朝食を終える。と、これだけの洗い物がでます。水切りカゴ4個分です。何人家族?二人です。毎朝。
朝、朝ドラ3本見ます。録画しておいた①マー姉ちゃん②カーネーション③カムカムエヴリバデーで、①は『サザエさん』の作者の長谷川町子さんの姉の実録のような物語。②は服装デザイナーコシノ三姉妹の母親の実録のような物語。③は完全創作の大正時代からはじまる母→娘→孫娘の100年間の物語。そして、今現在の放送中の時代設定は①戦争が終わり2年後、昭和22年②高度経済はじまる、昭和30年③バブル景気の手前、昭和58年ひと月ほど前は①②③ともに戦争の悲惨さを描いてて見るのが辛かったけれど今は日本が「元気」な時代なので見ていて安心します。朝ドラを見終え流れてくるのは「攻撃がはじまっています!」「いづれ日本にも危機が、」「日本の対応はいかに」とか、とちょっと世の中ヘンな流れです、今。
ほとんど出掛けなくなって1年余り。なにか見聞きするたびにGoogle Mapを開き、探し行った気になって、楽しんでます。そんな、きのう買物に出掛けて歩いてたら「梅が咲いてる」「桃かな」「あ、猫」「水仙、満開」なんて、妻が話すたんびに( リアルやな )と感じたけふこのころです。
雑煮が好きで年中喰っています。爺趣味って思うでしょうが若いころから、そーなんです。ま、それはそれとし、この餅はスーパーオークワのブランド餅なんですが、製造は『越後製菓』で、中身もまんま同じです。そして、安い。売場の棚では隣同士に並んでいます。そして、安い。その仕組みって、なんなん?
白菜1個238円、安い。そして、重い。丸々、漬物にしたら多過ぎかもしれない、けど日ごろ使うとしても週に10枚くらいだろうしなぁ、。ま、とりあえず、半分に切って保留にしとこか。。半分のんにしとけば良かった、かな、、。
きのうの便所にでわなく、、カレンダーに絵を添えてみました。他に5枚の写真があり悩みに々々んで、これ。これ、天地がわからず何度も回転させて、これ。透明度の高い沼で水面に写り込んでいる木々と水中の風景を撮影した。と、勝手に判断し、天地を決めました。あ、それから、きのうの「〇」が判明しました。六曜の「大安」の日です。参考にして暮らします、nice idea。
やっと、今年が来ました。とは言っても便所のカレンダーが届いた、とゆうことです、newです。頂きものなので余り言えませんが( 待ちくたびれた… )です。それにしても不思議なnew暦です。2月は2月4日の立春からはじまり終わりは3月4日の由縁が分からない。きょう2月17日だから満月で●で3月3日が新月だから●も理解できるが2月5日の〇から5日後〇から7日後の〇で、その次の〇も、何を意味してるのかが分からず、摩訶不。同サイズの写真も数枚と4倍サイズのポスター状のものも、同梱。と、まぁ今度、ゆっくり田渕さんに取説してもらをーっと、。田渕さんは元8ozで、数日前に取説してますので、参照願う。
22歳みんなが卒業する年齢で日大の芸・写真学科に入学した。入試を受けた、その足で原宿駅に降り、派出所を見つけ新聞の販売所の所在を尋ねた。原宿に住むんだ。もし、合格したら4月から働きたいと申し出ましたら販売所のオヤジさんの答えは凄くウエルカムでした。あのころの原宿は、静かで、ヨーロッパ調の街並みでクリエーターが集う街でした。♪ 原宿 ペニーレインでバーボンを ♪と、吉田拓郎が唄う『ペニーレイン』の店の前を、毎日、通ってる、幸せ。あの頃は表参道から1本道に入ると普通の民家ばかりで、「竹下通り」とゆう名称も無く、ワタクシたちは「裏参道」と言っていました。野菜を売ってたり、と人並みもまばらでした。朝夕刊の配達、集金、拡張(セールス)もワイルドにこなしてました。拡張で「写真の学生です。」と言うと「大変ね、」と契約もスムーズでしたしステキな女性には「モデルになってください。」とスムーズでした。今のテーマパークのような原宿とは違い、穏やかでしっとりした大人のまた、普通の庶民が暮す町でした。ま、ある意味、ワタクシのような奴が派手に、騒がしくした原因かもなぁとも、思っています。あの原宿で新聞配達をした経験が、今の自分の何所かに何かが残っていると考えています。
はじめて自転車に乗れたのが、21歳でした。それは住込みで新聞配達をするためです。兄に自転車の後ろを押さえてもらい、ドラマみたいに「離さんといてや!」という風景をやったのが21歳でした。生野区の販売店のオヤジさんの面接で「自転車、乗れる?」と聞かれなかったのが、幸いしました。正直に答えたら多分、不採用だろう。初日は大雨で前後に積んだ新聞紙の重量と、練習したママチャリとは違い業務用自転車の漕ぎ方といい何度も、倒しては起し、倒しては、、水分含有量の多い朝刊だったと思います。でも、3ヶ月もすればベテランになった。そうして、1年間昼間は受験勉強に励み東京へと目指しました。
ワタクシ配達していない新聞は「サンケイ」だけです。「読売」「朝日」「毎日」はワイルドに配達しました。「サンケイ」を、今でも配達したい気分はあります。で、今は「産経」ですがあの頃は「サンケイ」だった。配達後の爽快感、達成感が毎日々々でした。朝の空気を切って、仕事をこなす。200~300軒の配達で他の配達員より早くに配り終え販売所のオヤジさんから「きょうも1番だね、苦労ちゃん!」の言葉が( やり~~! )でしたね。ま、気力はあっても体力がね、、70歳だもんね、。
昔、新聞配達をしてました。大阪で1ヶ所、東京で2ヶ所「毎日」「読売」「朝日」です。で、新聞の配達し忘れのことを大阪では「不着」東京では「未着」と言ってたと思います。話が変わりますが、便所のカレンダーが未着です。2月から始まるとゆう田渕さんのカレンダーが不着なので裏表紙のまま吊るして、待ってます。だから、アーティストってさー、、マイペース、ですよね。※ 田渕さん=田渕睦深(むつみ)さん30年くらい前の元8ozさん東京圏のフォトグラファー20年くらい前からカレンダーの制作を続けている女性 ※
活けていた水仙を捨てるに捨てれなくなりとうとうドライフラワーとして生かされています。2回りほど小さくなっているので、どこに有るのかわかりません。キョロ キョロ
■一等賞該当者無し■佳作 No.11ワタクシが写真の学生だったらこれを選んでたでしょう。暗室に籠って、酢酸の匂いを嗅いでたあの頃だったら、絶対これでしょう。
節分の日に食べたイワシの残骸と夜分に鋏を持って、家を出てヒイラギの枝葉を調達。ヒイラギのトゲで鬼の目を突き刺しイワシの焼いた臭いが大嫌いな鬼を退散させます。柊鰯は門口に飾ります。「福は内、鬼は外」もしたので万全な対策の我家になってます。かかってこんかい、。
今週3度作りました。で、撮影して妻に見せたら「センス無いわ」「キタナイね、盛付け」で、おしまい。
豚骨ラーメン、と言えば、こゝでしょ。スープ4本入りです。大さじ2杯でOK!です。つまり30ccにお湯400ccでスープ完成。1本330ccなので、11杯分4本あるので44杯分ですね。賞味期限が今年の5月16日。無理、ムリ、むり。いや、、いけるかも、。続くかも、。
塩、醤油、味噌それに、豚骨のラーメンがあるのは知ってはいます。外食としては珉珉か王将で「ラーメンと餃子2人前」しか食べたことが無く我家のストックとしてはチキンラーメンのみでした。妻はサッポロ一番の塩ラーメンにキャベツが最強と言うんですがワタクシ、聞く耳持たず、チキンラーメン1本槍でありました。そんな中和歌山ラーメンの豚骨醤油味が登場しました。で、唐突ですが、マルタイの棒ラーメン賞味期限を見たら今年の8月までです。そんなん、むり、ムリ、無理、5㎏。あしたに続きますので、。
こゝ岬町に引越して10年になります。大阪最南端なので、和歌山市の方が近くて引越した当時は和歌山ラーメンを毎日、食べ歩きしてましてだいたい制覇したので妻を誘い超有名店に向かいました。「豚骨やね… 」とひと口目で言う( えっ、トンコツ!? )って( 何!? )と、まったく味音痴のワタクシでした。唐突ですが、、そんな豚骨ラーメンと言えばマルタイの棒ラーメン5㎏の話です。いつも、土曜日は朝から鍋です。鍋の〆はうどんなんですが5㎏処理のために豚骨鍋にしました。旨々っす。食後、買い物に出掛けてスーパーで豚骨ラーメン用の小袋スープを発見し、2個買いました。それが上の写真です。では、明日へ続きます。