ホームレスの黒猫の「シロ」があまりにニャーニャー鳴くので家に入れてやった。家で一番涼しいところを見つけてくつろいでいます。
きのうの夜石田郁美さんのギャラUP時給UPテストの祝賀と反省の酒盛り会に参加した。石田さんの時給は無事にUPになりました。が、それはそれとして石田さんがモデルをした撮影先生の役を倉橋竜矢くんに依頼したのですがこれが、最初にしては( へー! )な出来栄えでしたので、紹介します。今回の曲は三択にしました。@『涙の太陽』1965年 エミー・ジャクソンA『シェリー』1962年 フォー・シーズンズB『バケーション』1962年 コニー・フランシスで、倉橋くんが選んだのが『シェリー』でした。日本でのカバーは1963年ダニー飯田とパラダイスキングで九重佑三子さんがボーカルだったので、ずっとオリジナルのボーカルも女性だと思ってましたが、今回の選曲で調べたら4人の男性ボーカルグループだと判明してビックリしています。……つづく
ここ数年中止していた納豆作りを再開しようと、思う。作り方はとても簡単なんですが温度管理が大変で、失敗するとただのアンモニア臭い茹でた大豆になり、食べられますが、苛立ちます。で、今回 30℃〜200℃までの範囲を1℃づつ調節可能なIHヒーターを購入したので、バッチ・グーだと思う再度の挑戦を決意す!低温調理もできるぞ!!
「浴室に蜘蛛クモが死んでいるから」『凍らすスプレーで、やったん?!』「んーん、バスマジックリンで、、」とゆう訳で浴室にヤツがおる。ワタクシは蜘蛛が嫌いで、手足が6本以上の虫どもはダメで、百足ムカデはその極みです。ゴキブリは6本なので、全然平気です!きょうは風呂に入らんぞ!!レンズもよう向けん、ヘナチョコなワタクシです。
ウン十年振りにカミキリムシを見た、我家のレモンの木の葉に。我家のレモンは実がならず、2年を経た。でも( 今年こそ、大丈夫! )らしい。去年まではアゲハ蝶が卵を産みつけその幼虫が葉を食い散らし、結実せず、今年はピンセットでpick up作戦で( 大丈夫! )らしい、、でも、このカミキリムシも柑橘樹木の天敵で要注意!だとか、、。
40年ほどの昔の話です。東京で写真学生をしていた頃男三人で1軒をシェアしていてあるとき、野良猫が居ついたので飼うことにしました。名付けるのにワタクシが提案「マイフェアレディのように小汚い娘が貴婦人に変身するようにフェアレディにしよう。」と、本当はオードリーが演じた『イライザ』にすれば良かったんですが、、男三人はそんな小洒落た知識を持たずわが「広辞苑」様にも載ってないので『フェアレディ』となり、通称『フェア』でした。当時、その役名を調べようとしたら図書館へGO!となります。今は便利になりましたね、つくづく。
1ヶ月ほど前から隣の駐車場に自転車が置いてある。子供用だと思う。『置いて』いるのか『放置』されているのかよく分からないが、毎日ある。倒れているときもあるが、次に見たときはちゃんと立ててある。最初に見たときより、錆がふえたように思う。無地の灰色によく映える。
気持ちいーーーー!(住吉公園センダンの木)
2015・5・21
ソーダサイフォンの季節がやってきました!ま、炭酸割りアルコールは毎晩 飲んではいるんですが、肌寒頃なら早々にお湯割りにチェンジします。ここ数日前から1リッターを使い切り 爽やかな飲料生活です。
けさの黒猫の「シロ」は隣の役場の室外機の上です。
軒先を貸しているホームレスの黒猫の「シロ」が閉め忘れた扉から、侵入した。探し回ってたら、ほら… 。
40年ほど昔の話です。細うどんみたいのをサラダ油で炒めきざみ大葉をのせて「ペペロン」と称して食べていた。素麺をニガウリと炒めたものを「チャンプルー」と言ってニューカマーな家飯が導入されました。たしか、ペペロンにも紅生姜を散らしていたような…気がします。四月の末にまいたバジルの種は「もういいよ、」と言ってます。
軒先を貸しているホームレスの猫が交通量の多い道路を渡り多奈川線の線路も渡りどこかへ行くのを眺めていたら、『はじめてのおつかい』を見ているように、胸が熱くなりました。ホームレスの黒猫の名は「シロ」です。
このゴールデンウィークに和歌山は海南の紀州漆器の町に出掛けた。我家のイベント飯のメニューに海鮮丼があるんですがその椀を塗りの丼にしたくて。会津塗、輪島塗、そして紀州の黒江塗が三大産地なのはご存知でした。漆の町と銘打っているのに、ほとんどの店が日曜日は閉店とはこれ如何に?ちょっと残念な観光の町でした。
「なんで、パラパラなんですか?」きのう、8ozロビーで雑談ってゆうか飲んでいるときにメンバーからの質問があった。最近この手の質問が多く「販売促進」だの「リクルートの一環」とかグダグダの答えをしているんですが「本当は、、。」とマネージャーである妻の作物豆さんが話しだした。「5年ほど前に、メンバーから『モデルorファッション撮影って、ほとんどありません。経験したいです!』と言われ、『ほな、』と苦労田さんがはじめた。その頃は、苦労田さんのページで1カット程度Upしてたんだけど『もったいない』から、と10カットくらいの掲載になり『もっと!』と、なり 無音でYouTubeに20〜30秒Upしたんだけど、『見てて、飽きるなぁ』となり音を入れだしたのよ』……と、レクチャーされてしまいました。そうなんです、、それが今では『音』が優先になってしまって。今回の『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』も最近、ラジオから流れてきて、衝撃を受けました。かっけー!1973年昭和48年にスマッシュヒット。21歳のワタクシはコミックソングとして無視、唄っている語っている左とん平さんもコメディアンだし、と。でも、あらためて聴いてみて渋すぎるサウンドにショック。42年前の昭和のサウンドです、凄げ!
先週の木曜日の夜、Bタイプテストを受けた倉橋くんのお見事!の合格祝いと反省会をしました。で、Atypeの中野・撮影先生の出来たてのパラパラ動画を見ました。テーマ曲はワタクシがお願いした『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』です。中野くんは気合が入っていて「700カット、撮りました!」と言ってましたがパラパラの仕上がりに関しては「んんん、、、」と、悩ましい反応でした。そんな、こんなで、超ハードボイルドな苦労田バージョンを作ってみました、ので ご覧あれ!
ワタクシ この曲のパーカッションが好きです。思わず、鍋や茶碗を叩きたくなります。それに、ベースラインが男前です。ウキウキします。流行っている当時、20歳くらいのワタクシにはゲテモノの存在でしたが撮影先生のために いろんな曲をたくさん聞いた中で( お!)と再発見しました。かっこいい!です。作詞 阿久悠 あくゆう作曲 都倉俊一 とくらしゅんいちこのあくとくコンビが後年のフィンガー5やピンクレディーの作詞作曲も手がけていますが、それにしても 凄かった時代です、ね。
先週の火曜日に溝口さんのCタイプ昇格のテストがあり反省会に参加しました。今回のパラパラ動画の撮影先生はB-typeの岡本さんに初ティーテャーを依頼。テーマ曲は『どうにもとまらない』山本リンダさん1972年 昭和47年 でお願いしました。ワタクシのこの曲の思い出はサラリーマンになって2年目、少々会社勤めに飽きてきた6月、夏に向けての登場でした。TV画面から、腰クネクネのケバいお姐さんがドスを利かせた声で唄いだしたから、堪らない。その5年ほど前に『こまっちゃうナ』でブリブリのぶりっ子で事あるごとに「リンダ、、困っちゃう!」と笑顔を振りまいていた、あの山本リンダである。当時の流行歌『この広い野原いっぱい』といい『瀬戸の花嫁』といい『ひとりじゃないの』といいお行儀よくマイクの前に立っている歌番組の中で、衝撃の登場でした。明日へ続く…撮影先生の岡本さんの作品とは別に、ワタクシ的編集をしてみました。別バージョンといいますか、セカンド・オピニオンとでもいいますか、2分47秒フルをトライしてみました。どうか 聴いて&観てやってください。
汗ばむ陽気の昼下がり海沿いの町の裏々を歩いてみた。長閑で、ノスタルジー溢れる家並みの中で思いついたことそれは、NHKのラジオの『ひるのいこい』のテーマー曲を( 聴いてみたいな )としばらく脳内で音を流してみた。そこで考えたこと、iPhoneのYouTubeで( 聴こお!)と、で、音声検索で『ひるのいこい』で、出てきました。実音で聴いてみたがすぐに消しました。頭の中の方が心地の良い音だったから…。