子供の頃は「ごんばこ」と言ってた記憶があります。昭和のある時期『護美箱』と表記するのが流行った時期がありました。『来夢来人』や『支那虎』みたいですね。ブルーの蓋付きからはじまりペダル式のを買ったりクロームメッキのお洒落なのもそして、大きな3分別式のを置いたことがあります。ここ5〜6年は、これです。フレームだけで市販のゴミ袋45Lをピンチ留めするだけ。存在感が無く、良いです。ちょっと、撮影現場みたいですか、ね?
きのうの文章で、少し間違いに気づきました。ここ岬町のトイレ事情です。総人口が17,504人に対し非水洗人口が5,761人で町の1/3が汲み取り式便所でした。確かに、町中にバキュームが走り回っています。でも、今どき、排水用に土管は使ってないと思います。塩ビ?
南海・多奈川線その高架橋に土管があった。置いてある、とゆうより放置、もしくは廃棄されているのだろう。多奈川線は昭和19年1944年開業。土管は昭和40年代の高度成長期にトイレのくみ取り式から水洗に変わる排水管として、あちこちの広場・空き地に置かれていた。子供の頃にこの上や中で遊んだもんだ。このガード下の風景は、きっとその頃のままなんだろう、昭和40年代で止まっている風景。
この鞄は冬用です。冬は防寒用のヘッドホンと手袋を収納しますので「大」にもなります。
自家製鞄です。正確には妻製の鞄。戦後っ子は、基本 本革好きですが、年齢と共に「重い」のであり、布製に部分的に本革使用です、が今回は、全布で仕上げました。戎橋商店街の「とらや」で布を選び、妻にコンセプトを伝えた、完全オーダ・メイド。お出掛けが、楽しくなりますぞ!
■一等賞 中野博志くん実は、僕が写真学生の頃から撮りたかったテーマです。流れる人混みの中に、佇み静止した対象物。この撮影のバックヤードを考えると、けっこ〜手間です。モデルさんも意思疎通が出来ないので、けっこ〜不安になります。グッド・トライ!! です。■二等賞 西田優太くんアトリエでの作業風景の ふつーのロケのようですが実は、ライティングをされていて、それでいて自然です。構図は大胆ですが、安定しています。
先日のいか焼きの残りのスルメイカで塩辛を製作中です。と言いますか、、5杯匹の大振りのイカの内、1本匹の下足だけをいか焼きに使用しました。食べ頃はあさって明後日くらいでほどよくエッジが溶けたくらいまで馴染ませます。冷凍保存しますが塩分が少し強いのでカチカチになりません。
道端の落し物は冬なら手袋、マフラー夏なら帽子、ハンカチ心ある人は壁とか垣根とかに引っ掛けて置きますが、きのう電信柱の横っちょで上の写真のを見つけました。これは引っ掛けられないな…落し物というより捨て物なのかなぁ、自転車でこけた?もしくは、喧嘩?
きのうの夜酒の肴の関東炊きおでんの鍋を前に( 食べる気がせんなぁ )でふと、思い出した。( 夕方 飯 喰った )と、粉浜の8ozを出て( 何か 喰おかぁ )と思い住吉大社のガード下のうどん屋のウインドーを眺めていたらガラの悪いオバハンの二人連れが大声出して、暖簾をくぐるのを見て( ここ、やめよ! )と、逃れるように、隣の中華屋に入ったのだと、思い出した!入りたくて入った訳でもないのでメニュー選びも雑になり、目についた『担々麺』とワンパターンの『餃子』を頼んだ、記憶、よみがえった。汗を、拭いた、記憶。金を、払った、記憶。ポケットに10円玉が1つ入ってたのでお代が990円だったんだぁ、、の証拠。それにしても、脳が記憶を抹殺するのって凄い!!
日曜日に「いか焼き大会」をして笑いが止まらないほどおいしかった。半月前の「大会」は哀しくなるほど( ? )だった。何が違っているのか?調理って、不思議です。レシピはほぼ一定のはずだけど、なぁ?※いか焼き大会※「大会」とは言うが夫婦だけで調理、食事のこといか焼き、キャベツ焼き、ニラ・ネギ焼きの三種類を調理することを「大会」と称している。
あしたで20年目か…すべての瓦が庭に落ち「半壊」認定を受けたなぁ。すぐ近くの借家に引越をしたがあまり気に入った造りでなかったな。後遺症は三半規管で時々、目まいの気が入るし耳鳴りもあの頃から、かも…最近、片足立ちで三半くんは鍛えられたように思うが。それにしても20年か… 。
きょうはワタクシの時代の成人の日であります。1972年昭和47年成人式は、断然不参加しました。・日中国交正常化・沖縄返還・浅間山荘事件・グアム島で元日本兵(横井庄一さん)救出・千日デパート火災・札幌冬季オリンピック・川端康成自殺へー、すごい事件が一杯ですが、海外では・テルアビブ空港で自動小銃乱射・ミュンヘンオリンピック、パレスチナゲリラ五輪村襲撃これも、すごいが、時代を理解するには歌は世に連れの流行歌ですね。・女のみち / 宮史郎とぴんからトリオ・この広い野原いっぱい / 森山良子・結婚しようよ・旅の宿 / 吉田拓郎・瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子・ひとりじゃないの・虹をわたって / 天地真理・芽生え / 麻丘めぐみ・どうにもとまらない / 山本リンダ・せんせい / 森昌子・男の子女の子 / 郷ひろみ・喝采 / ちあきなおみ・そして神戸 / 内山田洋とクールファイブ・ひなげしの花 / アグネス・チャン・さそり座の女 / 美川憲一・雨 / 三善英史そんな、二十歳な時代でした。
毎年、手袋を買ってるような、気がします。戦後っ子は本革好きでそこそこ値の張る手袋を。そして、毎冬どこかに置き忘れるんだろう。残った2〜3の手袋は100円ショップで買ったような右手の親指と人差し指の先っぽを自分でカットしたようなのばっかり。
26歳のときにゑべっさんデビューをしたのでもうすぐ40年にもなりますね。最初に露店でふらふら熊手も買ってしまい翌年は「最初以上の大きさ」の熊手を買いたくなり。6〜7年で熊手屋の看板みたいな大きな10万のを8万円に値切ったこともありました。神社も最初は順当に今宮戎からはじまり芦屋に越してから西宮戎に変更し帝塚山に移っては住吉っさんの戎さんへここ大阪の外れ岬町でも住吉っさんに参っています。商売繁盛。頼んます!
年末に高校の同窓会がありました。話題の大半は親の介護の話その次は健康、もしくは病気の話です。ある奴などはトライアスロンをしているという強者もいてそいつはいちに健康にに健康さんしがなくてごに健康で突然、かばんから丼鉢のようなものを出して「この上で片足立ちしてバランスとったら、姿勢がよーなる」と、ほざいた『それ、いつも持ち歩いてるんか?!』と聞くと「そーや」と返ってきて「職場でもやってる」と決然と言い切った。で、みんなの意見の総合は「そんなに健康に気遣ってる奴が一番早に死ぬねんで。」でした。上の写真はガムテープでこの上に片足で立ちます。
便所のカレンダーです。田淵睦深さん撮影&制作のカレンダーです。20年間ずーっと制作続けてはります。毎年々々、トイレに飾ってます。最初の頃はギャル系でポップなカレンダーやったね。ただ今年のカレンダーの問題は、リバーシブル写真の裏がカレンダーで、同時に見れないのが残念で、上の写真の上の写真は「2月」の写真です。あ、田淵さんは20年以上昔の元8ozさんです。
芹、薺、御形、繁縷、佛座、菘、蘿蔔、これぞ 七草「芹」なのかな、野草臭いってゆうか農薬臭いってゆうか戦後のDDTの風味がするんだ。どうか、、、無病息災 プリーズ!!
年賀状の整理をしていて、気付いた。家族写真も去ることながら子供の写真が多くあります。それもヤングな業界人の元8ozからのって複雑気分。ギャグか?!と思ったり。。やっぱ、親馬鹿??