…ワタクシの回りでは「ごんばこ」と言ってました。又 座敷の隅においているのは「ちり箱」で 家の前の木製のリンゴ箱のを「ごんばこ」と言っていたと思います。昭和30年代は 各家の前に「ごんばこ」が置いてあり決められた日があったのか定かではありませんがリヤカーか大八車が来て 大きな竹カゴに詰め込んでいったのを思い出しました。
D) ナショナルキットのメダルこの話は次回「洒落言葉N」へ続きますので その時に書く予定です。
前の日 台風の影響でシトシトと雨降りだった秋の遠足を楽しみにしていたチエ子は 心配で仕方なかった。夜に入り 遠足の為に用意した服をきちんと畳んで 準備万全のはずが なかなか寝付けなかった。まだ暗い内に目覚め 枕元のリュックを見て 安心した チエ子だった。
朝チエ子は半泣きだった 寝坊したのだ。朝食も取らずに家を飛出し やっと 学校に到着すると校門前に並んだバスはエンジンが掛けられブルブルと大きな音をさせていた「あーーっ! チエ子 来よった!」とバスのステップに足を掛けていた あほの正男が叫んだみんなの目が集中し チエ子は恥かしくて恥かしくて 逃げたい気持ちになった。
出発したバスバスガイドさんが爽やかな喋りをし続けている がチエ子は学校まで駆けて来た 息切れと 心臓の鼓動が落ち着かない「これから みなさんが 向かう 東大寺は 「奈良の大仏」さんとして有名で 若草山の麓に……」こんなアナウンスが 遠くで聞こえているように感じるチエ子であった額からじんわりと汗が浮びだし 息は吐くばかりになって うつむいてしまった。
「先生! チエ子 車酔いやー!」隣に座っているあほの正男が 手を挙げて立った。学級のみんなが どよめいているのを感じたチエ子は ますます動悸が激しくなった「先生 ちゃいます!」と言おうとした瞬間 バスが大きく揺れ 「おえっ!」となった幸い 朝 何も食べなかったので 唾しか出ない前の座席のポケットに入っていたビニールの袋を取って 口に当てようとしたら「ギャー!ゲー 吐きよる!」と叫んだ正男は通路に逃げ 入替えに 京子先生が走り寄って来た(もー あかん…!)と 思った瞬間 「おおえええっ!」となったが 唾液ばかりで何も出ない。
「これ 飲みなさい…」と京子先生は コップに入れた水と小さな錠剤をくれたのを飲み干し京子先生に 昨日の晩からの睡眠不足や寝坊や朝食を取ってない話しなんかをとつとつと喋る「そら チエ子さん 仕方ないわね… ちょっと しばらくの間 横になりなさい…」と優しく言ってくれて正男に向って「あなたは その補助シートを倒して座ってなさい…!」と語気を強めに言った。チエ子は2シート分で横になりながら「先生… ほんまに すんませんでした…」と泣きたい気持ちで呟くと京子先生も小さな声で「チエ子ちゃんは魚屋のゴミ箱やね…」と優しく返事が返ってきた「先生ぇ それー 洒落言葉ですかー?」 「そ〜よっ 魚屋のゴミ箱で 魚のアラが一杯に溜まってるっ!」「分かった…! 「アラ溜まってる」 で 「改まっている」っですか!?」 「正解よ!」京子先生は洒落言葉の名人やな… などと 感心してたらさっきまでの しんどさが何処かへ消えていくような気がした。「みなさま 左に見えますのが 法隆寺でございます… お札で有名な聖徳太子が…」と聞こえてきたが チエ子は少し眠くなって 見る気がなかった…しばらくして大声がした「チエ子の吐いた袋に 僕のナショナルキットのメダルが入ってたんや!どーすんねん!? チエ子のゲロゲロの中に 僕のナショナルキットのメダルが入ってたんやどー!」と 正男の大声で チエ子は目を覚ました。
キアゲハの幼虫・・・誰がデザインしたの?
2008・9・17
2006年1月24日から13日間に渡って このコーナーで書きましたがワタクシはn自動車のライトマン社の仕事で 強烈な現場の洗礼を受けこの業界に足を踏み入れました。次に 8ozの2番目のスタッフは妻(前妻)で 業界初の女性のフリーアシスタントで3番目のスタッフが都クン(仮名)で 彼もn自動車を撮影しているカメラマンの助手を3年間勤めて大阪に戻ってきた人物であった。
そしてその頃 8ozと云うネーミングではなく《the pro-assist》と名乗っており都クンが参加したことで 妻はスケジュールのマネージャーとなりワタクシ達2人のスケジュールの調節役となりました。「でっかい撮影に強い」 「車の撮影の経験者」や「10kWをスタンドごと担げる奴等」 言われだし仕事の依頼内容も スタジオに大型セットを組んだ撮影や自動車やオートバイなどの「写り込み」の多い商品撮影 また大物と言われるタレントさんや俳優さんの入った仕事などもセットの中の「小道具的な気持」で進行し 全然ビビらない「奴等」として当時のリスキーな撮影現場に お呼びが掛かったんだろうと思います。
次回 「8ozの昔話 A」は8oz屈強のサードマンである都クンの話をしてみようと思います。
先日 フロントから「東京の飯野(仮名)様から連絡ありました。25年位前のお知り合いとおっしゃられまして『ネットで8ozのHP見つけて懐かしくなって電話しました…』と言われ 一応 携帯の番号をお聞きしておきました…」と 連絡があった。
懐かしいな…彼が大阪にいた頃って 街を歩けば♪ポートーピアー the city of light and waves ♪ とゴダイゴの唄があちこちから流れていた…飯野くんはワタクシより6〜7才年下で O芸大を卒業し大阪の老舗の貸しスタジオのSのスタジオマンを経てフリーになりファッション系のカメラマン数人の専属をしていた。彼のスケジュールが空白のときは8ozの「白の名刺」(名前は手書きする)を持って8ozのスタッフとして何度か現場に出たこともあった。
その頃の8ozのメンバーにもO芸大卒も多く在籍してましたが飯野くんは中部地方の出身で大阪弁より標準語に近い喋りからか又は 8ozは《ライティングに強い組織》を標榜していたからかファッション系オンリーの彼に対し「敵視」に近いものがありました。
さすがに 飯野くんが《APA展・特選賞》を受賞したときは8ozのO芸大卒のメンバーもグーの音も出なかったのを思い出します。人気者で可愛かったKちゃんと結婚をし東京へと旅立った彼に「将来 業界を背負うなぁ」と感じていたワタクシでしたがまた一方で 8ozのこれからを「ガンバらんと…」と決意したのを 思い出しました。
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まだまだ太陽がまぶしくて
2008・9・9
「寝間をひく」とは「布団を敷く」の意味です。この言葉が「標準語」で無いと分かったのが 21歳でした。
普通のサラリーマンだったワタクシが 突然 家出をし 春から秋にかけて転々と 流浪の旅の途中の 夏 「伊豆」の小ぢんまりとした旅館に拾われてアルバイトをしたときのことでした。そこには 東京からの大学生が一人 夏休みのアルバイトをしていましてワタクシより「旅館」では先輩で 近隣の酒場の情報などに とても詳しく1〜2度 連れってもらったりもしました。そんな小さな旅館に拾われて 早々の頃『 ほんだら… 寝間ひきましょかぁ…? 』 って 先輩に 言ったら「 「寝間」はこの部屋でしょう…? 「布団」を敷くんだから…!」 って 返されて( えゝゝっ …!?) と 思い知った経験をしました。
ついでに言うと「ほな…」 と云う 関西弁の便利な「きっかけ」の言葉 「ほな 行こか?」みたいな…この「ほな…」の「標準語形」が分からずに ご丁寧にも「ほんだら」と その時 言ったんですがそれが 又 先輩にとっては 余計に「エゲツない」大阪弁だったようで ヤな顔をされたのを思い出しました。
今どき ベッド生活が普通だからこの関西でも「寝間をひく」は「死語」になっていると思います。
「三輪崎駅」に到着朝日が低く 強く 眩しい6時前潮騒が聞こえる
松林の向こうに 熊野灘の美しく大きな弓なりの砂浜が見える。去年まで 砂利道だったのに 今 黒いアスファルトで覆われてしまい踏むと 妙な軟らかさが 足に伝わり コールタールの田舎には似合わない匂い。
例年なら 兄に連れられて来るこの漁村だが 直ぐ上の兄は高校受験長男は社会人で忙しくなり「今年で中学になったことやし…」と ワタクシ一人の訪問となった。
「まーき よ〜来たのー!」と いつもの夏の様に 叔父さんの出迎えと古漬物の臭いのする おばちゃんは 「夜行列車 疲れたやろー」と笑いながら「寝間 敷ぃーたるさかい 早よ 寝やんせ よー」と 陽に焼けた大きな頬っぺた顔で言った。従妹の「かずちゃん」とは 去年までは よく 山や海や川へと 一緒に遊んだんだけど中学生になった今では 小五の「かずちゃん」は 幼く 思えた。一番下の「いっちゃん」は5歳で 歯は虫歯だらけで 舌っ足らず眉毛までのお河童髪で 「姉より器量良し」だと 叔父さんは言っている。
母から頼まれたお土産類を 説明しながら 渡し終えおばちゃんが お盆の上に置いてくれた 三ツ矢サイダーの瓶をコップに 注いでたら「まーき兄やん 「街」で流行ってる歌 知ったーるよー!」と 得意気な顔をし青洟が出掛かっている「いっちん」が 首にしがみ付いてきた。
「♪まちくたしべて しぶれちみー♪」 と 何度も そこだけを歌うが 音程は無い…。ワタクシは適当に相槌を打ち おばちゃんが敷いてくれた布団に 潜り込んだ。お昼近くに目覚めて 近所の親戚の叔父さんたちに お土産を 配りに歩いた。「いっちゃん」が「一緒に連れていかんせよー」と ずっと付いて来ては「♪まちくたしべて しぶれちみー♪」を 歌い続けては 「まーき兄やん 知ったーるかー?」と何度も何度も聞くので 「さー 知らんなぁ…」と 言い返し続けていた。
次の日曜日 お昼お膳の上には 鯨のベーコン と ひねた茄子の漬物に生姜のおろしが乗っているの とあんまり得意ではない(海苔の佃煮) 自宅では「磯じまん」が常備品でしたがこの三輪崎の家では「アラ!」と言う なんとも 摩訶不思議な瓶詰めが お膳に鎮座し味噌のお汁の具は いつもの 若芽と青葱だけ。
テレビには『ロッテ歌のアルバム』が映っていた皆は 見るでもなく 淡々と食事が進んでいた「まーき兄やん ほら! これ わだ!」と キーキー声で「いっちゃん」が叫んだ「ほら!♪ まちくたしべて しぶれちみー♪」
この歌は あまり有名でも無く最近では そんなに聞かないけど夏に茄子の古漬けを食べた時や「アラ!」の瓶を発見した時なんかにあの東京オリンピック直前の夏「♪まちくたしべて しぶれちみー♪」を思い出して独り笑っている ワタクシです。
『ごめんねチコちゃん』 You Tube 参照
つくつく法師が うるさく鳴き叫ぶ 昼下がり郵便受けに「年賀状予約受付」のチラシが入ってた。額の汗を 拭きながら思わず ちり箱に 捨てた。考えたくもないし …鬼も きっと 笑っているよ …
老眼になり 新聞を取るのを止め 20年近くなります。「活字好き」でしたが 眼の衰えと疲労には負けました。今の情報収集はネットで済ませています。
たゞ トイレタイムの読書は「辞書」ごときや「歳時記」っぽいものを 設置?してましたが半年程前に「向田邦子」さんを読み返し始めて 夢中になり トイレに常設?しだいたいのを読み終えてしまい(次 何 しょ… ?) と (久し振りに「幸田文」さんにしよ…!)と エッセイを一冊 購入読み始めたら どーも 今の肌や気分に合わない…そーなると 不思議な事に トイレに行くのが億劫おっくうになって 足が遠のく…そこで 一代決心し 「幸田」さんを撤収! 次なる 「標的」を探してました ら
昔の愛読書の「池波正太郎」さんの「剣客商売」シリーズを と 思い付きました…が(一回 読んだし な…) と 思い直し現在は 妻の愛蔵書となっている 同じ「池正」さんのシリーズ各種の中「梅安」の「仕掛人」の「@」を 読み始めましたら… これが また! おもろい!今 訳も無く トイレに行きたくて仕方ない 今日この頃です。・只今Bです!・妻は「活中」活字中毒らしい…
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雨で視界が・・・きのうの朝と比べてみて。
2008・9・3
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ワーーーー! 夕空に尾長鳥発見。
2008・9・2
そ… 思い付くのは…盆休みの真ん中に 「お袋の初盆」が ありお袋の「供養」の為に 痛飲し お寺で一泊してしまった こと… くらい なか…?と 思いながら 妻にたずねてみた …
「ほら! カラオケ 行ったでしょ…!」 と 返ってきた。
JR芦屋駅の近くの「ジャンカラ」へ 行った な …腹 減ってたんで 「たこ焼き」「ピザ」なんかのB級を 喰ってさ…眠くなってきてしまい 《2時間○○○の○○○放題!!》の「2時間」すら座ってなくって歌も歌わんと ずー っと BGMとして 聞いてただけやん…
途中 8ozの営業用の電話 2〜3本 鳴った し …