自家製うどんです。手打ち、手延べ、ではありません。機械打ちであります。普通の小麦粉で作るので小麦色してます。漂白無しです。とても、うまい。月見山かけ、でも、しよかな。。
きょうのメモ帳です。『室外機からの逆風 ビュー』金曜日の夜、エアコンからビューと音がして、外の強風で室外機からの逆襲だろうと思いこんな珍事はメモ、メモ、と。『徒弟制度復活』これは、まだ、チと秘密、要再考。『ドリーズーム』ムービーの撮影技法次回のパラパラ動画でトライ。『たかの瓜 4月』これは、鷹の爪が正解で4月に種まきをする、との覚書き。ツメがウリって、、。『フォークsog ●まじない』フォークsongだろうと推察、他は全然、意味不明、思い出しません。で、上の2項は妻の字「書いといてな」と頼んだ。下の2つは酔払ったワタクシ。酔っても、正確に!
先日のメモ帳の謎が解けました。障子の目かくしでした。。「尸」は「障」の字を書きたくて、思い出さずにとりあえず「尸」と書いて翌朝、見たら、ガテンするやろと、「尸」を書きました。翌日全然、思い出さず、でした。実は、正月に息子が来るとゆうので、寝床の和室を掃除をしていて、写真中央の目隠し用の簾すだれをはずしました。が、正月を終えてやっぱり、簾があった方が落ち着くな、と思い、メモメモしたのでありました。このメモを解明した時はすでに、簾は吊り下げていました。メモの意味、無し。なんで、「スダレつるす」にせーへんかったんやろね?
大寒、ですね。きのう8ozはフロントが閉鎖でこの頁も更新が不可でした。まず、最寄りの多奈川線が不通「みさき公園駅」乗換えの南海本線も不通でありました。町内放送で小学校も「お休み」放送もありましたね。皆、雪だるまを作って雪合戦したんやろうね。ワタクシはいつもの通り引き籠りしてました。
あっちこっちから「10年に一度の大寒波」と、騒いでいますが70歳を超えたワタクシには( へー )みたいなもんです。7回も経験したんだから。10歳児だったら( ワオ! )でしょうが、。また、気象情報の「観測史上、初」とゆう言葉も「A地域のB地区では」とゆう解釈らしい。今、TVで「速報」が入り「京都府丹後、波浪警報」ってこんなん要る、「速報」で、。心臓に悪いわ。
座右の銘とは、違って座左にメモ帳が置いてあります。思いついたら書くんですがだいたい、酔払いです。で、上の写真は意味不明であります。「尸子の目かくし」意味、分かります?尺・尻・尼・尽・尾・尿局・屁・局・屈・届・屋屍・尿・屏・昼・屑・屓と、、、何を書きたかったんやろか?
又々、続きの話。今はフロントのロビーにありますこの飾り棚です。震災を乗り越えては、良いんですが、台所以外は全部、畳の間の瀟洒な日本家屋に、なんで飾り棚だったんやろ?ヘンな趣味ですね。ま、話はかわりますがきのうの『猫の手チーム』の誕生ばなしは、嘘でした。妻であり、マネージャーである作物豆さんから、即行NG!がきました。「当時の研修は1週間程で即、Cタイプになりました。」とで、今もそうですがタイプ変更は本人希望なので1年も2年もCタイプやってるスタッフと、素人に毛も生えてないCタイプが同居しているのはおかしいと、『猫の手チーム』を誕生させました。ま、「今もそうですが・・・」が今でも課題となってます。Cタイプは1年までつまり、実労300日まで、とか、に、せんとあかんな、、と。ゆうてる、意味分かりますぅ?ま説明、下手で、すんません。
きのうの続きのようなものです。震災で生き延びた家具がもう1つありました。上の写真薬箪笥です。40年ほど前に撮影の小道具として奈良の古道具屋で買いました。話はかわりますが、『猫の手チーム』誕生秘話です。震災で仕事が全滅で「どーしよ」となり誰言うとはなしに「キャンペーン打と!」となり喧々諤々 けんけんがくがくで、『大復興キャンペーン』みたいな企画を立てました。そして、ついに『猫の手チーム・誕生!』宣言もしました。当時8ozの研修期間は3ヶ月間で、20×3=60日間これを短縮しよう、となり『猫の手チーム』となったとさ。最後まで競り合った名前が『金魚の糞隊』だったとさ。チャンチャン♪
きのうあの日だったんですね。阪神・淡路大震災から28年。芦屋市在でして小洒落た庭付き一軒家に住んでいて、瓦がすべて落下し、半壊と判断され1ヶ月後、3軒隣りの借家に余儀なく引越。この食器棚だけ引越ました。それ以外、全没。家族3人は無傷でその日の内に奈良の実家へ子どもはその春、無事小1に。ただ、、、8ozの仕事は3ヶ月くらいピタッと全滅近くになりました。ただ、メンバーと毎晩ミーティングとゆう飲み会で『猫の手チーム』を誕生させました。嗚呼、懐かし。。。
まんが日本昔ばなしに『ふとんの話』があります。夜な夜な布団が喋ると、ゆう話です。原作は小泉八雲の『鳥取のふとんの話』で旅館の布団から「あにさん寒かろう」「おまえこそ寒かろう」と子ども二人の声が聞こえる、です。両親を亡くした幼い兄弟が、すべての家財を売り払い、布団だけの生活をおくってた、そんな大寒の夜にその兄弟が死んでしまいました。てな、話なんですが高校のころはじめて読んでしばらくは、夜、恐くて眠れませんでした。もう直ぐ、大寒です。(1月20~2月3日)あゝ『幽霊滝』の話もしてみたくなったな。。
1週間ほど前にロングコートを買いました。新春特売でとんでもなく安価で買えました。ただし、、、欠点が2つあります。①近所のスーパーで買ったので近場では着れません。②女物です。ほな、家で着たら、えゝねん。はい。今、着てます。
今年も商売繁盛ですね。笹飾り一杯。どーか、えべっさん、頼んます、パンパン!
爪切りです。10はあるでしょうね。家を探し回れば5は出てくるでしょう。YouTubeで外国の人らが言うてました。「日本のネイルクリッパーの切れ味が素晴らしい」って、特に「爪が飛び散らないクリッパーは超便利だ」だって。ほな、あと、2~3個、買おかな、。
高校生の頃工業高校で印刷を勉強していたのでキレイな印刷物を集めていました。そんな中資生堂の月刊誌の『花椿』はデザインが素晴らしかったので近所の化粧品屋さんに通い毎月、頂戴していました。で、話しは変わりますがテレビの『居酒屋探訪』をよく録画して見ておりますがその「大田和彦」氏が、実は資生堂に勤務していたことは知っていましたが、なんと!あの70年代のADだったんですね。60年代後半の資生堂がマイ・ベストで70年代は前衛的になり過ぎて( 好きやけど、、 )な気持ちでした。でもそのシュールさは群を抜いてましたね。。大田さんそーでしたかぁ!握手したい気分です。あの頃広告に勢いがあったなあ。お金も掛かってたんやろなあ。懐かし。。
きのう宵戎(よいえびす)のお参りに南海本線に乗っていたら隣りの駅で5~6人の黒服の若い男子が乗り込んできた。( 妙な雰囲気やな )と思ってたら、次の駅では晴着の女子が2~3人ドヤドヤ( あ、成人式。 )とで、ワタクシの成人式は( なんか、、行ったような、、 )つまり、昭和の大阪万博を一度も行ったこと無いのを周りの人に自慢していた、自分が( 行かんやろ、、 )と。今朝、なんとなく、そんなことを検索してたら、地元の中学校で開催してたら、歩いて5分ほどなのでそれなら、( 行ったかも知れん、、 )と。行って、数人の知った奴に『やあ!』とか言って、エライさんが挨拶をはじめたら会場を出たような気がしたような、、 と。だから、( なんか、行ったような、、 )と、ゆう思い出話でした。ハッピーマンデーって、ケッ!1月15日 ラブです。
去年末に1stになった野口恵津美さんのパラパラの話です。BGMは『永遠の嘘をついてくれ』で歌っているのはライブで吉田拓郎と中島みゆきの両人です。なかなかの名曲で名演です。ロケ&銀暖簾&アップ撮影は橋本祐介くん編集は作物豆さんがガムバりました。それは、そうと。。今回の1stのテストでクロームメッキ仕上げのステンレスの薬缶の撮影をしました。と、ゆーのも、全面写り込みなので高い技術が求められます。1stならではのチャレンジであります。ご覧あれー、で、ございます。ついでに、タッチすると野口さんのパラパラも見れます。
令和五年になりました。昭和のあのころ「冷コー」といえばアイスコーヒーでしたが今でも通じるんでしょうか?閑話休題今年もよろしくお願いします。