紅葉の当たり年
今年
この辺の
紅葉が
とても
綺麗です。
妻 曰く 「例年になく 綺麗」
先日 熊本の山奥から来られた
義理の父君 曰く 「うちら辺 より 綺麗」
真っ赤です。
燃えてます。
侘び寂びのある華やかさです。
こんな経験
三度目かな
一度目は
栃木県 塩原温泉 旅館「明賀屋」
敷地内の森で
でくわしました。
真っ赤な森に
ヨチヨチ歩きの息子が
狂ったように
真っ赤な落ち葉に
埋もれていました。
二度目は
有馬温泉 「炭酸泉源公園」の林
妻が 「 ちょっと恐いくらい 」 と
言ったほどの紅葉でした。
そして
きのう
芦屋川沿い
桜並木
一人紅葉狩りをし
一番綺麗な一葉を
今
日記の頁に挿みました。
Autumn
tint
今週末までが見ごろかな・・・。
2007・11・30
頭突き!
昨夜も
また
「パッチギ!」を
観た
3日程前
名古屋から帰っていた息子を含め
3人で観たのに
きのおの夜
帰宅した 妻が
「きょう なんでか『イムジン河』が ずーっと 脳内リピートしてた…」
と
聞いて
あの
「帰れ! 帰ってください!」の
葬式から
鴨川の決闘シーン と
ラジオ局で 「イムジン河」を 歌う と
出産シーン とが
同時進行していく あのラストの盛り上がる ところ だけ
2人で 観ました
妻は 1リットルくらい 涙し
ワタクシ 1cc ほど ジンワリ と
ワタシクにとっては 同時代に生きていて
青春時代劇的 気分に 浸れる
ワタクシ
高校生でフォークギターを習い始めた
あの頃
回りの 血の気が多い級友たちは
「朝高生 どつきに 行こか!」と 言ってた
そんな時代
GSが流行った 一方の 耳では
「黒ネコのタンゴ」を 聞き
でも
心の方向性は「the Beatles」に向かってた
執行部員として
「制帽の着用義務の廃止」を学校側に要求し
許可を獲得した
あんな時代
好きな女の子と
学校がある「大国町」から
彼女の家の「新大阪」まで
歩いて 送った
そんな頃
思い出されます。
きょうも みよか? 「あほちゃう!」
???
雪やなきの葉っぱも真っ赤だなぁ〜♪
2007・11・29
肉の塊り
豚ロース 生肉の塊り 2.5kg
養豚農家の産直のん ネットで 注文した。
よっし!
腕 鳴ってる
ブルン! ブルン!
気合!
いつ 届くん … ?
生ハム できるまで 1ヶ月の熟成 必要やから
大晦日から正月には 食べ頃や
バク!バク!
a mass of
pork
イソギクが 花盛りです。
2007・11・28
そろそろ…
寒ぅなったことやし
生ハム作り はじめよか
自家製の
prosciutto ham
まさに今が見ごろです。
2007・11・27
写真の即時仕上げ
この連休に
妻の実家である 熊本県の山深い‘桃源郷’から 父君と兄君が 来阪されました。
たっての希望で 「8ozの会社見学をしたい」 と 言われ
勤労感謝の日にも かゝわらず
メンバー2名を ‘サクラ’で スタンバイを お願いし
昼前に 8ozのフロント入り した ワタクシたちで ありました。
「家族みんなの写真を撮ろお」と 父君 申され
S.H嬢に ちょっとプロっぽい ‘キャノン’を 構えてもらいました。
「直ぐ プリントしましょう…!」 と なり
葉書サイズの ツヤありのプリントが 3枚 ピュンって 仕上がり
驚く 父君を 横目に
実は ワタクシも 内心 大々ビックリ! でした…
( キレイ やん! )
思えば…
ポラの 4×5の‘タイプ55’ 口を あんぐり開けて ルーペ 押し当て ピント確認してたなあ…
ブローニー判の ピントも色目も 頼りにならん ポラ社のポラ
フジのポラ(??)の 「フォトラマ」 に感動!したこと 「えゝっ! 本番より キレイやん!」 とか
ある短い時期 35mmのポジのポラは 現像器をカリカリ手回し 出来たフィルムを宙に掲げて「こんなん 小ぃ〜ちょうて 見えへんやん!」 とか
8×10のポラで 自動現像機に ウイ〜ンって 通して まんま 「ポラ納品!」って 聞いて ビックリしたな…
とか
よみがえってきたり して
『 長生きして 良かった… 』
『 えゝ 時代に なってんなあ… 』
とか
感慨無量でした。
そして 怒涛の 父兄参観一泊二日の旅 も 終えました。
instant
film
芦屋川のさくら紅葉
2007・11・26
熱燗 で 一杯
先日 ボジョレーヌーボの解禁日に
酒屋のおっちゃんに 押し売りされた ボトル2本が
まだ 1本の半分を飲んだゞけで 残ってます。
こゝんとこ 毎晩 8ozメンバーが来て 酒盛りしてんねんけど
最初の一杯を お祝い(?)程度に チョビッと 飲むだけなんで
このまゝやと 又 料理用ワインに 成り下がるんやろなぁ…
去年の 「ヌーボ」くんも 「ビネガー」ちゃんに なってるし
まー それは そーと
きのうの晩も メンバーと飲んでゝ
ふっ と 「熱燗 欲しいなあ」 て 思いました。
我家の客間の エアコンはクラーのみで
寒ぅ〜て 寒ぅ〜て 堪らんかって
芯から温まりたいって時 やっぱり 熱燗 で す か ね ?
熱燗 ゆうても 「よーろー乃滝」みたいな 大衆居酒屋なんか やったら
「ふーふー」 せんと 熱過ぎて 「ひーひー」 ゆうような
摂氏60度はありそーなん わ かなん …
「ぬる燗」より ちょっと「上燗」くらいで お願いしたいです。
ほな
きょう さっそく しましょ かぁ?
今晩も お客さん やし
その前に 客間の暖房 せーや〜!
日向燗 /ひなたかん/ 約30度 くらい
人肌燗 /ひとはだかん/ 約35度 〃
ぬる燗 /ぬるかん/ 約40度 〃
上燗 /じょうかん/ 約45度 〃
熱燗 /あつかん/ 約50度 〃
飛びきり燗 /とびきりかん/ 約55度 〃
tepid
sake
サンティーごめん。ピント甘いわ。
2007・11・22
写真力?
最近 携帯電話をカメラ付きのに 機種変更して
カメラを 持ち歩かなくなりました。
とは 言え
銀粒子フィルムのカメラは
オリンパス 『ペンF』で 20年くらい前で 終り
次の
デジカメの元祖 カシオ『QV-10』 を
発売と同時に買ったので あれは 1995年
阪神大震災の年 歌でゆうと『ウォウ・ウォー・トゥナイト』 流行った 時分やった
そう そう!
ソニーの『Ruvi』も 好きやったなあ
あれ 1998年 やった…
あの頃
和歌山県の方で カレーに変なもん入れて 殺人ちゃうか!?とか ゆうてた
ほんで…
「だっ!ちゅ〜のっ!」たら ゆうて 若いお姉さん二人が ボインしてた 時代やった
あ!
そんな 話は 置いといて…
ケータイのカメラって パカッ!って フタ開けて 構えるって めんどい し
モニター の タラタラした動きに 腹立つし
シャッター押したら チャララララン♪ って 妙な音 鳴るから 恥ずかしいやん
せやから ほとんど 撮らんよー に なってんけど…
やっぱ…
どっか…
後ろめたい 気ぃ すんねん な…
ぎょ〜かいに おる 人間 として…
せやから
最近
『 あ〜 これ 撮りたい! 』 って 思たら
「ジー」 って 見んねん 「ジー」 って
ほんで
心に刻むねん
脳に焼き付けんねん
ハードに頼らんと
ソフトに 残すねん
「ジー」 って 見て
ちょっと 変なおっさんと 思われてるやろー けど も
「 ジー 」 って
夜のスノーウィーです。
2007・11・21
クリスマスのお飾り
きのう
庭に
二人の
ファンキーモンキーヴェ〜ヴィを
放ちました。
名付けて!
《サンティー》と《スノーウィー》です。
昨日の定点写真を参照あれ!
去年まで
子供が‘こども’だったので
大人ほどの高さがある
プラスティックのモミの木に
華やかなオーナメントを飾り付け
最後に
「♪トィンクル・トィンクル・リルルスター♪」と 唄いながら
頂上にトップスターを
セッティングしていました
けど…
彼も大学生になり
一人暮らしをしてしまったので
今年から
塩化ビニールのモミの木飾りは作戦は止めました。
大人二人が あのような チカチカと点滅する
派手やかしい 生活スタイルに気恥ずかしさを感じ
「やめよっか … 」 と なったのです。
でも
いざ
そ〜 決めたら
なんか…
ちょっと…
その…
あの…
「れー年 の もん」 止めるって
「ほんまに え〜 ん かな?」 とか…
「バチ 当たれへんかぁ…?」 みたいな…
まあ 昔なら
妻が飾り付けを し出したら
「キャッキャ」 と 騒いぎながら
手伝った 子供が
中学生の中頃から 興味もなくなったようで
「もー そんな 季節なん… 」 みたいな…
まあ どっちにしても
中国製モミの木の
後片付けは ワタクシの担当で
あの もつれた糸をほどくよな
厄介さが なくなり
いくぶん 「ホッ!」 とは して います。
その替わり
と 言っちゃ なんですが…
今年は
《サンティー》と《スノーウィー》の 大活躍!
お尻に隠された コードを引っ張り出し
AC電源に イン! で 点灯!
で
クリスマスが終われば
尻尾のコードを ズルズル 引っ張って
ゴミ袋をかぶせて 押入れ に ポイ!
で OK!
ま〜
そんなこんなですが
中々 おちゃめな 二人なので
是非 お近くに お寄りの際は
見てやって下さい ねっ 。
♪ 神宮兵衛 神宮兵衛 神宮王 座上 ♪
Sainty &
Snowy
夙川もようやく紅葉。
2007・11・20
Kくん を 書き終えて
この 30年の あいだ
メンバー って どんだけぇ〜?!
おったんやろ…?
仮に 3ヶ月に1名として
年 4人
かける 30年間 で 120名
の 計算に なる。
せやけど
Kくん みたいに 1〜3ヶ月未満しか在籍せぇへんかった数 入れたら…
4〜5倍には なりそう な…
… けど
ワタクシのイメージでは
相当な 人と 袖
触れ合おおた 感じ なんやけど な
千人 は ゼーッタイ! 下らんような…
二千人以上は いくような
気ぃ
する 。
みんな! 元気してるか?
postscript
「あっ!庭に侵入者が!」・・・犯人は・・・(画像クリック)
2007・11・19
Kくん の はなし
J
年が明けて 正月の10日の 夜
からっ風 吹く 関東出身の Uくんが 顔を出した
‘ the pro-assist
’の忘年会の 翌日 の
12月30日から 里帰りしていた Uくんだった。
「明けまして… ですよ ね? 」 と 関東アクセントで 照れながら 入ってきて
急に ちょっと 恐い顔して
「Kぇ ばっくれ ちゃいました よ!」 と 低い声で
『 ばっくれ…? 』
「これ 置手紙です」
《 苦労さん メンバーのみんな 大変 お世話になりました。
家の事情ができたので もう 大阪に帰れません
ゴメンナさい。 K 12月31日 》
「あいつ 汚れたパンツや つまんねー 雑誌とか
一杯 散らかしやがって 僕んち の 3帖間 臭くって 入れないっす よ」
『 アパート代の半分 出すって ゆうてたけど ど…? 』
「ま〜 あんまし 泊まってねー から 良いんすけどね…
苦労さん 出してくれます〜ぅ? 社長だから! ハッ ハッ ハ〜ッ 」
2月に 入って直ぐ
大きな荷物が 届いた
その頃でも 珍しい 木箱(リンゴ箱)で
中身は みかんが 詰まっていた。
みかんの一番上には 封筒入りの手紙が あった。
《 拝啓 苦労田様 大変お世話になりました。 私 現在 親の手助けで 蜜柑畑を手伝っております。
大阪での経験を生かして こちらで 一生懸命の死ぬ気で 頑張りたいと思っておりますので どうかお見守り下さいませ。
尚 こちらに お寄りの際は 是非 顔を見てやって下さい。 敬具 K 》
と 女手だと思われる 流暢な筆で書かれていた。
そんな
翌々日の朝
‘師匠’から電話がありました。
「 届いた? Kぇ から? そ〜か … やっぱり あいつ 帰ったん やな〜 それの ほーが ええねん あいつにわ なあ?」
『 そ〜 ですね … 』
「色々あったけど 苦労ちゃんも 大変やった やろな?」
『 いえ いえ ‘師匠’の方が … 』
電話を切って 窓の 空を見る
電線が 風で 小さく波打っていたが
二月の 空は キレイだった。
思えば 微笑ましい 奴 だったなあ Kぇ
元気かあ ?
終
アスファルトに秋模様。
2007・11・15
Kくん の はなし
I
忘年会場の 人混みの中
そこだけが 静止しているようだった
「そー か〜 苦労さん とこ に 行ったん か … 」
‘師匠’が 「さん」付けを している
「そらっ まーっ! 良かった 安心や!」
「あいつ〜ぅ 大丈夫かいな〜? 出来るか〜?」
「まー あと 頼むわな ほんまに …」
「迷惑かけるな … すまん」
色々と言われたけど
ワタクシは 返す言葉が ほとんど無く 目も合わせられなかった。
早々に 切り上げようと
挨拶をし 出ようとしたら
出入り口に 立っていた 女性から
「 これ お持ち帰り下さい 」 と
綺麗なリボンでラッピングされた
20cm角くらいの 箱を 手渡された
そこに
グリーティング・カードが添えられていた
『 来年も よろしくね! 』 と 大きなアーチ状の 赤い ポップ文字
そして
‘スタジオ名’が 太く
‘師匠 ’と ‘Kくん’ のフルネームが すっきりとした明朝体で 書かれてあった。
続
阪急電車の車窓から。
2007・11・16
Kくん の はなし
H
30年前の あの 頃
ワタクシたち‘ the pro-assist
’は4〜5人ほどのスタッフで
みんな それぞれ バラバラな現場にも かかわらず
仕事を終えると
いつも ワタクシのアパートに集合して 酒盛りをしてました。
※ 2005年11月7日からの‘ちろりん村の住人’に詳しく
そんな 12月 ある晩
2〜3人で 飲み始め
ほどほど に 酔い 「ア〜じゃの コ〜じゃの」と 仕事話なんか をしていたら
「ちわ〜 っす! お疲れ〜 っす!」 と
Mくん が 帰ってきた (?)
「苦労さん きょお おもろいヤツ 連れて来ましてん… おいっ 顔出しぃ!」 と
ひょこ と 顔を のぞかせたのが
Kくん でした。
他のメンバーも 何度か ‘とあるスタジオ’に 行ってたので
「おー Kぇ やん!」 「よ〜 来たな〜!」 「上がり! 上がり!」 状態 になり
Mくんが しゃべりだした 話を まとめると こう である。
前々から
Kくんは
色々な撮影現場に行ける
‘ the pro-assist ’に
興味があり
入りたいと思っていた
が
「ど〜も 苦労さん に 好かれてない よ〜な… 」 と 思うので
「Mさん 中に入って OK!を 取って下さい」
と
いうのである。
その場の 他のメンバーは
「おーっ! 来い や〜!」
「え〜 やん!」
「ねっ! 苦労さん?」
とか… とか…
で
よく見ると Kくんは 大きく重そうなスポーツバッグを 横に置いて ニコニコ と 座ってる
『 まさか… きょう から … ?! 』
「はい! 辞めてきました!」
『 お前ぇ ちゃんと ‘師匠’に ゆうてきたん かぁ ?」
「は〜」
『 おれ やんにくい な… あそこの 忘年会 呼ばれてんね ぞ〜 』
「平気 っす よ!」
お前は平気でも…
まー 確かに
12月は「追い込み月」なので
スケジュールは「キャンセル待ち」が一杯
まー 助かる ことは 助かる し
とも 思った り
まー 他のメンバーの歓迎もあり
『まー ほな しゃ〜ない な … 』
と なりました。
そんな 数日後
仕事帰りに ‘とあるスタジオ’の 忘年会に 顔を出しました。
そしたら
‘師匠’が ワタクシの顔を見つけて 飛んで来ました。
「苦労ちゃん Kぇ 知らん か … ?」
『 は … 』
「ちょっと前に おれへん よー に なったん や … 」
『 へ … 』
「アパート 見に行ったら しょうもない こキタナい物は 置いとんねんけど あらかたの物は 持って出た みたいや ねん … 」
『 ほ … 』
ついでに このアパートの契約は
‘師匠’がしていて
「解約して え〜 か ど〜 か も 分からん!」
らしい …
続
AM6:30の空はこうでした。
2007・11・15
Kくん の はなし
G
電話が 無い
電話が 鳴らない
Kくんからの 電話が かかってこない
テスト・フィルムが 昼一 13:00
には 上がり
そこで 本番を流す ってことは …
夕方の5時には 全てのポジは ‘とあるスタジオ’に届けられ て る はず
昨夜の打上げで
「ほな その足で 本番ポジ 持って伺います わ… 遅ぉなっても 8時にわ … 」 と
隣の席の‘師匠’が 大声で 社長に ゆうてた な…
今 7時半 回ってる 釣瓶が落ちきって 真っ暗け やん
まさか 今頃 Kくん ボコボコになってんのん ちゃうやろか?
あの‘師匠’はキレやすい
トラブルが発生すると
一番先にする行為が
「Kーぇ!」と呼びつけ
とりあえず
平手やゲンコツで 2〜3発 殴ることで
‘師匠’自身の
落ち着きを 取り戻すのである
もし
あの広沢池で
あの時
直ぐに
フィルム事件を告げてたら
「なんや と〜!!」って
怒り心頭し
Kくん は ケガで 本当の鼻血 出したろうし
その間に
黒幕の炎が燃え尽きてしまって
オジャン!
The End!
に
なる可能性「大」なり
と
判断を した
けど…
まさか… なにか 別の 事件・事故が 発生したんかな…?
辛抱 堪らず
マネージャーである妻に
「ちょっと 電話して」 と 言う
「はい Kさん 出ました」 と
妻から 受話器を 受け取って
『 もし もし … 』 と 言った 瞬間 に
「ヒャッホ〜 苦労さん! バッチ・グ〜!」
『 どー やったん? 』
「ファンキー モンキー ヴェ〜ヴェ〜!」
『 おい! 』
「ラッキー! クッキー! 酢グッキー!」
なめとんか … !
ワタクシ 唐突に 電話を 切りました。
そして マネージャーに
『 しばらく あそこの仕事 入れんといて 』
と 告げました。
そんな ワタクシの代わりに 《 the
pro-assist 》※の Mくん が その‘とあるスタジオ’に行っていた
その
師走 の ある晩
※the pro-assist とは 2005年12月3日 参照
続
見上げてみると こんな世界。
2007・11・14
Kくん の はなし
F
「お疲れさ〜 ん! みなさんのご協力で 無事 撮影を全て終了 致しました〜」
スポンサーの社長の挨拶が はじまった
広沢池から 車で 5〜6分程移動した所に
‘打ち上げ’の席が用意されていた。
床の間を背にして
慰労の言葉を言っている 最中に
ワタクシとKくんは 最末席 で こそこそ 話し合っている
「苦労さん ほんとに 大丈夫 す か … ?」
『 大丈夫 や 心配ない って! 』
あの
広沢池の現場で
・手許 灯りが 無く ほとんど 真っ暗な状態
・フィルムが落下した時 ストロボは飛んでなかった
・落ちたフィルムは 軽くしか ゆるんでなくて そんなに ダブダブの隙間は ナシ!
⇒ ゆえに カブり 光線びき ナシ! と 判断
それに… もし…
カブってゝも…
あの1本目は 本番用には 絶対 使わない!
絵にならん!から
こんな 長々しい論理展開を 半年ほどのキャリアの Kくんに 説明してもムダ や
とはいえ
99.9%の自信は ある もゝの…
0.1%の 漠然と モコモコとした 不安は 残る
「ゼーッタイ! 大丈夫 っす よね!」
『 心配 いらん! 』
「じゃ〜 なにか あったら… 苦労さんの名前 出しますよ 」
こいつ …… !
『 当たり前やん 出し! 出し! 』
「あゝ そっちの 若い人らも こっちに 来て 飲み〜 さぁ〜 食べ 食べ〜!」
と
大声で
社長がワタクシたちに 手招きをしている
『 おれ 行く わ … 』
ワタクシ これ以上 Kくんと話すのが ヤになり
元々 用意されていた 上座の方に向かい
回りの人から‘お酌’うけたり さしたり ‘打ち上げ’風を装おう
時が立ち 少々酔い気味の‘師匠’に
『 あした 切り現フィルムテスト 2本目ので お願いします。 1本目のフィルム マガジン・チェンジする時 ガタついた感じがしたので キモチ悪いので… 』
「あゝ えゝよ〜 Kぇ に ゆうといてや〜 2本目やな〜 わかった!」
「皆様 本当に お疲れ様でした… では 今夜は これにて お開きに… !」
店を出る
比叡おろし の ゆるい風で
ホロ酔い気分が 引き締まる
「苦労さん 苦労さん」 後ろから 走ってきた Kくん
「あした 何かあったら 電話して 良いです よね ?」
『あゝ 仕事 無いから 一日 家に 居てると思う…』 話すのも嫌だった
『なんにも なくっても 必ず 電話して〜 必ず 1本 な 』 と 言う
そして Kくんに テストフィルムの出し方を 再確認する
「OK!っすよ!」
酔いが一気に醒めた 。
続
お隣のみかんが黄色くなりました。
2007・11・13
Kくん の はなし
E
静まり返っている 広沢池
「着火しま〜 す 」
ディレクターのNさん が ちょっと 大きめの声を上げる
なにぶん 許可ナシ な もんで …
新聞紙を丸めた 先っぽの
ゆらゆら 炎が 池面に 映ってる
ザブリザブリ と ゆっくり水切る 音
黒布の端に 新聞たいまつ を 押し付けているが
なかなか 火が 移らない
腰が引けてる ぞ!
ワタシクシたち‘カメラ・クルー’は 肩を寄せ合うように スタンバっている
‘師匠’も‘Kくん’も 弾んでる息が 聞こえる
池の水を吸った 黒布に なかなか 火はつかないようだ
灯油やったんかな?
「そこ! ガソリン 撒け!」 と 耳横で ‘師匠’の ガラガラの大声
キケンやでぇ それ …
やっと 火がついた !
バシャ!
ハッセルのシャッター音
ええっ! 嘘やん! まだ 早すぎやろ!?
発電機の音が 低く 唸り
カチャカチャカチャ と バルカー の チャージ音が 戻った瞬間
バシャ!
嘘ぉん! まだ 火ぃ チョロチョロ やん!
紅蓮に燃え盛る 炎を 背景に 優雅にポージーングする ウエディング・モデル ちゃうん?
バシャ!
バシャ!
ま〜 ええ か …
バシャ!
バシャ!
バシャ!
え〜 え〜
ホンダの発電機も 快適に 唸りを上げている
『ラスト・ワンです!』
マガジンの交換を 難無く 終える
炎は 5m×5mの黒布の 1/10ほど チョロチョロ
‘師匠’ ちょっと 落ち着きを 戻したようで
燃えてる炎を 眺めている…
ワタクシも ちょっと 安堵
そこへ
足下に
何かが
動いた
『 んん?! 』
なに これ?
ヘビ?
まさか…
なに? なに? これ?!
あれっ!
まさか…
フィルム?!
嘘! ウソ! うっそ〜!
フィルムやん!
おい Kぇ!
振り向いた
ら
Kくん
目が
ワタクシに向いているが 焦点 全然 合ってない
「フィルム… フィルム…」
一瞬 力の無い目とアゴで 落ちたフィルムを しめしながら
唇が 言ってる
『拾え!』と 唇で 返す
Kくんのババッチイ〜顔が 思いっきり 近付いてきた
「 撮影済み 落ちた ですぅ! 」
『拾って テーピングして 置いとけ!』 と 唇で 叫ぶ!
バシャ!
バシャ!
バシャ!
続
今日も晴れたり曇ったり?太陽さんご機嫌いかが?
2007・11・12
Kくん の はなし
D
広沢池 17:00
昼間の ポカポカの 小春日和
日が落ちて 寒い風が吹きだし
息が白くなってきた。
Kくんは ロケバスで 横になり 安静にしている。
鼻血を流している Kくんに
「えー から 休んどけ…」
と ‘師匠’は 怒りを押さえて 小声で言ってた。
今夜 は 絶対に 失敗出来ない!
ロケバスのヘッドライトに ぼんやり 照らされながらの 作業が始まる
広沢の池の畔は なだらかに傾斜し 不安定で 小石・大石が混じってる
バルカーのジェネレーターを 置き
‘師匠’に 無理矢理 借りるように頼んだ 不整地センチュリースタンドを セット
かなりの強風にも耐えられるように サンド・ウエイトを 山盛りにする
でも 本当に 強風が吹けば
黒布の木枠が 風に煽られて
男4人でも 支えきれない だろう し
ウエディング・ドレスに 飛び火なんかも…
あゝ キケン や …
かりだされた スポンサーさんからの ‘若手’男衆さん 5〜6人が
用意していた 半ズボン や 海パン に着替え 広沢池に ジャブジャブ 「キャッ キャ」と 楽しそうに 入りだした。
バスのスライド・ドアが
バン!
と 鳴った
見ると Kくん が つっ立ってる
昼間 あんなに
‘矢沢永吉’気取りで 「暑いくらいっす よ ね〜!」 と はしゃいでたのに
背中を丸め 縮こまり こちらに向かってきた
「苦労さん なんか しますわ …」
充血し 緊張している Kくんの 目
胸に大きく‘Z’のロゴの入った ‘え〜ちゃん’の黒のTシャツ
「こゝいち ん 時は これ っす よっ!」 の
自慢のTシャツの 文字が 寒さで 両腕に 隠れていた。
『 傘トレ 頼むわ ! 』 と 言って
何んか 不安になって
『 あ〜 バスん中で フィルム 5本づつ セロテで巻いといて 』
と 言い直した。
とっぷり 日が暮れた 17:30
続
季節はずれのバラ 発見。
2007・11・10
Kくん の はなし
C
京都 大覚寺 広沢池
16時 ロケ隊 到着
撮影開始予定は 暗くなるのを待っての 18時
6枚物のカレーンダー の 最後の ワン・カット
春の終りの頃から 撮影を開始
最終の この撮影は 池の楓が 色づき始めた 今時分
撮影 許可 無し! 盗み撮り
ロケバスの中は 異様な興奮状態に なっていた
撮影の手順を 何度も何度も 繰り返す
《 暗くなる少し前 17時からの セッティング
広沢池の畔から 5〜6m離れた 水中に コンクリート・ブロックを 沈める
水面ギリギリまで。
そのブロックの 2mほど後ろに 5m×5mの 黒布を バックとし 木枠に貼って て立てる
その黒布には 灯油かガソリンが 浸み込ませてある
豪華なウエディング・ドレスを着たモデルさんは その ブロックの上に立ち ポーズ
そして 着火!
光源は ホンダの発電機から引っ張った 1200Wストロボ 傘トレ 1灯のみ
撮影 終了 予定 18:30 / スタッフ総数 13名 》
ワタクシの仕事は
ハッセルのフィルム・マガジンを チェンジするのみ
撮影カットをカウントし 11枚目で 『ラスト・ワン っす!』 と 言い
12枚目を 撮り終えると
マガジン・スライドを差し 撮影済みのマガジンを外し
新しいマガジンを取り付け そして スライドを抜く
のみ…
Kくんの仕事は
フィルム・チェンジ
のみ…
念の為 ハッセルのマガジン 5個 用意されている
「 10本 撮れたら えゝとこ やろ 」
と
全員
思っている
17時
20分くらい前
Kくん 「あ!」っと 言い
鼻血 流れ だした 。
続
JRの車窓から
2007・11・9
Kくん の はなし
B
灯りが消された スタジオ
ストロボがリズミカルに 光る
レースの裾を 大きく揺らしながら しなやかに動く モデル
フィルムを巻き上げる ハッセルブラッドの音
パ〜ン! パ〜ン! と 閃光
マキタの送風機の音は 少々 耳障りだけど
スタジオ中に響くのは 「ジェットストリーム」風の 軟らかな音楽
ハイ・ボリューム で
と 突然
モデルさん 「ぎゃ!」 と 金切り声を上げ 頭を抱えて しゃがみ込んだ
『 ん ?! 』
モデル嬢の 頭の上の 大きなトップライトが 「ガサッ!」 と 音を立て
ゆら〜り と 大きく揺れている
「苦労さ〜ん!」 と 叫び声が聞こえる
Kくん や! 又 なんか しよった!
真っ暗い バウンズ板の裏を 駆けて行くと
鼻を手で押さえて Kくんが 泣きべそ
よく見ると 掌の下から 血がタラタラ流れている
『 どー したん!? 』
「 苦労さん あの〜 身体を移動しようとしたら ブームの‘重し’に ぶつかりました… 」
『 … 』
「 ど〜 しましょ? 」
『 とりあえず 拭け! 』
と
足下に 落ちていた ウエスを 渡す
‘師匠’に 事情を告げて
蛍光灯のスイッチを 入れた
「 フ ミ マ ヒェ〜 ン 」 と
バウンズ板の裏から出てきた Kくんは 汚れたウエスを 鼻に突っ込んで 上を向いて 出てきた
さっきまでの 幻想的なシーンが 一気に 蛍光灯の世界 に
「 また かいなぁー 」 と ‘師匠’
「 はよ 送風機 消せ! 」 と 大声で
ヘア・メイクも スタイリストも それぞれのアシスタントたち も 立会いの人々らも
笑うばかりで…
ただ いつもの事情を 知らない モデル嬢 だけが
「 ダイジョ〜 ブ? all
right? 」 と 片言の日本語で 心配するばかり
「 大丈夫! 近寄らないで 血が付くから… 」 と スタイリストの姉御 言い切る
Kくん いつも こんな風な ヤツ だった な
ったく…
続
秋空に ひこうき雲。
2007・11・8
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&
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カメラをチョイと上に向けると。
2007・11・7
Kくん の はなし
A
最初に Kくんと会ったのは
‘とあるスタジオ’です。
「苦労ちゃん こんど うっとこ に 来よった K や
全然シロートやから 面倒 見たってな 頼むわぁ」
と
‘師匠’から紹介され
‘師匠’は そのまゝ 事務所の隅にあるビュアーの方に向かい
きのう撮影したポジにルーペを当てゝる
昨夜
撮影が終わって
‘師匠’から そんな話を あらかじめ 聞いていたので
心の用意をしてました し
よく「新人教育」の為に あちこちのスタジオから 呼ばれることがありました。
スタジオの備品の置き場の説明
コンセントの位置
トイレ 洗い場 ゴミ箱なんかの 位置
ゴミの出し方 なんかも ついでに…
Kくんに 一通り 説明 終える。
そこに
唐突に
「あれって なん す か〜?」 と 彼が 指差したのは
「龍電社りゅうでんしゃ」のスタンド
それは 撮影の無い時は 脚をたたんで スタジオの隅っこに 立てゝあった
『あーっ あれ』 と ワタクシ 近づいていって
結んでいた 細引きを 解きながら
『これ スタンドで 使う時は こーして』 と
ガチャガチャ と 脚を広げだしたら
「あー っ あれっ す ね! 学校に あったっす よ〜 はい! はい! 『りゅ〜』っ す ね〜」
と きたもんだ
ワタクシも 頭に きたっす!
間髪を容れず! 大声が
「K! 言葉づかい!」
‘師匠’ の ドスの利いた 声が飛んできた
ほんで
続けて ガツン! って言うのを ワクワク 期待していたら
「あー 苦労ちゃん ちょっと 納品 行ってくるわ…」
「30分くらいで戻るから 頼む わ〜」
と
言い残して 出掛けて しまった。
こんなヤツ と 二人
どー して良いのか 分からず
『コーヒーでも いれよう か?』 って Kくんに 言うと
「いゝっす ね〜」 と 小ぢんまりした 応接セットの椅子に どっかりと座る。
『ば〜か! 貴様 に 教える ってんだよぉ! てめ〜 が すんだよっ!』 と
ワタクシ 東京時代に覚えた 啖呵タンカを とうとう 炸裂!
ドッカーン!
と
「あー っ 気ぃ つかんでぇ こらえて つかぁ … !」
ビビ る Kくんの 言葉 やけど
意味が わからず ? ?
やるかた ナシ
ど
|
も
四国方面の言葉
ら
し
い
続
なんか・・・キレイ。
2007:11・6
Kくん の はなし
その@
30年近く 昔の話です。
Kくんは ‘とあるスタジオ’ にいました。
Kくんは 何をやっても エピソードを 振りまく人でした。
四国の山奥からやってきて
大阪の写真の専門学校を 途中で止め
‘とあるスタジオ’に就職 弟子入り
いつも タオルを首に巻き
‘師匠’が いなくなると
「エ〜ちゃん カッコいゝっす よ ねぇ… 」 と ほざく
この 「いゝっす よ ねぇ… 」の ところが
唇 尖がらせ
ほとんど
矢沢栄吉 に なっている。
薄汚れたタオルを エ〜ちゃん気取りで 振り回し 唄うし
トレペをマイク代わりに 握りしめ 蹴飛ばし 回転させては
「 ♪ ゴオー ル ラッシュ! ♪ 」
と 当時 流行ってた 『ゴールド・ラッシュ』 を 叫んでは
ついでに
つや消しスプレーを 口の辺りから 噴射
アルバムのジャケット写真の 「エ〜ちゃん」の 真似をしていた。
‘師匠’が いないと
ヘア・メイクの大姉御に向かってゞも 同じこと やって
「あんた! アホちゃう!」 と 一喝
でも Kくんは めげない
‘師匠’ 以外 恐いものナシ!
スポンサーの前でも!
ディレクターの前でも!
‘エ〜ちゃん’ と ‘師匠’ 以外 は
せやけど
作業中だとかの
トツトツの田舎弁丸出しの Kくんは 誰も 憎まなかった。
続
降ったり止んだり・・・女心となんとやら・・・。
2007・11・5
マヨネーズ で
三杯
TVアニメ『美味しんぼ』の再放送を 最近 見ていて
先日
「飯の友めしのとも」という題名のを見ました。
最初の放映は1990年作品
で 『おや?!』って 思うことがありました。
「東西新聞」社の女性編集部員たち までが
「飯の友 だったら 絶対…」
「…こそ!飯の友!」
「私の 飯の友は …だわ!」
なんて 言ってゝ
(おんなのクセに「飯めし」かいな…) と 違和感 一杯な気持ちに
そこに
横で 一緒に 見ていた 妻が
「昔 『ご飯の友』って あった よ ね !」 と
『ん たしか… あった なぁ 』 なんて
ぼんやり 答えたんですけど
夕方 PCで調べてみました
『ご飯の友』 検索
ありました! ありました!
『御飯の友』 「ご」は「御」が ほんまらしく
なに? なに?
「ふりかけの元祖は御飯の友だった。
御飯の友といえば熊本人にはもっともなじみの深いふりかけ。
家庭の食卓以外にも、学校給食のふりかけといえば小袋タイプの御飯の友だった。
※中略※
熊本、株式会社フタバの「御飯の友」の歴史は大正の初期、
熊本市で薬剤師をしていた吉丸末吉氏によって考案され、
その後昭和9年に二葉商事(現株式会社フタバ)が引き継いでいる。」
なんて風に 説明されてる…
妻は「熊本人」だから なじんでいるはず
せやけど ワタクシは 大阪やから 知らんのが ふつー な はずやんな…
と 考えながら はっ!と 気付きました
『美味しんぼ』で 女性部員までが 「飯の友」 と 言ったのか
普通なら「ご飯」と言わせたい ところや けど
「それを 言っちゃ〜 商品名だよ…!」
と 寅さんが 言ったとか 言わない とか…
ワタクシ キューピーのマヨネーズが 店先に出始めた頃 昭和30年代
給食のパンに 西洋チシャレタスに ご飯にも 一杯々々 かけてた
うまかったね
mayora
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蔦も赤くなってきました。
2007・11・1