一等賞残念ながら、該当者なしです。努力賞 篠岡みちるさんまず、時間がかかったで賞で、それから、何度もシャッターを切ったで賞ですね。
9月24日は岬町長選挙の日でありました。行く気充分でしたが現職一人だけの立候補だったので無投票当選となりました。・選挙通知はがき 印刷代 郵便代・ポスターの掲示板の設置費※台風が来たので一旦撤去費※台風が去ったので再度設置※終了したので再度撤去どれくらいの町費を使ったんだろう?田舎の選挙って、こんなものなのか?
30年ほど昔ハッカ油を買いました。その時は1リットルの水に数滴たらしてスプレーに入れて、シューシューして夏の暑さ対策がマイブームでした。あれから4回、引っ越しをしますが捨てずにハッカ油も宿替えしてます。今、タバコのフィルター部分に綿棒にハッカ油を浸して、塗布するとあ〜ら、不思議!メンソールの煙草に早変わりです!マイブームで〜す。…… つまらん。
はじめて彼岸花を意識したのが27才のとき山口百恵さんが♪マンジューシャカ♪と呪いの言葉のように唄っててマンジューシャカは曼珠沙華で彼岸花だと記憶したときでした。次は30才で三重県は湯の山温泉に向かう近鉄・湯の山線から見えた逆光に輝いていた、どこまでも続いていた田の畔の彼岸花。41才から芦屋の楠の森の中に移り住んで裏庭みたいな雑草の中、毎年1本だけ彼岸花が咲いていました。暗い森の木漏れ日に照らされたその花は凄味のある美しさがありちょっとこわかった。59才になり会社の近くの帝塚山に住んで彼岸花が周りに咲かず奈良の明日香村が名所だと知り、遠出駅のレンタル自転車を借り漕ぎだして10分くらいで雨になり泣く泣く、駅に舞い戻りました。でも、車窓からも、その10分間にも沢山の彼岸花は見えましたので。66才になった先週自宅から歩いて20分くらいに田畑が多くあり、彼岸花の名所だと勝手に認定していますが『あっ、そうかぁ!彼岸花って彼岸の頃に咲くから彼岸花ってゆうのんか…!』って妻に言うと「なにを今さら…」と突き放されました。まぁ、たしかに… 。
先週金曜日のパラパラ動画が完成しました。BGMは『酒とバラの日々』です。昭和37年に同名映画のテーマ曲です。この映画はジャック・レモンさんが主演でコミカルな役が多い中、この映画は恐ろしくシリアスでした。底なしのアルコール依存症の物語でした。音楽はとっても美しいのに、、。で、チーフアシストとクローズアップのカメラマンを大島椋太くんにお願いをし、サブアシストとモデルを研修を終え猫の手チーム入りした高橋梢さんが頑張りました。おひまな折にお立ち寄りくださいきっと、お気に召すと思いますので、。
きのう撮影先生をしました。受講生は研修を終え、猫の手チーム入りをすべく、アシストとモデル役をこなすとゆう実践的空前絶後のテストにチャレンジした高橋梢さんです。撮影終了後の反省会では各お客さまや先輩方からの現場アンケートも評価が高く、無問題。ワタクシの判断も「別に…」なくらい、無問題でした。撮影したものをパラパラ動画にして月曜日にYouTubeにアップする予定ですのでおひまな折に、ご覧くださいませ。さて、研修中にお世話になりましたお客さま各位尚、今後、お世話になりますお客さまも高橋梢へのご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。
風鈴はしまいました。洗顔を温水にしようか、と悩んでいた今朝なのに朝顔が5輪も咲いています。中華三昧の涼麺が2袋残っています。
ステテコ風のパンツとランニングシャツではそろそろ寒くなってきて、家中の窓を閉めてそなえているのに、朝顔が4輪咲いています。風鈴もしまお。
先週の金曜日、撮影先生をしました。受講生は猫の手チーム入りした小林愛美さんです。アシストとモデル役もこなすとゆうめちゃぶりな実践テストでもあります。1stアシストは石田郁美さんで元8ozのBタイプで、何故かウロウロしていたのでお願いしました。ついでのクローズアップのカメラマンとしても。パラパラ動画のBGMのタイトルは『17才』昭和46年1971年、南沙織さんがオリジナルですが今回使用したのは森高千里さんが平成1年1989年にカバーしたものです。で、小林愛美さんの「動き」に関しては全然無問題でしたが、撮影終了後の反省会で問題になったのは、言葉が馬鹿丁寧過ぎる、でした。たとえば「どうも、わざわざ、ありがとうございます。」とゆう言葉は日常生活では、丁寧で良い言葉使いなんですがこれを、敏速をむねとしているスタジオで使うと「もー、えぇわ!」になるので、話もスピード感があるように、と、伝えました。「丁寧」は正しいのに「荒く」と指導するのはちょっと抵抗感がありました。さて、研修時にお世話になりました、各位のお客さままた、今後お世話になりますお客さま小林愛美をよろしくご指導ご鞭撻くださいませ。
切手の貼り方? 【舐める】「う"げ〜っ!」とかゆう人がいるらしい、。「不潔!」ならまだいいんですが「ノリじゃないの?」なんて人も、。ちなみに、切手とは切符手形の略です。貼る位置は縦長なら左上で、横長では右上です。
秋は夕暮れ夕日のさして山の端いとちかうなりたるにからすのねどころへ行くとて三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあわれなり清少納言きのうの夕焼け、きれぇやった。
町長選の看板が数日前に立ちました。縁遠い人を選ぶっていくら権利があるとはいえなんか、無責任な権利だなあと、思うのであります。戸別訪問を解禁にして2〜3分でいいから直接会話してみたいなぁ。
寝起きでぼんやりしていたら「狂い咲きよ!」と声が聞こえた。8輪もある。事切れた、と思ってたのにこの鉢の最多数で、そこそこ大玉でもある。ちょっと不思議な気持ち。
ワタクシ、祭は嫌いです。熱気がダメで、人熱れもダメですが、せっかくの泉州住まいなので、だんじり祭の空気を感じに岸和田駅を降りました、きのう。来週の日曜日は9月度の本番なので町中から祭り囃子が聞こえている、はず。と思いましたので。確かに、やってました。周りの建物がビビる、大太鼓の音。で、岸和田城を見学し次に、だんじり会館に行きました、が、、、すごい!です。1階の大マルチビジョンとやらで肝を抜かれました。4階3Dだんじりビジョンではど肝を落っことしました。体感とゆうか快感です。9月&10月とだんじり祭に行かれる折には必ず、行くべし、です。あ、お金いります、600円也。
今朝の朝顔は部屋の鉢が1輪ベランダのも1輪盛りのころの張りはありません。咲かない日もありもう、そろそろかな… 。夏は終わった。と、そんな感じでありますが実は、『朝顔』の季語は『秋』です。『西瓜』も『枝豆』も、です。
日の丸を見ると説明が出来ないんですが、テンションに変調きたすワタクシであります。ちょっと話しは変わりますが、今朝、ふとお隣の役場を見たら国旗掲揚されていませんでした。対の岬町の町旗も。まさか、と思いこの地域の天気予報を見ると午後から雨になるようです。ピーカンの朝でしたが。いつも、感心しています。この担当の方は町旗・国旗を大切にしているんだな、と。思うに、総務課なのか用務員さんなのかちょっと窓際ぽくってごま塩頭の男性だろうなぁ、と勝手に想像しています。お隣から応援しております。それに引きかえ、前の帝塚山の家の向かいの中学校の国旗は哀れであった。年がら年中の掲揚で国旗「降納」とゆう行為を知らないのか!と思うほど、擦り切れた国旗だったなあ。
昭和33年1958年年1月〜6月号『アサヒカメラ』の古本6冊です。「アサカメやポンカメ読んでいる奴等はトーシロウだよね。やっぱコマフォト。」などと、言ってた東京の写真学生の時代。ちなみに『ポンカメ』は『日本カメラ』のこと。『コマフォト』は説明不要ですね。時間があるときにチビチビ読んでいますが、勉強になります。老いてますます、学んでおります。
これが往時の臨時改札口です。深日港から淡路島、そして、徳島へとフェリーが発着していました。なんと! 観光船で友が島へも行った時代があったんです。なんば駅から急行『淡路号』も停車して『なんば→洲本港』とゆう切符もあったようです。そんな改札口の向こうが『ミサキノ酒場』で騒がしかった自転車置き場です。また、いつもの風景に戻っていますが。
きのうの夜、向かいの深日港駅前の自転車置き場に一夜限りのビヤガーデンが開催されました。看板に『ミサキノ酒場』と書いてあった。こんなに若者がいるのかぁ、と思うほどヤンギッシュな酒場でした。鄙びた町と人たちだと思ってましたがワォ!って感じで、意外でした。海風がさわさわ爽やかに吹く酒場でした。が、しかし、ワタクシどもは鄙びた側の人間なので見てるだけの素通りです。
昭和の時代は各家にアイスペールがあった。嫁はんは甲斐甲斐しく水割りをつくる役をしていた。冷蔵庫の白濁した氷。学生ならサントリー『ホワイト』貧乏学生は『トリス』就職しては『角』になり役がついたら『だるまオールド』と決まったように飲んでいた。ニッカはヒネた人が飲んでいたような。洋行のお土産はジョニーウォーカー気の張る人には『黒ラベル』気の置けない人なら『赤ラベル』気を尽くすなら『オールド・パー』舶来のウヰスキーは気の晴れる席でチビチビと飲んでたなぁ。嗚呼、、懐かしのアイスペールよ。