妻は最近、ことあるごとに「空がキレイ」と言います。きのうも「土手と空がキレイ」と言い「撮って、撮って、」と催促され撮りました。これは多奈川線の土手で“撮り鉄”には絶好のロケーションです。妻は電車待ちをしそうなので「撮ったよ、行くで。」と催促しました。パシャ!
2ndに昇級した井口裕介くんの記念にパラパラ動画を作成しました。撮影は坂東興輝くんがしムービーと編集は作物豆さんがやりました。BGMはブルーハーツの『夢』ですがサウンドは好きだけどライブのステージングが大嫌いです。 KIMO。でも、パラパラとしてはなかなかの完成度なので是非紹介したいと思います。ワタクシ、無参加。パラパラ動画はパラパラと写真を動画状に編集するのが骨子なんですが、最近、ムービーも入るようになりました。それが、上手に入っているので気持ちが良い。ちょっと嫉妬するくらいの出来になってます。是非、見てやってくださいませ。
あれやこれやを模様替え完了しました。よっし!
玄関の飾り付けが「秋」になってます。ワタクシ担当の掛軸やらナニヤラと力仕事や脚立が必要だのの、模様替え係りなんですが、、今からでも、するか、、。どっこいひょ。
澄んでます。対岸の明石海峡大橋までクッキリ
2022・10・26
アホな奴っちゃ。と笑ってください。小麦粉25kg、買いました。月に2~3度・いか焼き・キャベツ焼き・ネギ焼きの3種を作ります。使用量300g。・ピザ3種も作ります。〃 〃 g。だから、、1ヶ月で約1kgを消費する予定。だから、、25ヶ月つまり、、約2年で終了する予定。この袋を夫婦二人でフーフー言いながら倉庫に仕舞いました。フ~~~ 。
きのうローストチキンをしました。口まわりや両手が油まみれで、ギトギト。でも、幸せ。妻は「焼きが足りない」とカセットバーナーで追加の焼きを入れしました。絵を描くように。
最近の young の万年筆の話ですが、今、32歳の息子が高校生の頃「これで、書いて良い?」とキャップレスの万年筆(写真)を手に取ったので許可しました。真ん中を回しはじめたので『違う。』とお尻をプッシュして渡しました、ら、ペン先を裏側にして書きはじめたので『アカン。』と取り上げました。万年筆は自分のクセがあるから他人に貸したらダメだ、とゆう説を実感しました。他で例えたら歯ブラシ、とは違うな茶碗、箸、とも違ゃうしmyスマホ、かな、。あ、プロのmyカメラだ。それもアナログの時代、特に、。
最近の young が出来ないことは、・鉛筆を削れない、ナイフで。・火をつけれない、マッチorライターで。・万年筆を使えない。タバコを吸わなくなった、今はライターを持つ人も少なくなり使い方も分からない時代が来ますよね。写真のライターは据置型オイルライターです。ま、灯油を燃やす感覚で着火は火打ち石を回転ヤスリで摩擦して、火花を散らす方式です。3~4回くらい try してやっと、着火するんですが嫌になり、横の100円ライターを使うこともあります。でも、そのチャカ、チャカ、チャカ、が懐かしくって、手放せません。1回で着火したときは幸福至極でございます。lucky!そんな、けふこのころ、です。
数日前に飾られた花です。多分、線路脇からひろてきた、雑草系です。『なんの花?』って聞いたけど、忘れてしまいました。調べてみたら( 藍の花? )で、どうも、タデ科らしい。しな垂れかたが秋々しい花ですね。
つねづね疑問に思っていたことは「いただきます」と「ごちそうさま」のことです。「いた…」や「ごち…」で合掌したっけ、かな?です。昭和30年代 / 1950年代の我家では「いた…」では「お辞儀」をし「ごち…」は「合掌」したか「お辞儀」だけだったのかは定かではありません。今のように「ベッチン!」「いっただきま~す」のようにハデでもなく「ベッチン!」「ごっちそうさま~~」でもなかったです。拍手、クラップ・ハンドと、ちゃうで。もっと、おごそかでしたね。実は「いた…」「ごち…」の歴史はとても浅いのが判明。かの民俗学者の柳田國男先生が昭和17年/1942年に嘆かれていました。「最近やたらにイタダクとゆう言葉が乱用されているが、これはラジオの料理番組せいであろう」と。そこで映画で初めて「いただきます」とゆうセリフを発したのは昭和19年/1944年木下恵介監督の『陸軍』だそうです。な~んだ100年もしない最近の作法なんだ、と。たぶんこんなに普及するようになったのは、幼稚園や小学校の給食で「パッチン!」「いった…」って教えたんでしょうね。
近くのスーパーオークワ岬店に入ったら、直ぐに、クリスマスケーキが飾ってありケーキの受付の案内でありました。2階に上がるとダイソーで催し物コーナにクリスマスグッズがいっぱい並んでいました。文化の日や勤労感謝の日もあるのに、クリスマスかいな、もう。年末の話したら、鬼 笑うで。せわしないわ、、。と、思いながら写真をよく見たらハロウィンでした。10月31日。
骨付きもも肉これをローストしてバクバクしようと考えてます。と、ラベルを見たら『国産庭鶏』とあり『国産』って何県て、ちゃんと云わんと、曖昧。『庭鶏』って、なんか美味そうな字。とか、と思いながら今から、下味をつけます。九州の甘醤油をベースに・にんにく・しょうが・ローズマリー・オリーブオイルあさってバクバク。
先日の『妙な話』を妻としていてその中で“赤帽”が出てくるので話をすすめてたら「赤帽って、あの運送屋さんの?」と聞かれた。赤帽は昭和で終わった職業です。国鉄(現JR)をはじめ大きな駅構内には「赤帽さん」がいて手荷物を有料で運んでくれる人で500円くらいだったか、と。そんな大型の駅には四畳半くらいの靴磨き屋さんのスペースもありましたね。嗚呼、、昭和は遠くなりにけり、、、です。
やっと、写真付き身分証明書を手に入れました。なんちゃらカードだぞ。・運転免許所・パスポートを所有してないワタクシ。車の運転は、生前からの親の遺言で、ダメでして淡路島には行ったことありますがパスポートはいらんかったしなぁ。身分は保険証で済ませてきました。これでやっと大手を振って歩けます。あ、妻はパスポート派でした。
ワタクシ寝るときには、必ずYouTubeの朗読のchで芥川龍之介のとある作品で寝落ちします。20分弱のストーリーですが最初の3分くらいで、記憶無しです。『ある銀座の通りで、柴田君とこんな話をした・・・』・・・コトン! グー グーこの書いた文章も多分、間違ってるほど記憶にありません。夜中に目覚めて又この話からはじめるので100回は聴いているはず、です。題名は『妙な話』です。不思議な話のはずですが最後まではボンヤリで知らないです。妙な話です。
きょうからしばらく雨が降ります。秋雨前線。しっとり風情がありますね。つい3日前までラニングシャツだったのに長袖に上っ張りも着て、長パンに。しっとりしっかり秋ですね。
2ndになった新井美梨さんのパラパラ動画です。カメラマンは野口恵津美さんで編集と選曲は作物豆さんです。選曲に関してワタクシはノータッチ『涙の太陽』は好きな曲ですが、でも安西マリアさんじゃ~ないんですよ。これ、カバー曲なんです。オリジナル曲はエミー・ジャクソンさんでハーフの日本人で、英語詞で歌ってました。Take me take meTake my heart allI was born to be yours.昭和40年/1966年 ヒットワタクシ中学2年生の好少年で「♪てーみ てーみてーまーはーれんのーあーずぼー つびーよー ♪」って歌ってました、中二にもなって。で、家にはまだ電話が無くって近くのタバコ屋の赤電話で好きだった女子に掛けてましたね。マセたガキですよね。当時、10円で永遠に話せた時代でした。前年に東京オリンピック次の年にはザ・ビートルズ来日とゆう鮮やかな時代でしたね。いや、ほんと、懐かしい、、、。
猫の手から2ndに昇格した土橋将太くんの記念にとパラパラ動画を作成しました。撮影は栗山まいさんでモデルは当然、土橋くん.。編集は作物豆さんで、選曲はワタクシで「ええんちゃう、」と決めました。BGMの『ええねん』はウルフルズで平成16年/2004年 ヒットしました。18年前、ワタクシ53歳です。そう、この年にワタクシ、再婚しました。社内結婚で、作物さんです。15歳の息子との子連れ結婚です。で、結婚式ですが、、再婚やしなぁ、、と、8ozのスタッフ前結婚にしよう!と、当時のスタッフ&元8ozも招待しで、式場は、、当時のテナントのオーナーにお願いし、細野ビルヂングの1階が空き部屋だったのでワンフロアー貸切りで「OK!」出ました。50人くらいだったかな、、、はじまって1時間くらいに「酒が切れました」状態になりてんやわんやの結婚式でしたね。で、『ええねん』ですが、作物さんが、そもそもファンでウルフルズがメジャーデビューする前で十三(じゅうそ)のライブハウスに通い「友達になっちゃった」ほどだそうです。メンバーとのカラオケには必ず『ええねん』を歌ってましたね。なんとなく8ozっぽい曲ですよね。
N自動車撮影スタジオin神奈川県厚木工場3ヶ月間駅前旅館の泊まり込みのアルバイトスタジオは体育館くらいの大きさのが6~7面あったと思う。照明はタングステンの大型スポットライトばかりで10キロライトはドラム缶ほどでスタンドに付け、両手でかかげ走るのが絶対である。例えばSKラインのポスター撮りともなれば0.5~10キロライトが50台くらい使用。「苦労田!5キロ!」『ハイ!』5キロを持つ「走れ!」『ハイ!』先輩の前に用意する「結線!」『ハイ!』「走れ!」『ハイ!』「早くしろ、バカ!」と、こんな調子で進む。で、昼休みはスタジオで仕出し弁当を食べながら持ち込まれたステレオで各々好きなレコードを大音響で聴くのである。そんな、こんなで岩崎宏美『ロマンス』がスタジオによく流れていた。あの夏。
女心と秋の空 (AM9:00⇔AM6:00)
2022・10・4
大田汐音さんがセカンドになるテストの一環として、パラパラ動画を坂東興輝くんが撮影し、編集を作物豆さんが、選曲は少々ワタクシが協力しました。そのBGMは岩崎宏美さんの『ロマンス』。昭和50年/1975年のヒット。ワタクシ24歳。47年前の話。東京の原宿で新聞配達し表向きはN大芸術 写真学科生。あまり学校に行かないので学校の近くに引越しました。練馬区へ。そしてその時期この『ロマンス』が流行ってました。《 明日へ続く 》