前の土曜日1万歩を超しました。西に歩いて3kmに・産土神社・興善寺・理知院と、古色蒼然とした神社仏閣があります。map上の計算では30分ですが我等ダラダラ歩きで約1時間でした。3つの社寺は木々に覆われ標高40mの山の中で隣り合わせにあります。痛風の後遺症でbikko気味のワタクシにはムリ筋の計画でした。帰りの下り坂で、腰が痛くなり町営バスに乗ろうと思いましたが1時間に1本で、20分待ち。「田舎のバスだから、手をあげたら、止まるよ、」となり、歩き出す。ヘロヘロ歩いてたらバスが見えて、手をあげた。でも、バスは通り過ぎた。突然、妻は走り出した。意味も分からず、ワタクシも、( もーーアカン )と思ったらバスが停車していた。バス停だった。乗込むと、数人の乗客と運転手さんが暖かく、和やかに、向かえてくれた。運転席の上に『停車場以外の停車は禁止です。』と大きな張り紙があった。田舎じゃあないんだ、一応、大阪だもんな、。「運転手さんが『あっち』みたいなポーズを出していたの」と妻が言った。疲れたけど、楽しかった、古社寺巡礼。
佳作 No9「選べ!」と言われて、強いて挙げれば『これ、かな、、』が、No9ですね。一点透視絵の中に蛇行した線がセンターにあるのが、不思議ポイントかな… 。
10:07室温30℃湿度70%熱いです。サウナで呼吸困難な気分です。ただ今、我家に湿度90%の場所があります。それは、向こうの部屋の納豆製造所であるクーラーボックスの中が90%で、40℃。ポットに湯を入れチョロッとだけ蓋をゆるめます。湯気ヒョロヒョロです。高温・多湿で熱帯です。
今朝、階下で朝食の準備をしているはずの妻がバタバタと上がってきて「見て、見て、」と大騒ぎ「ほらね。」と指差したのが空だった。うっすらと、大きな虹がかかってた。朝食を終えて、TVで『まんが日本ばなし』を見ていたらスマホが鳴って、ビックリ、妻からだ。「来て、来て」と大声で、生声も響いてる。二階に上がると「ほら、」と指差したのが、低めの空だった。あの、一直線の入道雲は「異常だ」と言い今までの経験上「見たことがない雲」だと断言。( そーかなぁ? )最近、日本が揺れているので、ちょっとヤな予感がしました。きょうは三日月で、旧暦の三日。満月は7月5日で、まだ間がある。ほっ。。。
これは桐箱に入りで朱印を押した大層な風鈴です。姫路城の城下町で買い求めた、明珍の風鈴です。明珍とゆうのは平安時代から続く甲冑師の家柄で江戸時代になり姫路藩のお抱え甲冑師となり「明珍の甲冑は刀で切れず鉄砲の玉も通さず」な、名品でした。明治維新で甲冑の需要が無くなり、その昔、千利休が依頼した火箸をそれ以降の正業にし明珍火箸で有名になりました。戦後、火箸の需要も無くなり昭和40年、当時の頭首が考えたのが「明珍火箸風鈴」です。歴史を感じる(?!)いい音色です。絶品です。きょうからぶら下げることにします、はい。
これはうちの紫陽花です。10cmくらいの小振りです。町を歩けば40cmもあろうかと思える大振りで華やかなのも見かけますがうちのは楚々としています。ま、しかし、ちょっと貧相かもなぁ… 。
先週の金曜日の夜妻と酒を酌み交わしながらの雑談で『脱コロナでいいコロナ』のキャンペーンのパラパラ動画を作ろう、と盛り上りました。「わたしが8っち~を描いてそれが、立体になり…… 』と妻も好きなことを言い合って土日に実行しました。どうぞ、見たり聞いたりしてください。BGMは今は亡き川越美和さんの『涙くんさよなら』のサワリを少々と小林旭さんの名曲『自動車ショー歌』のサワリをちょこっと、です。ご用のある方もない方もお暇な折に1分少々のサワリだけでもどうか、お願い、プリーズ、です。
ただ今、10時。後ろの丸い時計も同じ時刻です。ま、どちらもデジタルですから。丸い方の時計は午後6時になると秒針が止まり、無音となります。無音といえば有音の振り子時計が懐かしくて、好きでなんどか置いていました。若く、仕事が忙しい頃寝ようとしたら、チックタックチックと、気になり止めてしまい、無音に。30年ほど昔は客室に置いていて、来客の度にネジを巻き、時刻を合わせていました。そして、今置くのをあきらめました。デジタルはとても正確です、はい。
掛軸がいまだに桜です。今週末には替えます。あと2ヶ所替えなくてはいけないです。必ず替えます、約束です。
『まんが日本昔ばなし』は1470話もあります。老後の楽しみでぼちぼちと見ています。「昔、昔、」ではじまりますが昔って( いつやねん? )と疑問に、実は、古代、つまり、縄文時代と思われる物語も何話もあります。きょうの『小太郎と母龍』も縄文時代の物語に違いないと思います。Wikiで調べてみると、よく似た物語が古事記にもあるとゆうので( ガテン! )ですね。日本って気が遠くなるほど長い歴史がある、とゆうことですね。
今朝、『美味しんぼ』を見ていて一瞬( あれれ? )な場面があった。公衆電話からテレホンカードがピピッと出てきたときでした。ワタクシ、早くから携帯電話の前身のPHSを持っていたので、テレカの全盛時代を知らなかったからです。ワタクシの記憶の中の公衆電話は、1回20数年前に、妻に連絡をしようとして、ケータイの不携帯に気付き、慌てて公衆電話を握りしめ( わぁ、番号、知らん。)と、再慌ててしまいました。どうしたかっ8ozのフリーダイアルに電話しました。転送です。妻のケータイに24時間営業です。
昭和54年/1979年『暮しの手帖』春号の商品テストでスパゲチ16種類、アメリカ産イタリア産、国産を食べ比べの特集です。この暮しの手帖は最後の最後までスパゲチと言い続けていますね。結果、イタリア産の我家の御用達だったディ・チェコをはじめイタリア産がうまいと言ってますが高価なので国産で充分だよ、と曖昧な結果ですね。まさにこのころです。「沸点の低下」の料理番組を見ました。
きょうのネットニュースで塩を入れないでパスタを茹でるとどうなるの?とゆう検証の記事があり、結論は「どっちも、どっち」でした。今、うっとこのパスタは五島うどんでその前は半田素麺を数年代用していて『DE CECCO』1.4mmの5㎏入りのヤツが確か、押入れにちょっと残っています。あのころは「塩入れるの忘れた!」と急に不味い気分がした記憶があります。さて、パスタといえば、古来「スパゲチ」と呼んでいた、戦後。「スパゲッテー」の高度成長の時代。ようやく「スパゲティ」と言い始めたそんな40年ほど昔の話でテレビのNHKだったかの料理番組で「先生、何故、塩を入れるのですか?」とアナウンサーに、男の先生が(オッホン!)とばかりに「沸点を下げるためです。」とのたまっていて( 嘘つけ!)そんな量で( 沸点 下がるか、ボケ! )と叫びたくなった記憶があります。で、さ今や「スパゲティ」すら死語になりつつ、…… ですね。
朝、ご飯を食べながらTVを見ます。まずは、録画しておいた朝ドラ、アンコール判『はね駒』次に、今の『エール』。それからアニメ『美味しんぼ』。ほんでから『まんが日本昔ばなし』因果応報、自業自得、勧善懲悪と色々勉強になります。ところで、そんな中『かくれんぼ』とゆうのがあり腰を抜けそうなくらい驚きました。むか~~~~し、山里にお爺さんとお婆さんがいました。ある日、朝から雨が降っていて暇なので「かくれんぼ」しようとなりお爺さんが隠れ、次にお婆さんが、となり終盤どうやら今日は一日、お爺さんとお婆さんはかくれんぼをして遊ぶつもりです。外はまだ雨がしとしと降っています。え、それだけ。
朝採れバジルです。そして、バジルソースをつくります。それに、松の実、パルメザンチーズ、ニンニクを投入する予定なので、あ、塩、オリーブ油もで、ジェノベーゼと、なります。
ゆで卵を「みぬき」と呼ばなくなって久しい。東京に行ってからか結婚してからか「ゆで卵」と言ってしまっている。小学校の遠足で母が嬉しそうに「お弁当、なんにする?」と言って『みぬきと魚肉ハム2本』と答えて、「そんなんで、えゝのん、?」と落胆していた母を思い出します。正式には「にぬき」で「煮抜き卵」でつまり、ハードボイルドってことですね。そういえば「関東煮」(かんとだき)も言わなくなったな。
今から半熟卵を作ります。この卵はスーパーオークワ岬店で買ったものではありません。そのオークワのテナントの魚屋さんで買い求めています。魚屋さんの卵です。ちょっと高目です。最近では納豆用と半熟用に2パック買っています。LLサイズです。
きのうの文章に『営業中のパトライト』と書いてからこの意味( 通じるのか? )と疑問に思いました。大阪市内でそんな風習あったっけ?ここに住み緑のテントのカラオケ屋さんとその隣の喫茶店もパトライトが回転していて( そうなんだ、 )と思っていますがどうですか、他所では?で、調べたところこの風習の起源は名古屋発、… らしい。ある意味、店先の暖簾。
窓から見える緑のテントはカラオケ屋さんです。とはゆうもののここ2~3年やっていないと思われます。音が聞こえません。防音設備なんて、屁のカッパな田舎のカラオケなので音が漏れまくりでした。ま、お客さんは杖をついたり車椅子の人も多いので、シャウト系皆無でワタクシも知っているような懐メロなので( ま、好きにやってて )でした夜は8時まででしたが、昼カラの方が多かったかな。きのう30分くらいウナリがありましたが身内でやっていたのか営業中のパトライトも回ってなかったな。ちょっと、淋しい気も、。
朝ドラ再放送の『はね駒』は今、明治三陸大津波の最中である。日清戦争を終えた明治29年6月15日緩やかな地震のあと、午後8時過ぎ最大40m近くの大津波に飲み込まれた。死者2万2千人、流失家屋9千戸。大津波の襲来前はイワシやマグロが大漁であった。舞台は仙台であるから地震の「揺れ」の表現がないのは、ヘン。避難所の人々の気がふれたような演出が、キモ。主人公の女優さんがリキミ過ぎてて、シンド。ま、歴史の勉強にはなるけど、。
向田邦子さんのエッセイに『喪服』だったかの文章があります。40代後半にはじめて喪服を仕立てたそうで手許に届いて、ドキドキし早く着たいと「不謹慎にも」ワクワクした。と、ゆう話しです。不幸が無ければ着れないですもんね。そんなこんなで上の写真は杖です。こちら、岬町に引越した8年前オークションで( あれっ、 )って発見したのが、この杖で、落札完了。「いつ使うのん?」と反論され『まあね、』て曖昧にしましたけど『今でしょ!』がきました、痛風です。先見の明って言うんですかね今です! ね。痛くて靴が履けないので、室内専用ですが、。ま、あしたくらいには痛みが引くと思いますが、。
足が怒ってる。と、妻が名言を吐きました。「ダンベルなんかで腕を鍛えたりなんかしてるから足が嫉妬して、怒ったんちゃう」ほんまですね…いまだに痛風中です。バランスを欠いたことしたらあかん、ちゅ~ことやね。痛風 終わったら1万歩運動しよう。