上の文字 読めます?『〇〇議員、顰蹙を買う』って記事があってバラ系の花でも買ったの? と。答えはヒンシュクを買う、です。この文字が紙の印刷文字で出てきたら『「歩」「頁」「卑」』で検索したら『顰』とゆう文字が検索されますよね。そして、『「顰」で始まる言葉』や、『熟語』『解説』を探せば「顰蹙」に行き当るはずです。スマートホン系なら、文字を長押しすれば「検索」に飛びますよね。それにしても「ヒンシュクを買う」がこんな漢字だったとは、年に2~3度は使ってるはずなのに、知らなんだ。話しは変わりますが、文字を書かなくなりましたね。ワタクシはメモ帳を座右に置いておりますが漢字が思い出せないので、読み返したときに笑えます。「雷キュウ←王」と書いてて「電球」だったりと、ヘンな漢字の感じです。人が見たら貧シュクを買いますよね。
朝食の後にこの茶と白の錠剤を1粒づつ飲んでおります。お医者さんから処方されたものではなく、サプリです。白のはビタミンDで「新型」対策茶は「尿酸値ダウン」で痛風対策。水と一緒にゴクンと飲んだらググっと( 効いた! )気になり不思議です。亡くなった母は食後の40錠を飲んでいるのを見ました。20錠のカメラマンさんもいましたね。「この薬の副作用防止が「これ」」とか奇々怪々な説明を承りましたね。ま、ワタクシ、朝の2錠で、元気一杯!!サプリや、ちゅねん。
正月用に買ったミカンが残ってる。子供だった昭和の年越し用ミカンは1人10個として、父はいないが母子5人だから50個くらいは買った。歩いて1時間弱の生野本通商店街で年越し用品を色々買って、最後にヘビー級のミカンである。そしていつもワタクシが持たされていました。1日2個まで。元日には「ミカン釣り」をします。電気こたつの天板にミカンを置き糸を通した縫い針で「えい、やっ!」とミカンに向かって投げて、刺します。そして、天板の端に糸を引っ張って落とせば、自分の物になります。金持ちの家の子は正月には手が黄色くなってました。で、令和2年に買ったミカンが残ってます。ミカン釣りもしないし、珍しくもなく正月のお客様も手を出さなかったので10個程度の2個、残っています。
1月20日から「大寒」に突入したのに、最高気温が10℃以上ばっかりです。きょうなんて、15℃なんだけどね。陽射しもポカポカを通り越して、ボカボカだ。ま、そーは言っても3日後の金曜は3℃、らしいので大寒らしいです。とりあえず、2月3日の「立春」までガンバ!!だね。
■フィル・スペクター、コロナで獄中死。ネットニュースで驚いた1/16のニュースです。81歳、音楽プロデューサーで米国60年代ポップスと70年代のザ・ビートルズのプロデューサーとしても活躍した人です。驚いたもう1つは20年前に妻を射殺していて投獄中であることも、驚きました。億万長者のアートで波乱万丈な運命。実は、、、8ozのパラパラ動画でフィルの生声が聞けますよ。去年の9月の野口恵津美さんのBGMは弘田三枝子さんの『ビーマイベイビー』なんですが、曲の最後に、本場ザ・ロネッツのメイキング音源を数秒入れましたがフィルさんのゴキゲンなプロデュース法の声が聞こえてきます。最後数秒のために是非、お聴きくださいませ。
『ちちんぷいぷい』がこの3月で終了するらしい。あ、4チャンネルの夕方のTV番組の話しです。角淳一さんが司会のころは見るようにしてましたね。『夜はクネクネ』も見てましたね。近頃の大阪弁といえば「キタナイ」ですが角さんの喋る大阪弁は品があって優しいです。普段使いの大阪弁は落ち着けます。少し、見習いたいこの頃です。で、角さん、お元気ですよね?
朝のNHKの連ドラを棄権しようと思う。ここ10年近く最後まで視聴した作品はない。映画史に残る名脇役さんをあんな描き方しかできないって、アホすぎる。大河ドラマ『麒麟がくる』も1ヶ月ほどでリタイヤしたし。嗚呼、、次に期待しよう。。。
やっと、今年が来ました。便所のカレンダー令和三年度版です。田渕睦深たぶちむつみさん制作です。毎年、1月の半分くらい過ぎてから届きます。だから、田渕さんのカレンダーは翌年1月まであります。今年はピンナップ式ですが、我家の定位置は便所でタイルなので、両面テープで貼りました。ちょっと、右上がりですが「両面」バッチシなので微調整は、もームリっす。今年は右肩上がりなので、ま、いいか。田渕さんは東京で活躍しているフォトグラファーでカメラマンではありません。作家先生です。30年ほど前の元8さんです。今年も不思議な写真のカレンダー、ありがとうね。
燃料が灯油なのになんで、石油ストーブなんやろか?と、アホなことを考えながら。数年ぶりにストーブを点火しましたら暖かいですね。芯までしみる暖かさですね。手をかざせるのも良いですね。エアコン、スイッチOFF。静音でも、うるさいやん。
昭和51年1976年1月&2月号の雑誌『暮しの手帖』です。45年前の古本です。特集で『クッキングテーブルをテストする』があります。クッキングテーブル、ご存知ですか?絶滅器具種です。テーブルの真ん中にガス台が設置されていて蓋をするとフラットなただのテーブルになります。鍋や鉄板モノの食文化の関西圏では昭和40年代当時、花嫁道具としてももてはやされた家庭用品のひとつでした。『暮しの手帖』がテストするくらいだから昭和の51年になると全国的に浸透したんだと思いますが。小学生のころ姉を中心に兄弟4人で朝から卓袱台に卓上ガスコンロを置いてお好み焼きをし、そして、鉄板を替えてタコ焼きをし、またまた、鉄板を替えて、と夕方に仕事を終えた母が帰宅して「あんたら、まだ、やってんのん!?」と叱られたことがありました。で、中学生のころに、このガスキッチンテーブルが発売され「買ぉて!買ぉて!」の大合唱しましたが高根の花で無理でしたね。でさ、妻に『知ってる?』と聞きましたら「ホットプレートですれば良いのに」と返ってきて( 歴史が違う、 )と思い知りました。若造だね。と。
いつもニコニコ仲むつまじく正月の鏡餅の上に乗っている串柿の由来を知ってますか?干し柿の数10個なんですが外側に右2個左に2個、そして中に6個の配列ですが、これが2個2個中六つまじくの由来です。で、さカレーの話は?そうそう、この干し柿が「リンゴと蜂蜜」の甘味のかわりにカレーに投入したのです。そこで、笑い話をひとつ、この干し柿をフードプロセッサーに入れ鷹の爪・ニンニク・生姜・黒コショウを追加し無調化トマトジュースをドバドバしてスイッチON! しましたら。飛び散りました!血の海のように、2メーター四方、返り血も、止せばいいのに3度チャレンジして、3度とも、です。恐るべし、干し柿のハード差を知りました。そんな、こんなで、スパイシー&スイートなカレーできましたよ。
スペアリブが安かったので買いました。…… どう食べるかも考えずに。で、思案した挙句、カレーにしようと決定しました。ところが、我が家はカレー禁止令が30年以上も前に発令されています。31才の息子が「子供」だった時代は彼だけ、解禁でした。と、ゆうのも、撮影の現場に出ていた頃毎日々々、昼食にカレーが続いて辟易し帰宅すると「きょうはカレーよ!」とニコニコ顔で妻に言われて「食わん!」と断言してしまいました。現場飯って「すぐに提出され」「ちゃっちゃと食べて」現場へ戻るがモットーで、ある人から「クロちゃん、食べんのん遅いな、」と言われついでに「カレーは飲み物やで。」と追加。気持ち、吐きそうになりました。それ以来、家庭内カレーは禁止です。ついでに、「Cランチ」も禁止です。 ヘナヘナ笑スペアリブカレーは明日に続きます。
元日の朝、6時ごろ目覚めた。TVはつきっ放しで動画サイトが勝手に選んだ4Kカメラで撮らえた、新宿歌舞伎町を流していた。投稿名が「バーチャル???」とありCGなのか、静かなリアリティーが流れていた。窓を見ると絵に描いたような、雲が浮かんでいた。とても不思議な年明けの朝であった。再び、寝入る。妻の「明けましておめでとう」で目覚めいつもの冬の朝に戻った。
戎っさんといえば、今宮戎が有名ですね。生まれ育った「阿倍野区」の頃は今宮戎に参っていましたが、30代から「芦屋」に住み近場の西宮戎に20年間お参りし「帝塚山」に移ってからは徒歩圏の住吉っさんの戎っさん詣でとなりました。で、岬町に引越しても住吉っさんです。正月三日にもお参りしましたが縁日の露店がゼロでとても淋しかったです。老人の参拝が少なく、若いカップルが目立った、と妻が言ってました。十日住吉っさんはにぎわいだ露店がありましたが例年の鐘&太鼓の「大阪締め」がなくなって( やっぱりなぁ )と思ってたら白い衣を着た行者さんに「笹、あぶりましょか?」と言われて( なに? )とキョトンとしてたら「ご利益、倍増」みたいなことを言われ( ほな )となり、巨大なとんと焼きの白煙にかざして燻された、わが倍増の笹飾りやぞ。どや!
正月飾りはいつまでなのか?七日、十五日、二十日の説ががありますね。我が家は「戎っさん」で終わります。去年の「笹飾り」を納める(捨てる)ときに御納め場所(捨て場所)に正月飾りも、ついでに納めて家を日常に戻し、あらたに、笹飾りを飾ります。戎っさん側(神社)が「とんと」してくれますので、完了。であるから、して、9日(宵戎)~11日(残り戎)が松の内の終りです。上の写真は七草粥をいただいた後は祝箸を使う気がしないので清めの塩でお祓いをし、奉書に包んでお捨て(お納め)します。今年の戎っさん参りは次の日曜日の十日戎です。
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。でさ、毎晩の酒宴にヘトヘトですが懐かしくて愉快な正月の六日間でした。気分も新たにガむバリまっせ!令和三年だす。