きのうの「暮しの手帖」の表紙です。1970年の初夏号で、こんな読者からの投稿がありました。『もりそば風に』中華そばを、ときには、もりそばやそうめんのように、そば汁につけて食べると、あっさりとしておいしいものです。中華そばは、ゆでたら冷たい水でよく洗ってザルにあげて出します。暑いときは上に氷のかけらを二つ三つのせると涼しげになります。薬味も日本そばふうにさらしネギにします。1970年/昭和45年には冷やし中華が普及してないことを発見しました。大むかし関西では「冷麺」と呼んでいてで、40年ほど前に、焼肉屋で「冷麺」を頼んだら思っている「冷麺」と違うものが出て、すごく驚いた記憶があります。それ以降くらいから、中華屋さんは夏になると『冷やし中華はじめました』の旗を吊るようになり「冷麺」と「冷やし中華」が別物になった気がします。上の投稿文は、元祖つけ麺ですかね。
「暮しの手帖」昭和45年1970年の初夏号に添付されているハガキです。これ、古本とちゃいます、アンティークです。古典書です、百冊くらいありますよ。で、色々なものが挟まってます。請求書や領収書やメモ、ちょっとお宝です。今回はアンケートはがきでした。その内容は『困った番組』で、理由として・陰惨である、くらい ・悪ふざけがすぎる・一方の肩を持ちすぎる ・こどもに見せたくない・冗漫である、くだらない ・人をバカにしているetc etc で、全21項目あり、ハガキには「番組名」「放送局名」「放送日時」を書くようになってます。今のワタクシなら『地上波全般』と書くでしょうね。あ、『特に、ワイドショー』ですかね。昭和45年なら『8時だョ!全員集合』『コント55号の世界は笑う』『細うで繁盛記』『時間ですよ』『元祖どっきりカメラ』あたり、ですかね。
きのう久し振りに、真昼に扇風機で過ごしてみた。子供のころ扇風機が家に来たのは、保育園児のころ。兄弟4人が扇風機に「あ~~~~」と叫び「あ”~~~~」と聞こえるのを、楽しんだ。近所のおばちゃんと玄関口で世間話をしている母は「扇風機持って来て」と涼しさのサービスをしていた。それまでは団扇で「人間扇風機」サービスがったのが。エアコンはクーラーだった。小さな窓にはめ込んだ、家を揺るがすようなやかましいヤツだった。夏場だけの働きで、それ以外は、窓をふさいで部屋を暗くするだけのモノだった。妻はリビングのエアコンを21:30に消しあちこちの窓を開け放ち、寝に上がる。ワタクシは酒に微睡みながら23時ごろ寝落ちる。
たまに、渋谷のスクランブル交差点のLIVEをYouTubeで見てます。『日本人は超能力者』と外国人が言っているのを聞きました。「あの渋谷の交差点で人と人がぶつからないなんて、不思議な能力を持っているに違いない。」といろんな外国人が口を揃えて言ってました。細い道で、向かいから人が来たら20メートルくらい先の距離から右なり左なりの避ける歩きを決めますよね。どうもそれが外国人には無い、らしい。人口密度の差ですかね。今日の東京は台風の影響か雨傘が多い風景になっています。
連休の初日の7月22日に撮影先生をしました。先日同様にBタイプになる目黒采葉さんの思い出としてのパラパラ動画の撮影でした。BGMは『愛の挽歌』です。昭和48年にスマッシュヒットしました。歌うは『つなき&みどり』とゆう夫婦デュオでその後、離婚されましたが、三原綱木さんと田代みどりさんが歌ってます。ワタクシドモ夫婦のカラオケで歌います。一番は『ヒデとロザンナ』の『愛の奇跡』です。夫婦デュオです。そんなどうでもいい話は、置いといて、パンチがありテンポも良い曲なので一度、是非、お聞きください。それから、Bタイプとしての目黒さんも、よろしくね。
NHK朝ドラとうとう東京に舞台が変わりました。テレビ局とかでドタバタとかやっぱ、海があり、山がありたとえ、スタジオ撮影でも山辺だろう、海辺だとか、と思ってると( ほっ )としていました。東京って会話もテンポも都会的で見る心もすさんでいきます。見るの、やめよかな。
先週の火曜日撮影先生をしました。と、言いますか橋本祐介くんがBタイプになるので記念のパラパラ動画の撮影です。そして、完成、UPしました。BGMは坂本九さんがカバーした『ステキなタイミング』です。1960年、米国で『Good Timin’』としてジミー・ジョーンズ氏で大ヒットした曲を昭和35年にカバーし、日本でも大ヒットしました。坂本九さんと書きましたが名義上では「ダニー飯田とパラダイスキング」通称「パラキン」の一員で、翌年ソロになりました。小学生のころ「テカ、テカ、テカ、グーゥ」って歌ってましたね。ではゴキゲンな曲を楽しんでください。あ、Bタイプの橋本祐介くんも、よろしく。
1等賞 No.3細い縦線が並ぶ、古い波板壁に写る大木の有機的な影が不思議ですね。2等賞 No.10これも無機と有機の対比でしょうか曇天雲とハイウェイの構図が心地良いです。
深日港駅で電車を待とうとしてたら懐かしい匂いがしてきた学校の廊下の油引きのような。キョロキョロするまでもない目の前に、枕木が積んでありました。匂いといゝ、見た目といゝ遠くなった昭和気分に浸りました。
夏の到来物素麺 いただきました。
この『暮しの手帖』は昭和48年1973年の5・6月号です。この中の記事に『好きな言葉』『嫌いな言葉』のエッセーがあり、ある人が嫌いに「もう一つ」とゆう言葉を選んでいました。「もう一つ」50年ほど前はよく言いましたね、、今は死語っぽいですが。今は「今一」ですね、その前は「もう一つ」前進系「今、一つ」でしたね。で、そのエッセーでは『今流行りの「もう一つ」は断定せずに、曖昧に否定しているのがイヤラシい』と語ってます。でも「いまいち」は完全に否定言葉に変身していますね。話しは変わりますが10年ほど昔に、我家にスタッフが来てなんかの料理を出して、彼が食べた瞬間「やば!」と発したので( 不味いの?! )と肝を潰したんですが、「むっちゃ、うま!」と続けたので( なーんや↓ )となりました。「やばい」は否定的しか使わんかったのに。今の若い者ってワタクシの知らない言葉をたくさん使ってるんだろうね。
今年の朝顔です。去年の濃い紫色の朝顔はタネが1粒も無く、ゼロでした。そんなことってあるんですね。で、鉢植えのを買いました。やっぱ、夏は朝顔ですよね。
久し振りに朝ドラを連続で見ています。10年振りかも、。子役から大人になってイヤになる、地方から東京(大阪)に出てキモくなるそんなパターンの連続でしたが、今回ロングランで見ています。カメラの前で目をムいて演技をする、とかお笑い担当の芸人を出してくる、とかもなくとても、静かです。1度だけ見たら、モゴモゴ発声で聞き取りにくいんですが、土曜日の「まとめ」をみて、納得しています。しかし、やっぱり、東京に行くんですよね~~。
8ozフロントで用事を終え南海本線に乗り、大阪最南端に向かうのが、帰宅方法です。それを間違えて空港線に乗ってしまい気付かずに『関西空港駅』着でした。ついでだから、『ユニクロ』でも覗いたろ、と思い歩いてみましたら、ビックリです。廃墟です。シャッター街でした。勿論、『ユニクロ』もアウトでした。で、唐突に日本の経済が心配になりました。
七夕です。今朝、笹飾りをかかげてみました。8月14日の旧暦七月七日まで飾ります。妻は毎年の『LOVE & PEACE』也ワタクシは毎年の『大富豪』を止めました。
我家周辺の航空写真です。土石流のニュースを見ていたらこの辺りと( 似てるやん )と思い、チェックしてみました。センター◎が我家でその南(下)のハゲた部分がゴルフ場です。その右のウネウネは南海本線と国道で細い川があるのでキケンですが盛り土は無いようです。左の大きなハゲは、盛り土の正反対で関空を建設のときに土砂採取してハゲたのでだだっ広い『いきいきパークみさき』と称して多目的公園としていますが、土・日曜日もほぼ無人です。この写真の見切られた南側は和歌山県なのでもう、関係ありません、って言いますかこの下のラインが和泉山系の頂上で、ここから和歌山市に向かって下山していきます、ので無問題。土石流がどーのこーのの心配は無いようですが、実は、ここら辺は中央構造線の真上で、地震警戒地域であります。しょせん、日本はどこもかしこも自然災害要注意ってことですね。
これ、カップアイスなんですが可愛いですか…?笑顔らしいのですが食べても、食べても笑顔であります。金太郎アイスちょっと、不気味に感じます。
2年前のきょう妻は笹を買ってきました。自分の背丈ほどもある大きさです。五色の短冊に「願い」を書く前に妻の父が亡くなったと連絡があり熊本入りをし、すべての用事を済ませて帰宅したら、青々とした笹があった。そんな笹を、飾ってます。お星さまきらきら、空から見てる。
7月になりました。便所のカレンダーも更新しました。7月4日 東京都議選7月7日 七夕7月17日 深日・洲本ライナー再開7月18日 兵庫県知事選7月23日 東京オリンピック開会式まーまー忙しいかなぁ。。