祭りのあとの遺留捜査をしていたら上の写真のがでてきた。これを、思わず「コメット」と呼ぶ自分自身に( 不思議やな… )と思って、検索してみたら「コメット」は商品名だったようです。昭和時代のある時期。化学調味料が「味の素」でステープラーが「ホチキス」でファスナーが「チャック」だったりです。ちなみに、、祭りの夜これを「パン!」「パン!」と破裂させた記憶、 全然 ありませんが。
先週の土曜日の夕方から送別会とゆう名のお泊り会を開催しました、、我家で。翌、日曜日の午後3時まで濃密な送別会?でした。きょうの朝( なにか、痕跡が残ってないかな? )と探してたら、上のが置いてあった。飲みはじめて、すぐに酔っ払いになってたのでこんな、幼稚園のお誕生会のような折り紙リングがディスプレイされたのかどうかまったく記憶がありません。みんな、楽しんだのかな?
親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない40年ほど昔親に今の仕事を『やりたい、』と言ったら「普通の勤め人になりなさい。」と言われた。聞いときゃ、良かったのかな?そんな、ベランダ農園の茄子の花です。
きのうからツバメがリビングに巣作りのためのロケハンに飛来してます。朝昼は男子?が飛んできては、品定めし夕方は男女ペアで飛び回っています。巣作りの時期は終わっていると思っていましたが、調べてみると7月の終わりまではアリだそうです。どこかで聞いたことあるのですが、「ツバメが帰宅するまで、戸締まりでけへん。」とゆう話を、、そ、それは困るのことですから…。仕方がないので、網戸は閉めます。
額アジサイは本アジサイの原種である。額アジサイの原産地は、なんと日本である。当時の日本では『化け花』『幽霊花』と嫌われていた。かのシーボルトが本国に持ち帰り、本アジサイに品種改良され、日本に逆輸入されたのである。シーボルトは本国でアジサイを『otaksa』と紹介しているが、これは日本人妻『お滝さん』から命名している説がある。『お滝さん』との間にできた娘『イネ』は日本女性初の産科医となり『オランダおいね』と呼ばれていた。『イネ』の娘『高子』は美人として有名で松本零士が『銀河…』の『メーテル』や『宇宙…』の『スターシャ』のモデルにしたといわれている。最後に、シーボルトはオランダ人ではなく鎖国中のドイツ人で、日本を探りに来たスパイの説もある。紫陽花雑記。
■久保田 泰大くん 黒田 選ジャポニズムを感じます。構図といい、色使いといい歌川広重 (名所江戸百景)の一枚を眺めている気分になります。若いのに、実はクセもの?
桔梗が咲いてます。( おい、秋の七草のくせに! )と思いながら撮りました。
去年、夏用の椅子が欲しくてオークションを見ていたら手頃な値段で4脚出ていたので落札しました。届いて座ってみたら座位が高かった、事務用の椅子くらい。なので、スタッキングして放置していた。先日、とうとう意を決し、近所のコメリでパイプカッターを買って10センチばかり切断しました。4足×4客=16本ちょっと、汗だくになりました。上の写真は左がビフォア、右がアーフター
「アイスペール」という言葉響きが懐かしいです。昭和のあの頃、冷蔵庫が普及するにしたがい製氷皿の白濁した氷を詰めて酒の席にはアイスペールが鎮座していた。粉浜商店街の北詰にレトロショップとゆうかリサイクル店とゆうか古道具屋とゆうか、そんな店先でアイスペールを見つけました。五百円でした。その店の前のビル2階が8ozです。アイスペールのある生活。
10年ほど前まで我家はスリッパの置かない家でした。夏も冬も、お客さん用も置いてない。それが、今は毎夏、毎冬 買い替えています。今年の夏は『竹皮草履』です。
年寄りの早起きは6時です。妻は階下でコーヒーを作りに降り6:30には出来上がり、コーヒーブレイク!?。日曜日でもおなじです。東に500mのスーパーのオークワの開店時間が8時なので、TVを眺めて時間をつぶす。朝食は『海鮮丼』+『にゅうめん』と決めていて刺身の盛り合わせは土曜日に某所で仕入れ済み。オークワは朝の散歩のようなものでこれ、といって買い物もなかった。鮮魚売り場は開店早々で商品はまばら、店員さんが忙しく陳列作業をしている横にお婆ちゃんが「たこ、きょう ないん…?」とたずねると調理しているおにいちゃんが「ありますよ。」と答えるものの手一杯風。お婆ちゃんが「ほな、一周して、又くるわ」というのを横で聞いてた我々も、そーすることに。しばらくして戻ると、500円〜1000円の活けだこが積まれていた『朝獲れ』とエラそうに書いてある。つついてみると、面倒臭く動く。ワタクシが一番大きいのを指さしたが妻は中位のをかごに入れ、去ってしまった。泉だこの刺身も追加された海鮮丼はすごくすごくおいしかった。
日本酒は飲まないのに沢山の徳利があります。時々、一輪挿しになりします。
豆好きファミリーです。右は納豆用の大豆で左は珈琲豆なんですが、右は穀物で果実の種です。飲んだり、喰ったり。
「クララが立った!」と作物豆さんが叫んだ。「おちょけ過ぎとちゃいます?!」と倉橋くんがケタケタ答えた。『…………?』とワタクシ、認知症になった気持ち。倉橋竜矢くん個人の祭り、いわゆる「血祭りキャンペーン」のキャッチーなコーピーを考えていました、居酒屋の個室で、ワイワイガヤガヤ。「倉橋くんは、何って呼ばれてるの?」と作「倉っさん、ですかね…」と倉『ぼん倉やろ…!』とワタ「他は?」作 「倉っしーとか、倉らとか」倉で、最初の文章に戻ります。とても、キャッチーなコピーですのでどうか、たくさんのご利用をお待ちしております。
夏はジンです。氷を一杯に入れたグラスにジンを垂らす。多めに入れたライム果汁の炭酸水をプシューとグラス波々。ビールのようにごくごく飲みます。
家の紫陽花が やっと、変化した。一分咲きとでもいうのか一部が咲いたとゆうのか早く咲ききってくれないと、梅雨が終わってしまう。「満開」とゆう言葉があまり似合わない、紫陽花。
きのうの夕方粉浜のフロント近くの居酒屋で飲んでて、あてに「たこの刺身」をつまんだ。けして生まれて初めての経験ではないはずですが、旨かった。この辺りは泉州ブランドの『泉だこ』があり鮮魚売り場や魚屋の店先にビニール袋に入った活けだこが売られている、指で突っつけば動くヤツです。ワタクシは「いか」はさばけます。キッチンバサミで肝からなにから大変上手いです。「いかの塩辛」作りや「いか焼き」に月に1〜2度、4〜5杯解体します。で、今朝YouTubeで「たこ」のさばき方を眺めてたら、8本足がヌメヌメ動いてる姿に、なんか気分が悪くなってきた。「いか」とは違う悪魔的な生き物に見えた。でも、たこ刺しは喰いたい!
屋上のプランター農園?が豊作です。バジルは余ったぶんはペーストに、大葉青シソは乾燥させて粉末に、ミニトマトもドライトマトにして、きゅうり・なずびは糠床へドボン漬け。この夏は豊かになりそうだ。
納豆生活。数年前、自家製納豆の成功率は60%程度で、たびたびアンモニア臭の煮大豆が食卓に並ぶことがあった。つまり、ネバってない「大豆の炊いたん」。50℃程度の温水をペットボトルに入れてクーラーボックスに入れて温度管理していたのですが、納豆菌の快適温度の30℃〜45℃をキープできなかったのか酸素が少なく窒息したのか、ダメ率が高かった。このたび、温度管理がバッチリなIH器を購入したので完璧な納豆が出来ました!納豆は冷凍できますので上の写真は冷凍納豆です。見た目アレですが…
「葉っぱの緑色っていってもいろんな緑色があるのね」と妻が言った。和歌山と大阪の県境の孝子峠に向かう南海線の電車の中、新緑のころ。画家の先生が( いかにも )言いそうな話ですが、妻の口から出てきたので( へー )って思い、気になっていた。きのうの夜「みさき公園駅」で多奈川線に乗り換るときに10分ほどの時間があったので、ホームを離れ夜風にあたりながら煙草をし駅舎を眺めたら蛍光灯でまぶしいくらい明るい駅舎の裏に「こわい緑色」とゆうか「おどろしい緑色」があった。
前回の撮影先生で倉橋くんの撮影・編集ともに中々やったので、あえてワタクシ苦労田編集を止めようかと、考えていたんですがやっぱ、タイムラプスはどうしても入れたかったので( さて、、 )と悩んでおりました。そんなきのうのワタクシは午後の午睡のまどろみ中に妻の作物豆がカチャカチャとPCを操り撮影先生の「粗編」をやってしまい仕方がないので、完成させました。苦労田幸男と作物豆との合作ってことで、苦労豆の編集となります。中々の一寸上の中々々くらいだと思っております、ご覧くださいませ。黒豆とちゃいます!