冷凍庫 と オーヴン
あとがき A
あの
夏
どれ くらいの 期間
D社スタジオに 詰めたのか ?
5日間か ?
7日間くらい か ?
10日間かも ?
でも
10日間も あんな状態を 続けたら スタッフ全滅してた はず や し な ぁ
1週間くらい やったん かな ?
新車立上げの撮影で ハデな はず なのに
全然 記憶に無いのも
不思議です 。
そ〜 そ〜
撮影 3日目くらい の 夜
カメラマンのHさん と ミナミで 飲みました
その時
ワタクシ Hさんに 提案しました
『 Hさん 昼飯 ちょっと工夫しませんか ? みんな 疲れてるし… 』
で
話し合った 結果
@両家(Hさん家・苦労田家)の嫁はんが
お重箱に ご馳走を一杯詰め
嫁はん 持参し スタッフに振舞う こと
Aわれわれ(Hさん・ワタクシ) 自ら 素麺を 湯がいて
スタッフに食してもらう
具沢山で その 具は 嫁はんに
前夜 作ってもらって
それを トッピングする こと
と
以上
決めました
実際に やったンですが
@の時 Hさんの お子さん2人も 参加し
ワイワイ 楽しく 過ごせました
し
Aは おっさん二人の 台所仕事なので
それは それで みんなに 楽しんで もらえました
ミナミで
Hさんと 飲んでいる席で
「 苦労田さん ぼく 来年くらいで 引退しようと 考えてんねん… 」
と
ぽっつり
と
言われました
「 D社の 仕事 続くよおやったら Kくんに 譲ろお 思もてんねん 」
「 そん時 苦労ちゃん 助けたって な あ 」
その頃
すでに
「暖簾分け」制度は
破綻していた
のに…
優しい 親方気質 です ね
そして
確かに D社の仕事は
Kさんがカメラマンになり
2年ほど 続きました
で
時々 Hさんが スタジオに 現れ
陣中見舞いの 差し入れを 頂きました
ありがとう ございました 。
終り
秋晴れ と 言おう AM7:00撮影
2006.8.31
冷凍庫 と オーヴン
あとがき @
「 苦労田さん
あん時
ボクら
キャット・ウオークの作業が 多かった でしょ
天井辺は 熱う〜て 熱う〜 て
手すりに 触ったら 火傷 でしたよ ! 」
と
Tくん は 言ってた
あれ
以降
しばらくし
Tくんは
Hさんのスタジオを
辞し
フリーのアシスタントになり
よく 8ozに 出入りしていた
Tくん が 酒 飲む たびに
言う 言葉
「 熱で 頭が ボー っと してきて こゝから(キャット・ウォーク) 落ちて
骨折でもして この現場から 逃げたいと 何度も 何度も 思いました… ! 」
必死に
懐かし そ〜 に
何度も
言ってた
ま
ほんとに
ひどい 現場でした
スポット・クラー は
ダクトの20cm位 近づけば
確かに
涼しい!
でも…
30cm も 離れれば 熱風! まっしぐら でした
ね
「 Tシャツ 脱いで 仕事したら 今度は ライトで ヤイト(灸)です ね ん ! 」
と
で
「 30分 ごっと に スタジオの前の ビニールホースで 服のまゝ 水浴び してたン 知ってハリました… ? 」
そ〜
やった
ん
か
あ
…
続っ !
夜 驟雨 後 涼風 AM7:00撮影
2006.8.30
冷凍庫 と オーヴン
C
朝の
スタジオの温度は
すでに
40℃ は 超えていたのでは…?
『 サービス 入れて! 』
と
いつもの
開口一発
カメラの横から
スタジオに吊られている 白い天板に 向って
5kWのスポット
チッ チッ チッ カッチ〜ン
と
点った
瞬間
熱波が
ワタクシを
包む
汗っかき で ない ワタクシ ですが
すでに
パンチュまで
汗だく
( ダク ダク )
午前の作業を 一区切り し
昼飯にしよう と
ライトを 消し
スタジオの 扉を 開ける
風 を 受けた 腕に 鳥肌(さぶいぼ) 発生!
セミが 鳴きまくり
35〜6℃は あるはずの外気なのに
( 寒い! )
みんな が みんな
「 寒っ !」
を
連発!
先頭を歩いていた Tくん
休憩室の 引戸を 開けるなり
「 ぎゃ〜 っ !! 」
と
大声を 上げる
ワタクシの前を 歩いていた Kさん
ダー っと 走っていき
「 なんじゃ〜 こゝ わ ぁ ! 冷凍庫 か ぁ ? 」
と 戸口で
「 アホっ!! クーラー 消せ! 」
「早よ せぇっ! 死ぬ ど〜 !!」
と
後退り しながら
叫ぶ
決死の覚悟で
休憩室に
突入!
Tくん クーラーを 切る !
( ブ〜 ン … )
「 どっ ! ど〜 したんですか? 」
と
休憩室の中から
おびえる 声が する
朝から ずー っと
休憩室に
避難していた
代理店のSさん が
弁当箱を 持って
カタマって た 。
続く かも…
昨夜 秋の虫が 鳴いてた よ AM7:00撮影
2006.8.29
冷凍庫 と オーヴン
B
スタジオ横の
8畳ほどの
プレハブで
炊事場のある
休憩室
チーフのMくん は スタッフ全員の コーヒーをいれている
休憩室には
代理店のSさん
カメラマンのHさん テニスウエアーで 軽快そう
そして
Hさんの 初代のアシスタントで 今は フリーのカメラマンの Kさん
難しい仕事なので 「助っ人」 として 参加
少々 癖の強そうな人物
それから
Hさんの 現在のアシスタントの Tくん
所在なげに
Mくんの コーヒー制作の アシストをしている
が
それが Kさんの 目障りになったのか
「 T スタジオに 行って来い! 」
と
一喝
Tくん 意味 分からないまゝ 出て行く
他の8ozのメンバー 4人は
スタジオで
スポットライトの球 の 玉磨きに いそしんでる はず
※玉磨き 2006.1.26 参照
1カ月程 前
淀屋橋の
とある 会議室で
打合せ
休憩室にいる スタッフが初顔合わせ を し
その後
何度となく 各自が 打合せの為 会っていたはずですが
本日
全員集合
全員 落ち着きなく ソワソワ
代理店のSさん そろそろ と 口火を切る
「 冷房が やっぱ ダメ で して〜 この お盆の期間中は 業者も 休み でして… 」
癖モノのKさん
「 困ンねん な… スタジオで クーラーきけへん かったら オーヴン の 中と 一緒や ねん な〜 」
と カマしている
「 一応 スポットクーラーを 3台 用意させたンですが… 」
と Sさん
「 あ〜 っ! それは どうも どうも ありがとう ございます! 」
と 丁寧に Hさん が 答える 横から
「 スポットクラー なんか あっても なぁ あのスペースで 意味が ぁ な ぁ … 」
そんなに カマして 大丈夫?
と
思うほど カマし攻撃
( Hさんの 立場が… )
Tくんが
休憩室に
戻ってきた
ウエスを首に巻きつけ
Tシャツから 半ズボンまで 全身 ビッショ 濡れ
「 なんや 水撒き してんの か …? 」
と
Kさん 驚いて 声 掛ける
続く
今日は 曇り だと 聞いてます AM7:00撮影
2006.8.28
冷凍庫 と オーヴン
A
阿倍野のアポロビル前から
伊丹空港行きのリムジンバスが出ている
他の乗客たち は 服装も 晴れがましく
旅行気分で ソワソワ
ワタクシ は 普段着
夏休みの期間中だから
子供たちも多い
バスの横腹が 大きく開けられ
「 お荷物は? 」と 聞かれ
『 無い です … 』
トランクルームに 次々と 乗客のバッグが 放り込まれる
30分ほど で 空港
人の波に逆らって タクシー乗り場へ 向う
( やっぱり 『近距離』 か な… )
と
乗り込んだ 運転手さんに 行き先を 告げると
「 朝の7時から 2時間も 待ってたンや ぁ !」
と
独り言を 言って 急発進
そして
急ブレーキで D社の 工場の正門前に 止まる
身を乗り出した 守衛さんに 軽く 会釈
8ozのチーフのMくんが 走ってきて
「 全員 待っタはり ます 」 と
指さす方向を 見ると
正門から 離れた 道路沿いの 植込みの陰あたりで 10人くらいの 人の塊
代理店のSさんを 先頭に 守衛室前で
スタッフ全員の IDの確認
「 に〜ちゃんら は よ〜 来てはる から … 」
と
ワタクシ達8oz に 向って 人良さげ に
( そんな よけー な こと 言わないで〜 ちょうだい )
と
苦笑いしながら 顔を見合わせる 8ozスタッフ
今回
8oz以外のスタッフは
みなさん 新規で 緊張 なさって る
のに…
守衛さん 個人所有と思われる
鉢植えの 淡い紫
萎れ気味な 朝顔が 揺れていた
続く
今宵は フロントミーティング 西区新町で
2006.8.26
冷凍庫 と オーヴン
@
伊丹空港の
タクシー乗り場で
順番を待ち
ようやく 乗り込んで
「 軍行橋を 渡って D の ノックダウン工場 に 」 と
伝える と
「 にー ちゃん 猪名川 渡ったら 兵庫県やから 『県外』乗り場に 乗って〜 や〜 』
と 言われ
『県外』に乗れば
「 あんなとこ 『近距離』 やで〜 」
と
いつも
嫌な顔をされる
D社のスタジオ 。
ある
夏
D社の 新車立上げの 広告の ライティングを 依頼される
‘ROCK○’だか
‘アト○ーの四駆トラック’だか
D社スタジオには 何度も 行ってました が
あの時
代理店側が ザワザワ していました
聞くと
「 冷房が 止まってる 」
と
言う。
続く
つくつく法師 鳴く AM7:00撮影
2006.8.25
あびこ の 時代
1970年代の後半期
夏 に なれば 2〜3ヶ月間
総合文具メーカーの撮影で 缶詰
「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅 近くの
貸しスタジオ
1階にある
大きなスタジオ
朝 早くに向かい
深夜まで の 缶詰 だった。
《 影イキ で 切りヌキ 》
の
撮影で
毎朝 バック紙 を 張替えてました。
スーペリア社製の スーパーホワイト を
7〜8m角を 白ホリに 水張り し
ピンピンに張らせます。
その為
ダイキンの大型空調機は 最強冷 に
かんかん照り の 昼間
汗を 拭き々々
外から スタジオに入ってきた人は
必ず
「 寒 つ! 」
と
身震いします。
中で 作業している ワタクシ達は 慣れてきてるので
「 ? ? 」
と
平気
でも
しかし
「 お疲れ さん でした〜 !! 」
と
一旦
スタジオの扉を開くと
むつ
と
夜の闇の サウナ に 入っていく 感覚でした。
あびこ
ちろりん村に
戻る
風呂屋は とっくに 店仕舞いしてゝ
密集地のアパートの部屋には
風なぞ 届く わけなく
近所の畑の 肥溜め の 臭い だけが 部屋に ジー っと 澱んでる
白熱灯の照明も
熱い と
夜毎
感じてた。
そんな
夏を 懐かしく
思い出しました 。
あびこの時代
ちろりん村の
ことは
2005.11.7〜
に
詳しく書いてます
今なら
《 影イキ 切りヌキ 》
も
デジタル処理で
チョチョイのチョイ
ですよね
一話完結
きのう パラソルが 開いてたンだ… AM7:00撮影
2006.8.24
沢山 な 雨言葉
たまに 使お ね
スコール
なんて言わないで
・夕立
・五月雨
・村雨
・時雨
・にわか雨
・通り雨
・驟雨
・五月雨
・私雨
・霧雨
・狐の嫁入り
・小ぬか雨
・本降り
・大降り
・長雨
・大雨
かんかん照り
なんか も
使お
今日も 俄雨が 降る そ〜 だ AM7:00撮影
2006.8.23
トランシーバー
おまけ A
仕事柄
『渡辺篤史の建もの探訪』
みたいな 邸宅を お借りして
撮影すること
って
よくありました が
20年程前の 話
在阪の家電メーカーの 依頼で
「石油ファンヒーター」の室内ロケでのライティングを受けていました。
「石油ファンヒーター」 ですから…
夏場 の 撮影 です よ ね … !?
( 撮影は だいたい 3カ月以上前に します から ね )
毎年々々 の 仕事で
日本全国 津々浦々 巡りました
移動の車輌は
8ozのポチ1号を 含め
インテリア・スタイリスト社のとロケバス
の
3台
各車にトランシバーを備え
絶えず 連絡を 取り合ってました。
そして
この話の
場所は 広島 福山 あたり
午前のロケを 済ませ
撤収
移動
午後の ロケ宅 まで 3時間くらいの 余裕があった
インテリア・スタイリング社の T女史は グルメに うるさい
ロケ宅が 決定した 時点で
美味しい宿泊場所 やら
昼飯は 何処そこで
を
チェック済み
T女史
「 ワニ料理 喰お ! 」 ( 男言葉です ! )
「 運転手さん こゝ 頼ンわ 」 ( 女です よ! )
と
ポケットから 地図を ロケバスのドライバーに 渡す
「 苦労ちゃん 他の 車に 言うといて な 」 ( はっ はい! )
手渡された クチャクチャな紙を 広げ
ナビしなければ と 必死で 現在場所を 探して
『 え〜 っと 次の大きな県道○○号線の交差点を 右に 行きます ど〜 ぞっ 』
・・・・・・
ノー リプライ
『 聞こえますか? ど〜 ぞっ ! 』
返答 無し !
ロケバスは 先頭車
他の車 1kmの範囲内に いない の だ …
と
そんな ことを
考えてたら
突然 !
「 ごおるぁ〜 この チャンネル 使うな !」
( わ っ ! )
思わず
トランシーバー
落っことし そ〜 に なる
1km圏内に 恐い おっちゃん が おる !
雑音の無い この鮮明な聞こえ方は 200m 以内 や !
( おろ おろ … )
とっ!
トランシーバー 持つ手が 急に 引っ張られる
( れ れっ ! )
T女史 ワタシの握っている トランシバーを 引っ張って
そのまゝ 会話ボタンを 押して
「 なんじゃ〜 とぉ〜 ごるりゃ〜 !」
って
怒鳴り
トランシバーから
手を離し
ほんで
知らん顔で
煙草に火をつけ
鼻から
煙
…
…
( おい おい !
恐い おっちゃん が 見たら
ボクちゃん が タンカ切った と 思う やん け !! )
走っている 周りの車が
みんな コワく 見えてきた
ビコッ
( わ あ 受信前の 音や ! )
「 殺っそ〜 わりゃ〜 ! 」
ワタクシ
トランシバーのスイッチ
を
切る
ん〜
で
後の こと
覚えてません
まったく
他の 2台の車と 連絡が ついたやら…
ワニ料理を 喰ったやら…
全然
記憶に
ございません。
( ふ 〜 ぅ )
完了
高校野球 終わったん? AM7:00撮影
2006.8.22
トランシーバー
おまけ @
30年程
昔の話
神戸
六甲
の
摩耶観光ホテル
で
の
モデル撮影
と
いっても
元摩耶観光ホテル で
廃墟
での
一泊二日の撮影 で
10人ちょいの 撮影クルー でした。
車 三台に分乗しての 大阪からの 移動
ヘアー&メイク&スタイリストの Kさん (関西では御大の女史)
その アシスタントの Mちゃん
Mちゃんは まだデビュー して 間なし な 女子
御大Kさん は 礼儀 躾(しつけ) に やかましく
歴代のアシスタントは
みな それ そ〜 と〜 に デビュー していくのを
ワタクシ達は 見てました。
神戸に向う 車には それぞれ
トランシーバー 1台を 配布されていて
何かの折に 連絡を取り合う って こと に なりました。
阪急の十三駅が 横に見える頃
御大Kさんの声が トランシーバーから 聞こえました。
「 え〜 今から Mちゃん が 歌のサービスをします ど〜 ぞっ 」
他の 2台の 車輌から
「 了ぉ〜 解 どうぞ 」
Mちゃん バスガイドみたいに
歌うんや … !
なンやろ?
と
ちょっと
余興に
期待
で
Mちゃん
「 では M 歌いますっ ! 」
「 ♪ 困っちゃうなぁ〜 ○○こ に 毛が生えたぁ〜 ♪ 」
みんな一同に
ズルッ!
おい! おい!
オイら 男子も 困っちゃう ぜっ !
Mちゃん 3番まで 歌い切りました。
3台の車から 拍手 拍手 で
クルー全体が 楽しい気分になって
良い状態で 撮影が出来た と 思います。
夜の 元摩耶観光ホテル内の 宴会でも
ストロボのケースを
お立ち台にして
Mちゃん 再演
ヤンヤの 喝采でした。
何故か
男女の外人モデル
4人にも
受けてました
ね 。
楽しい
思い出
です。
・山本リンダの 『困っちゃうな』 の替歌 (←春歌)
・Mちゃんは その後 H・M&Sとして
バブル期 大活躍され
今
ワタクシの ご近所さん で
主婦として 二人の子の お母さんとなっています
たまに 街で すれ違って
「やあ!元気?」
って
しています。
・御大Kさんは
京都で
料理研究家として
たまに
TVで 拝見してます。
・元摩耶観光ホテルは
現在
『立入禁止』になって
心霊スポットのようになってます
が
当時は
神戸市の管理下で
撮影等に
貸出をしていました。
続 く の ?
赤トンボが舞ってる 残暑 。AM6:30撮影
2006.8.21
ラジャー ラージャ ロジャー
F
「 Nくん ちょっと 打合せ しよ か… 」
食後
の
コーヒー・タイム
自販機の 置かれた 控え室 へ
8ozのチーフ Nくん と リーダー Sくん
に
「 Eさん (カメラマン) に 頼んで 二重露光してもらお か 思てんねん … 」
「 手直し しよお と 思たら 全部 バラさな あかんし な… 」
と
ワタクシ
つまり
車2台 と バックを 別々に 露光して
色反射を おさえる
と
いう
方法
車の撮影の時は 黒の遮幕で バックを 覆い
バックの撮影の時は 反対に 車を覆う
という 作戦 である
Nくん Sくん 同意
「 よし ! 」 「 やろか ! 」
と 立ち上がろう かな
と した時
に
Nくんが
「 苦労さん トランシーバー 止めませんか … ? 」
Sくん も うなずいている
「 気合 入りません ねん なんか… 」
『 ほんまやなぁ ボクも そ〜 思とってん 』
『 なんか 楽 に なった よ〜 や けど… なんか しんど なってきた… って かぁ シンキ臭い か なぁ 』
と ワタクシ 同意
『 よし いこ か ! 』
自販機の ブーン という 低い音さえ 快く 聞こえた
スタジオに 戻る
Eさんに 二重露光の お願いをする
快諾!
スタジオの隅で Nくん Sくん
他の8ozのメンバーに 説明をしている
「 ポラ いきま〜 す ! 」 Wさん
ハウスアシストの Yくん ギャジットへ ダッシュ!
タイプ55のポラホルダーを ガチャガチャ いわせている
Sくん ‘Oスタジオ’のチーフ Tくん に ライトの点滅の段取りを
大声で 説明している
Nくん
「 クロシャ(黒の遮幕)を 動かす時 ゴミ&ホコリ 出るから 気ぃ〜 つけてや っ !
ほんで スプレー (つや消し) 絶対に ドンタッチ や で !」
大声
プロヂューサ&ディレクターの Wさん
「 インカム 止めたン やぁ ! 」
「やっぱ 生声 (なまごえ) は えゝ な あ … ! 」
露光時間は 倍以上 掛かりました が
良い 仕上がりの ライティングに なりました 。
終電までに
撤収 含め
終えました
が
やはり
焼肉の‘はや’で
明け方近くまで
痛飲
そして
全員
‘サニーストーン・ホテル’
で
爆睡
翌朝
メンバーそれぞれが
次々と
違う仕事場へ と
散っていく
で
ワタクシは
それ以降
スタジオ内での
インカム使用は
止めて
大声
に
戻し ました 。
‘Oスタジオ’は
レンタルを
止めた と
聞いています。
御仕舞
たま の 雨 また よろし
2006.8.19
ラジャー ラージャ ロジャー
E
江坂の ‘Oスタジオ’は レンタルスタジオ
オープンして
まだ
数ヶ月しか経っていない
こゝの
bPst
は
スタジオの間口が広いので
‘大型商品’や‘建て込み材’などの搬入が
便利だったので
自然
ワタクシの仕事も こゝが 多くなった
で
ワタクシは
こゝで
缶詰 が
続いている
江坂駅前の
‘サニーストーンホテル’に
まだ
一週間くらいの
連泊の
予約をしている
きのう
まで
の
3日間は
同じスタジオ a@で
‘Oガス’関連の
システムキッチンの
セット撮影
6メートルの 吹き抜けのキッチン
大きな
天窓から
降り注ぐ
光線
スタジオに
煙を
焚きつめ
光線引き
20Kwのスポットを
バトンに縛り付ける
と
いう
危険な状態での
ライティング
を
昨夜
21時
終えて
パチ パチ パチ
「 お疲れさん! 」
と
拍手
を
し
江坂駅前
焼肉の‘はや’で
8ozの
みんなと
したたか
ビールを飲み
未明 に
‘サニーストンホテル’ へ
きのう とは 違う
8ozメンバーと
「 お早うございますっ! 」
と
今朝 9時に 同じスタジオに 入る
そうして
明日
から
は
また
建材メーカーの 撮影
・天井材
・壁材
・床材
の建て込みセット撮影
建て込みの 予定日 が
丸一日
ある
ので
今夜は
家に帰りたい
気持ち
しかし
今
の
この仕事
この まゝで いく と
終電には
全然
間に合う時間 じゃ〜 なさそ〜
やっぱ し
ホテル住まいになり そ〜
目の前
には
遅い
晩飯の
幕の内弁当
吸い物は
とっくに
冷めている
扉を開けたスタジオ
‘Oスタジオ’の 他のスタジオマンが
「 わ ぁ 〜 F1 カー や〜 ! 」
とか
「CIMA や !! 」
と
CIMA (シーマ)) も
発売されたばかりで
まだ
街では 走っては いなかった時代
パール・ホワイトの厚い塗装で
高級 ! そのもの !
それに
同じ様な
塗装の
エアロパーツ
フロント&サイド&リアに
スカートを
巻きつけて
リアウイング まで 装着
買い物帰りの オバちゃん や
散歩がてらの おっちゃん も
覗く
覗く
どこで
ど〜
聞きつけたのか
ぞくぞく と ‘族’っぽい ニ〜チャン も
スタジオの 扉に
ヘバり付いて
奇声を上げだす。
ワタクシ
とても
疲れる
ぞくぞく と 続 く
お盆 開け の 空
2006.8.18
ラジャー ラージャ ロジャー
D
トランシーバーで ライティング 指示
って
ある意味
快適
でした
が
テンポが
無くなります 。
『 それ も〜 ちょい 右 に して 』
「 これ 位 です か? ね … 」
『 あ〜 そ〜 やな ぁ … 』
と
コソコソ と 相談
見たいに… 。
夕方
5時
頃
ライティングに
行き詰まりました。
バックのホリゾント
全体は 青色ゼラチンで
所々に 赤系 白系 を 加えて
空気が流れているような 照明
摩訶不思議で 幽玄な
ライティングを 求められました
が
それは
それで
出来たンですが
その バックの 色 が
影響して
F1のレーシングカーが
ミョ〜 な
色浮き
ホリゾントと
F1カーの
距離が
あと
3メートル
離せれば
無問題
な
のに …
そ〜 で なくても
カメラの ‘引き’ が 足らず
スタジオのシャッターを 開けて
スタジオ前の駐車場に イントレを 置いて カメラを 据えている
スタジオのマネージャーが
慌てて
飛んで来て
「 駐車場で カメラ 構えるのは ちょっと… 」
と
で
プロヂューサー の Wさん
「 駐車場 全部 借りるわ ! 」
「 なんぼ 払ろたら え〜 ん や!」
と
一喝 !
ん〜 で
‘色反射’に悩む ワタクシに
心配そうに Wさん は
「 苦労ちゃん それ 気になるか ぁ … ? 」
「 まあ 任す け ど な ぁ … 」
と
( 見る人が見れば バレる )
( …って か オレは ヤ だ ! )
った
ほんま 続けンの しんどい ですぅ…
今日 ガンバれば 明日からは… AM6:30撮影
2006.8.11
閑話de休憩
&出張で
デジカメ雑記
トランシバーの D が なかなか 書けません
文筆業は 難し〜 と つくづく 思います…
( 誰が 芥川漱石 やねん!! )
遅々として進まず
( ちちとして すすまず )
母として進むくん
( なんの こっちゃ!! おやじギャグ! )
ん
で
は
一服 しましょう ね
ワタクシ
プライベートのカメラは
デジカメ オンリーです
初代
は
カシオが発売した
画期的な
デジカメ
QV−10
から
今の
サンヨー の ‘Xacti’
まで
何台の何種類のデジカメを 手にしたのかな ぁ ?
そうそう
SONYの ‘Ruvi’
ビデオ兼デジタルカメラ の 1台2役
30分の動画&350カットのフォト
ただし
モニターは見ずらい
( 室外では ほとんど 見えない! )
あれは 名機 でした…
でも
すぐに
製造中止に
なりました
けど
きのう
‘Xacti’に
‘CANON WIDE ATTACHMENT WA-34’
を
無理やり
アタッチメントし
魚眼の様な ‘絵’が出来たので
楽しくて仕方ありません
なんか 撮るモン ないかな ぁ …
ルン ♪ ルン ♪
デジカメ ネタ 読切
魚眼で定点撮影をサービスします
2006.8.10
今日は・・・出張させてください。
台風は・・・行ってしまいました。 AM6:30撮影
2006.8.9
ラジャー ラージャ ロジャー
C
遅く 入ってきた
プロデューサーの Wさん
スタジオに入るなり
「今日は 葬式か ぁ ?」
「 静かやな … 」
雑誌 「CAR GRAPHIC」 (カーグラフィック) の
見開き広告の撮影
モノ(商品)は アルミのホイールとエアロパーツ
F1(エフワン・フォーミュラーワン)のレーシングカー
と
エアロとアルミホイールを装着した
日産 CIMA (シーマ)
平行に並べての 撮影
場所は 江坂に オープンして まなしの Oスタジオ No.1st
8ozスタッフは5人
その内 2名は ヘッドセットを装着
ウエストバックのベルトに トランシーバーを ブラさげている
ワタクシも ヘッドセットのマイクに
物静かに 指示を 語りかける
Wさん イントレの下から
「 苦労ちゃん ど〜 したん? インカムなんかして… ビデオのチーム みたいやでぇ〜 」
ワタクシ トランシバーの スイッチを 切って
『 スマートに 行こ! と 思いましてね… 』
「そ〜 か … 苦労ちゃんの シャウト 聞きたい な … 」
『 ま〜 今日んとこは こんな 感じで … 』
「淋しいな… なんか 活気が… 」
あの頃
東大阪の あちこちの町工場で
エアロパーツやホイールを 製造していた
‘族’の御用達
プロデューサーのWさんと 新製品の 打合せで
あちこちの工場 よく 行った
毎年々々
町工場たち は 金持ちに なっていくのが 目に見えて 分かった
原価 数十円 が ン十万円を 叩き出す 商品
‘族’仕様の グッズ
自動車メーカーは まだ それらを オプションとして 製造する気がなかった ので
町工場の やり放題だった
Wさんの オフィス も 仕事内容 も 日一日と 拡大していった
あの頃
もっと 続 もっと
昨夜から
台風の影響で
東の風が 強い
AM6:30撮影
2006.8.8
ラジャー ラージャ ロジャー
B
1986年
↓
1991年
バブルの頃
毎日々々
撮影規模が
大きのンが
続きました
ライト機材は ほゞ 映材(映画機材)屋さん で チャーター していました。
そんな時
2度ほど
映画用機材が
関西から 一切 消えた こと が ありました。
映画 「ブラック・レイン」と「乱」の 撮影が関西方面でロケした時の事でした。
どこの映材屋さんに連絡しても 「機材 一式 出払っています!」
( そんな アホ な ! )
いつも お借りしている M社の Hさんは
「何も 貸し出せないです 現場で 何が 発生するか 分からないので
全機材スタンバイ 押さえられてます 申し訳ないです…」と
申し訳なさそうに (笑みを浮かべながら?) 話してました。
あの時は
大変 困りました…
でも
気持ちの中で
天下の
リドリー・スコットさん
黒澤 明さん
の
両監督と
張り合った
ような
気分
を
密かに
楽しんでました。
あゝ
トランシバー の 話 でした ね …
で
光源堂
の
仕事
は
スタジオ面積が広く
ライト数も多いのが
フツ〜 です。
あ!
そ〜 そ〜
思い出しましたっ!
ジュエリー(宝石)のライティングの依頼も 比較的 ありました
モノは小さいンです
が
スタジオの広さ や ライトの数は
やっぱ
デッカい
ほど
スムーズです よ 。
又々
横道
すンません !
トランシバー
でした
ね
・
・
・
ワタクシ
朝から 晩まで 広い スタジオで 大声 出し
当然
大声を出すのンも そ〜 ですが
日々の 疲労が 激しかった です。
ほんで
ちょっと 疲れた顔を 出した ワタクシに
当時の8ozのチーフの Nくんが
「苦労さん トランシバー 使いはったら ど〜 です か ? 」
と
提案がありました。
続
今日も
仕事の後の
シャワーとビールの為に
AM7:00撮影
2006.8.7
ラジャー ラージャ ロジャー
A
八尾空港に向う 車の中
カメラマンで 博学な Dさん
パジェロを運転しながら
「苦労ちゃん えゝ トランシーバー 持ってる やん」
「オレも 昔 それの上級機種 持ってたこと あるけど…」
と
Dさん 得意のウンチクが 始まった
しばらく
黙って
時間が
過ぎるのを
待つ
ひとしきり 話し終えた Dさん
「苦労ちゃん 『ラジャー』 って みんな 言う やん」
『は〜 』
「あの意味 知ってる?」
『了解の意味です よ ね … ? 』
「調子に乗って 『ブラジャ〜』なんか 言う 奴 おるけど あの意味はな… 」
と 続けたんですが
要約すると
「了解!」の意味なんだけど
英語の 『received』(レシーブド)
日本語で 『受け取りました』 『了承しました』 『納得しました』
つまりは 『了解』で 良いんです が
で
話は ちょっと 変わりますが
電話で
『もし もし 苦労田ですが…』
「は〜? どちらさん?」
『くろうだ です』
「はぁ? うおださん?」
「“うお” ではなく って
クラブの“く” に ローマの“ろ” 上野の“う” に … 」
と 言う 言い方しますよね?
それの
英語版です
通信の最後に
「received 」
と 言った時に
『は〜? 何 言ったんだ?』
「 r e c e i v e d 」 (聞こえてね〜のか? つんぼ!)
『 何 だって!?』
「R E C E … 」
『アリー だって?』
で
この時
「ロジャーの“R” エコーの“E” チャーリーの“C” … 」
と
言う
言い方を
する
そ〜
なんです
で
軍の決まり事 として
了解 = ロジャー
と
なった と さー
と
云う話を
Dさんが 聞かせてくれました
「みんな ラジャー って 言うけど 実は “ロジャー”って 男の子の名前 やねん でぇ〜 」
Dさん の 話は いつも 長々しく
疲れる
今から
八尾空港の格納庫を借りて
ヘリコプターの切抜きの為の撮影
小型とはいえ
10メーターちょいの全長
高さ 3メーター
を
スーパースノーのバック紙を
シワなく 張らねば ならヌ
その仕事で
2時間
そして
ライティング
3時間は 欲しい
だ
のに
格納庫のレンタル時間は 5時間
搬入&撤収 時間が 無い!
なんて
考えて いる ワタクシ
(今 ロジャー君の 話は 要らないン だぁ…)
で
だ
結局の所
撮影
5時間の約束を
スレスレ
守り
ん
で
帰路に着く
ワタクシ
疲れていたので
パジェロに乗らずに
荷物満載の
8ozのポチ1号に
乗り込む
しばらくして
トランシーバーから
「苦労ちゃんら 飯 喰いに 行けへんか?」 と Dさんからの お誘い
「何 喰いたい?」
って
聞かれたので
ビールを飲める所が良い むねを 伝える
そー したら
トランシーバーから
Dさん
「オヴァ〜!」
って
大きな声で
帰ってきた
嗚呼
オヴァー(OVER) = 了解
朝日の“あ”
いろはの“い”
上野の“う”
英語の“え”
大阪の“お”
アルファーの“A”
ブラボーの“B”
チャーリーの“C”
デルタの“D”
エコーの“E”
続けます
クマゼミ野郎が 鳴いてます
ラジャー ラージャ ロジャー
@
昨夜
マネージャーである 妻が
トランシーバーを持って帰りました。
ある大掛かりな撮影現場で
メンバーから 「 必要! 」 と言われ
梅田ヨドバシで購入
早速
単四電池 3本を セットし
やって
みた
阿呆
息子と
『 おまえ は アホか どうぞ … 』
「 了解! 」
と
訳の分からない 会話
『 おまえ の 生声が 聞こえるから 庭に 出ろ! 』
なんて
楽しい
ひと時を
過ごしました。
そこで
思い出したンですが
トランシバーに まつわる 話
ライティングの仕事をしていた
光源堂
の
時代
の
話
色
々
アラカルト
で
・
・
・
続ける
猛暑 酷暑 ドッコイショ AM7:00撮影
2006.8.4
出張します
暑いです
お元気ですか?
まめに
水分補給
を
バイチャ!
芝生を 刈らねば… AM7:00撮影
2006.8.3
「ヒデ」 って 聞いて ?
やっぱり
一番
に
思い出すのが
「ヒデとロザンナ」
で
す
よ
ね
ぇ
1968年
「愛の奇跡」
で
鮮烈に
デビュー
♪アモ〜レ♪
その次 が
「野口ヒデト」
ご存知ですか?
GSバンド
「OX」(オックス)の
リードボーカル
ねちっこい
歌い方の
「ガールフレンド」 1968年
良かったね!
そして
最近
覚えた
「ペケ・日本」の
「ヒデ」
で
知った
頃
に
は
死んで
た
ん
で
先月
『 ヒデ 引退 』
って
聞いて
どの
「ヒデ」?
と
考え
込む
ほど
現
世
に
疎
い
ワタクシ
で
す
。
20世紀で
終わってる
やん!
チャン!チャン!
本日 も 晴天 也 AM6:30撮影
2006.8.2
花火 の 思い出
最終編
さっきの
大ナイアガラの仕掛け花火は 終わり
ボー ン
ボー ン
ボー ン
と
ゆっくりと 間隔を 置いて
大玉が
連打で
打ち上げられている
いよいよ
芦屋サマーカーニバル 2006 花火大会 も 終わろうとしている
PCのモニターを見たまゝの息子に 向って
『 最後の マッチが 失敗やってん なあ … 』
「 真ん中に 炎 って 絵にならンの…? 」
『 違ゃう! 違ゃう! 』
「 ? ? 」
『 センターの 火が 適正露出 出しよってん 』
「 ? ? 」
『 プリントされた ヤツ 見たら…
( ブリキの蚊取り線香の金具付近が ちょっと(炎で)白けて
それ以外は フツー に 写ってた。
つまり 線香の燃えカスが ポトり ポトり と
渦状に 落下している だけの フツーな 絵 )
やってん なあ … 』
「 光の渦巻き は? 」
『 アホやな〜 それは バックが黒かったら 表現できるン であって
フツーのバックでは 消えてしまう ねん… 』
「 あゝ そー っか ぁ 」
花火は 終わった ようだ
あの
高校一年生
の
夏休み
1967年 8月
今の息子より 年下で
今の息子より 幼かった 気がします
その後
Tくんは 高校を卒業し 彼は D日本印刷へ
ワタクシは ライバル社の T版印刷 へと
その後 Tくんは カメラ小僧 を 忘れられず D社を退職し
N本大学 G術学部 S真学科 へ
一年後 ワタクシも その大学へ
Tくんは 卒業し
今は 長野県の ペンションを運営している
ワタクシは 3年間 在学していましたが
ずー っと 1回生のまゝで 退学し
現在に 至る
先日
三輪崎に行きましたが
カメラ屋さん は 既に 無く
あの楽しかった
三輪崎の
海水浴場は
閉鎖されていました
あの頃
ザ・カーナビーツのアイ高野が
ヒステリックにドラムステックを振り回し
♪ お前の すべ〜てを ♪
って
歌ってた 頃
(好きさ好きさ好きさ)
お疲れ様でした!
夏本番 8月の始り AM6:30撮影
2006.8.1