納豆製造。ただ今、発酵中です。大型クーラボックスの中にペット用電気カーペットを敷いています。40〜60℃の温度調節ができます。発酵の最適温度は45℃湿度100%近くするために保温ポットの蓋を軽く開けて、湯気を出させます。これを2日間続けます。完成したら2sの納豆ができますので小分けして冷凍庫で保存です。臭くなく香しい匂いがしております。
これは妻が担当のあるものの製造中です。それは、、ガリガリ君ではなくカリカリ梅です。カリカリ梅は梅干とは違い日干しの工程はありません。熟していない、青い小梅を漬け込みますから、完成するころに梅雨になります。.
我家の庭、猫の額のホクロほどですがレモンの花と黄色いバラが満開です。そして、紫陽花アジサイが( 咲きます! )とばかりに蕾んでおります。テーブルの上に、おこぼれです。
今のNHKの朝ドラ楽しく見てます。「アホ」「ボケ」「カス」と言いながら、楽しく見ています。時代は昭和31年ワタクシが5歳の頃の空気感が全然、全く、ありもしません。気分は日本語を喋っている、外国流ドラマ。『おしん』を鑑賞するための、前座ドラマ。
きのう3時のおやつに柑橘系つまりみかん類を食べたいと思い、買いに行きました。果物売場では温州みかんは5〜6個平箱に入れられ、貴重品扱としてえゝ値で売ってました。グレープフルーツやらオレンジやらはアメリカはカルフォルニア産なので防虫・防腐剤が散布されているとTVアニメの『美味しんぼ』で言ってた。それで、甘夏にしました。甘いと付いているのに、身震いするほど酸っぱかった。子供のころの夏みかんは母と姉は「酸っぱい、酸っぱい」と騒ぎながらも何個も食べ「あんたらも、食べや」と勧めるのですが、ぼくら男兄弟は1〜2袋で充分やった。
今朝、TVを見ていたら「キャンペーン実施中です。ご応募の電話は携帯もしくはスマホからお願いします。固定電話はつながりません。」と、アナウンスがあった。時代が変わっていくんだね。8ozは10年ちょっと前までは固定電話の無い人は不採用だったのにね。我家でも固定電話が鳴ることがありません。たまに鳴りますが「0120」の表示があればセールスの電話なので、出ません。コードレスだけど固定です。
トイレ用の読書本をチェンジです。『暮しの手帖』1962〜1964年の『early summer』の3冊です。つまり、『初夏』号ですね。ちなみに1962年には『ビルマの市場』だとか『センタク機に泡はジャマでしょうか』『インクは国産で十分です』とかの特集があります。ビルマは今はミャンマーです。万年筆を使わなくなった今、インクも無くて充分。1963年は『寝台車の上手な乗りかた』や『灰皿のかたちについて』や『わけのわからない乳酸菌飲料』と昔の移動は寝台車がフツーでしたね。天王寺から新宮和歌山も夜行列車に乗りました。今でも、訳の分からない乳酸菌飲料は氾濫してます。1964年は『電気ミシンをテストする』『だれにでも かんたんに作れる しゃれたベレー』『1口コンロをテストする』だとか今、電気ミシンって言います?昔は電気冷蔵庫って言ってましたね、確か。ま、しかし、今でもモダン感漂う読み物です。
5の付く日は、夜店。の張り紙です。深日港駅前から港までの100メートルくらいの狭い範囲です。次の土曜日25日に夕涼みがてら行きましょう。夜店といえば綿菓子、輪投げ、金魚釣り、お面屋。ワタクシの一番の思い出はピンクのヒヨコ、ですね。買って帰って親兄弟からバカにされ3日もすれば、色が抜け1週間くらいで死んでいた。あのピーちゃんの思い出が、、。
豚のロースの1sのブロック冷凍されたのが4個です。九州産の甘醤油をベースにローズマリー、ニンニク、ショウガ、etcの液に5日ほど漬け込みます。低温調理真空パックして水温58℃を目安で8時間浸す。桜チップで、スモークする。
近所の家の生け垣のベンジャミンです。桜の終わったころに咲きはじめます。きのうその家の前を通ったら咲き終わったベンジャミンの枝をバッサり伐採しておられました。えーっと、実は匂いの話をしたいのですがワタクシ、嗅覚がアカン人でして悪い臭いは分かるのですが良い匂いにはかなり鈍感でして「梅の良い匂いがするね」と言われて『梅って匂うの?』的嗅覚です。それが、今年匂うのです!ベンジャミンをはじめ、色々と、。ちょっと、うれしい。
これは座左にいつも置いてあるメモ帳です。えんじ色の物体はキャップレスの万年筆です。『コーヒーフィルター』は今朝、妻が勝手に書き込んだ彼女の忘備の買い物メモ。『バター』『カレー』はワタクシの買い物メモその上の文字は解読出来たら、きわめて恐ろしい酔っぱらったときのメモです。それは、それとしてきのう一日中ニタニタしていました。それは、『バター』と『カレー』を見ながら脳内で『馬鹿たれ』と変換していたからです。まじ、。
駅のトイレの話です。大阪の南端の漁村に住んでいるワタクシにとって市内の地下鉄、今の「大阪メトロ」の売店とホームドアと便所に関して毎度々々、改善活動に目を見張っております。それに引きかえ南海電鉄は頑張っておりました。娯楽の基地ともいえる『みさき公園』駅の便所は「便所」らしく頑張っていたのに、きのうの夜、酔っぱらって乗換える前に寄りました、ら「トイレ」になっていました。酒がちょこっと覚めました、。こうやって、昭和がどんどん消滅していき平成も去り徐々に令和になっていくんだな、と寂々たる気持ちの、けふこのごろでありんす。
あれに見えるは教会の鐘です。幼稚園が併設されています。8:30に鳴ります。話しはちょっと変わりますが夕方にはどっかのお寺の鐘も鳴ります。話しはあれですが、幼稚園といい、小学校といい中学校といい、高校といい大学までもが「アーメン」系がいっぱいあるのに何故、日本人のキリスト教信者が1%にも満たないとは、不思議な国ですね。
1969年の『暮しの手帖』のピザの紹介のページです。そうそう昔、「ピザパイ」ってゆうてたわ。「イタリア生まれのお好み焼き」って「大阪生まれのおちょけ者」みたいやね。本文でスパゲティーは「スパゲチ」になっているし。あの頃喫茶店でもピザパイはまだメニューにはなくイタリアンかナポリタンの「スパゲチ」くらいやったよ。今から考えると細うどんのケチャップ炒めやったような、、。
近年稀にみる大々に愉快な結婚式でした。新婚夫婦ともども元8です。夫婦ともどもカメラマンです。夫婦ともども東京在です。丸テーブルの9人席は全員が元8です。全員がカメラマンで内4人は東京在です。あ、内2人、我ら夫婦は現8でした。ただ、昼間からのアルコールは、疲れる。
この休み中にiphoneが新機種になりました。ケーブルTVのチューナーの不具合があり近所のスーパーで特設キャンペーンをやっていてその話をしたら「早々に…」と工事の段取りを取り決めて、「ところで、ケータイは…?」と次なる商談となり、「基本料が1/3になります。」と言われ、( えっ! )となり、成立しました。いやはや高性能になってる。せやけど、やっぱり、老人の本革好きは相変わらず。でも、クロコもどきや。
今の朝ドラもダメですね。子役から大人に変わるパターンそして田舎もんが都会に出てくるパターン飽き飽きです。昭和30年はワタクシ4才だから記憶にありますが、あんな髪型あんな服、あんな喋り方、あんな態度存在しません。もう少し我慢しますが朝飯が不味く感じてきています。そのてん『おしん』はいまだ子役が頑張っております。
大変です。電車で席を譲られました。昭和26年、つまり、キリスト教暦で1951年で今年で68才になりますが、はじめて席を譲られました。泉佐野駅で発車間際の電車に夫婦で飛び込みました。よろけるようにして目が合った瞬間「あ、どうぞ!」と言われ『結構です』の「けっ」まで言いかけたけどサッと席を立って、ドアの方で背を向けられた。「こーで…」と言いながら、座った。座ってしまって、落ち着いて周りを見渡すと、ワタクシの斜め前に見るからに老人の紳士が吊革の元に、、( なんで? )と不思議満載。乗換えの『みさき公園』で先ほどの親切な人に「どうも、」と言って会釈したんですが、ほんとうは「なんで?」と言いたかったのに。■ 写真はイメージです。■
元号、あらたまりました。おめでとうございます。本元号でも8ozをよろしくお願い申し上げます。さて、平成からの宿題のような撮影先生のパラパラ動画をupします。モデルは研修を終えた池内嶺れいくんの門出の記念撮影、ではなく、猫の手チーム入りをするアシスタントとモデルとしての「動き」をチェックするという過酷な実習撮影であります。チーフアシストと接写カメラマンは往年のアシスト、作物豆さんにお願いしました。妻でもあり、パラパラの編集担当者でもありますので安定感のある現場の流でした。BGMは『恋と涙と太陽』とゆうなんとも、昭和な若者ぶったタイトルでありましょう。昭和41年1966年にヒットした曲であります。橋幸夫さんが大いにアメリアッチしています。作曲、編曲が吉田正先生が仕上げてますのでリズム歌謡の金字塔だと、ワタクシ、思っています。是非、聞いて、見てやってください、是非。あ、そうそう、BGMに夢中になり過ぎて池内くんのこともちょっと書いておきます。現場での「動き」はスムーズでした。特に機材をつかんだときの「グリップ感」に安心を感じました。今後ともに池内くんをよろしくお願い申し上げます。池内くん、お疲れ。